「国交回復」の思惑と危惧
2014年12月25日
米国が敵対関係にあったキューバと関係改善を発表し、米国は大騒ぎしている。しかし、キューバの知人たちにメールすると、キューバは冷静だ。そのギャップには理由がある。
米国がキューバと国交を断絶したのは1961年だが、中南米諸国がキューバと断交したのは1964年で、ちょうど今から50年前だ。かつて中南米は「米国の裏庭」と呼ばれ、アメリカの植民地のような状態だった。圧倒的な強さの中で米国は、キューバを孤立させた。しかし、今では米国の方が中南米諸国から孤立している。
この半世紀は、中南米が「キューバ排除」から「米国排除」に変化する50年だ。それを反映したのが今回の米国による国交正常化への宣言である。追いつめられたのは米国の方だ。
南北アメリカ大陸の諸国が参加する米州機構(OAS)という組織がある。かつては米国による中南米支配の道具と言われた。キューバ革命から5年後の1964年、米州機構は米国の意のままに対キューバ制裁を決議した。これを機に、メキシコ以外の中南米諸国はいっせいにキューバとの断交に踏み切った。
その制裁が解除されたのは約10年後の75年。さらに10年後の85年には中南米諸国が次々にキューバとの国交再開に動き出した。さらに20年後の2005年、事務総長に初めて米国が支持しない人物が選ばれた。
中南米諸国は米国への「反抗」から、さらに「対抗」に進んだ。
08年には南米のすべての国が欧州連合にならった南米統合の推進を掲げ、南米諸国連合を結成した。11年には中南米すべての国が参加する中南米カリブ海諸国共同体が発足した。これに米国は含まれていない。
中南米諸国はここに至って米国支配からの自立に踏み出した。
ニカラグアのオルテガ大統領はこの共同体を「モンロー主義への死刑宣告だ」と語った。米国が米州一円への支配権を主張したモンロー宣言は1823年だ。米国の呪縛から脱するのに200年近くかかった。
それが可能となったのは、南米大陸が「反米大陸」となったからである。1999年にベネズエラにチャベス政権が誕生して以来、ブラジルやアルゼンチン、チリなど次々に左派が政権を握った。それから15年たつ今もなおこの傾向は続いているばかりか、南米からさらに中米、カリブ地域にまで左派、中道左派の政権が広がっている。
2014年10月に再選されたブラジルのルセフ大統領は、かつてこの国が軍政だった時代に左翼ゲリラのコマンドだった人物だ。同じく10月に3選されたボリビアのモラレス大統領は左派農民運動の闘士の出身で、初当選した06年の大統領就任式でこぶしを上げ、「この闘いはゲバラに続くものだ」と宣言した人である。
こうした中南米の歴史的な反米、対米自立の潮流が、米国を押し流したと言えよう。
もう一つ、米国側のプラグマティックな理由がある。キューバとの関係復活について政治的には反対がなお根強いが、経済的にはむしろ賛成の声の方が高まっている。米国にとってもうかるからだ。
実は、
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