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[4]真ん中の人は沈黙するのか、吸収されるのか

伊東順子 フリーライター・翻訳業

少数の大声と多数の沈黙

 一つの問題をめぐり、人々の意見が真っ二つに分かれるのは韓国だけじゃないだろう。本当は真っ二つではなく「どっちの気持ちもわかる真ん中の私」も多いのだけど、そんなサイレントマジョリティーよりも、大きな声の少数者が目立つのが昨今の特徴だ。そのせいで、社会のいたるところが分裂し、喧嘩ばかりしているように見える。

 これまで書いてきたようセウォル号事故に関しても、当初の衝撃と悲しみが一段落した頃から、「犠牲者遺族」をめぐっての「対立」が顕在化してきた。

 「子供達を亡くした気の毒な遺族に、国は十分な保障をするべきだ」

学校から行進し、16日午後に韓国国会に到着した檀園高校の生徒ら=ソウル20140716沈没事故の犠牲者を出した檀園高校の生徒たちが学校から行進し、韓国国会に到着した=2014年7月
 前提には「国民的合意」がある。しかし、それは税金を使って行われる以上、公平でなければならない。

 「セウォル号事故以外でも、手抜き工事やずさんな管理の犠牲になった人々はいるでしょう。彼らだけを特別扱いにするのはおかしいと思うのですよ」

 セウォル号特別法制定に批判的だった人々の多くは、「それが公平かどうか」を問題にしていた。

 今や民主主義の国々に共通のテーマだ。

 ところが、その静かな疑問よりも、「特別法を推進している連中はみんなパルゲンイ(赤という意味の韓国語)。背後には北朝鮮がいる」という

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