国際的テロの活発化と新憲法制定への不安
2015年01月21日
イエメンのアル=カーイダ――パリのシャルリ・エブド誌本社を襲った犯人はそう言い残し、その後にフランス警察に射殺された。
1月14日、「アラビア半島のアル=カーイダ」はビデオ声明を発表し、事件への関与を認める。この組織は、2009年にイエメンとサウジアラビアのテロ分子が合流して結成されたものだ。英語の名前(Al-Qaeda in the Arabian Peninsula)の頭文字をとってAQAPと呼ばれる。
今回のテロ事件でイエメンの名前が挙がったとき、2つの不安が私の頭をよぎった。
ひとつは、AQAPが国際的なテロを活発化させるのではないかということ。もうひとつは、反フランス感情が高まれば新しいイエメン憲法の制定の逆風になってしまわないかということだった。
イエメンは新しい政治体制づくりの真っただ中にある。
2011年の「アラブの春」の結果、長期政権を誇った大統領が退陣した。その後の計画としては、2012年から2年間かけて新しい憲法の制定、それに基づく総選挙を行うはずであった。
しかし、計画は国内の政治対立や治安の悪化で大幅に遅れている。そのせいで政治状況はまったく先が見えなくなってしまった。
さらに悪いことに、新しい体制づくりが行き詰ると2011年の前からあった政治問題が再燃した。イエメン北部の反政府闘争、南部の分離独立運動、それにテロ組織の浸透という3つの問題である。
「アラブの春」では大統領の退陣を求める動きに合流したが、その後は新体制づくりのやり方に不満を募らせた。この勢力は2014年9月に首都を占拠し、中央政府の弱さを証明して見せた。
現在のイエメン共和国は1990年に旧南北イエメンが統一して誕生したが、旧南イエメン地域の人々は、旧北イエメン出身者が国政を牛耳っていると主張し、南北間の平等の権利を求めてデモや座り込みを2007年に開始した。
これに政府の弾圧が加わると、旧南イエメン地域では分離独立を求める声が高まった。
2011年には大統領の退陣を求める声を統一すべく、独立の主張をトーンダウンさせたものの、退陣後の移行プロセスがつまずくと再び分離独立運動が高まった。
2011年の「アラブの春」以降、イエメンのテロ組織には冷たい逆風が吹いていた。平和的デモが多くの参加と支持を集めたため、暴力的なテロを正当化する過激な論理は後退した。
そこでAQAPは戦略を変えた。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください