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イラク危機:イスラム国の急拡大を読む

川上泰徳 中東ジャーナリスト

 イスラム過激派組織「アルカイダ」の流れをくむ「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」が、イラク北部の第2の都市モスルやさらに南のティクリートを制圧した。これまでイラク国内でISISの支配地域が明確な形で出てきたことはなかったことを思えば、ISISのモスルからティクリートの制圧は新しい事態である。ニナワ州(州都モスル)、サラフディン州(州都ティクリート)、アンバル州(州都ラマディ)というスンニ派住民が多数を占めるスンニ派州でISISの旗が掲げられるのは時間の問題だろう。スンニ派とシーア派の双方が住む首都バグダッドのスンニ派地域にもISISが入る可能性も強い。結果的に、バグダッドはスンニ派地域とシーア派地域が分裂し、対立する構図になりかねない。イラク全体では、スンニ派地域ではISISが勢力を広げ、バグダッド以南のシーア派地域、北部のクルド地域という分裂の構図が明確になる。

 イラクが分裂するというのは、米国が2003年のイラク戦争を始めることについて、世界ではもちろん、米国内でも戦争反対派が唱えたことだった。それが戦争から11年を経た今年、スンニ派はアルカイダ系組織に乗っ取られるという最悪の形で現実になろうとしている。しかし、ISISを空爆してたたけば、これまでの様々な空爆のように、おびただしい市民の巻き添えを出し、逆にISISの「イスラム国」の守りを固めさせてしまうことになるだろう。

 まず、ISISとは何か、なぜ、いまこつ然として、イラクで支配地域を広げているのかを考える必要がある。ISISの元をたどれば、2003年に米国が始めたイラク戦争後の駐留米軍と戦う「反米ジハード」組織の「タウヒード・ワ・ジハード(神の唯一性と聖戦)」である。当時、米軍への攻撃を行う勢力には、スンニ派部族と、「タウヒード・ワ・ジハード」の二つがあった。スンニ派部族は、サダム・フセイン政権を支えた軍や共和国防衛隊、治安情報機関を担った勢力である。部族の中に、将軍もいれば、共和国防衛隊も特殊部隊員もいた。2003年夏ごろから本格的に始まる駐留米軍に対する軍事攻撃は、そのような部族が主導していた。一方で、アルカイダ系組織の常套手段は米軍やシーア派地域に対する自爆テロである。アルカイダ系にはイラク人も入っていたが、サウジアラビアなどの湾岸諸国やエジプトなどの北アフリカなどアラブ世界から対米聖戦に身を投じる若者たちが数多く入ったのが特徴である。

イラク・シリア・イスラム国(ISIS)が掲げるジハード(聖戦)を表す黒旗拡大イラク・シリア・イスラム国(ISIS)が掲げるジハード(聖戦)を表す黒旗

 2003年から2004年にかけて、私はバグダッドにいて、スンニ派部族系で米軍攻撃に関わっている関係者に何人か接触したことがあった。彼らは、アルカイダ系組織は資金が豊富だと話していた。湾岸諸国からくる支援である。アルカイダ系組織について、当時のイラク人は「ワッハービ」と呼んでいた。サウジアラビアのサウド王家とつながるイスラム厳格派「ワッハーブ派」のことであり、サウジからの支援を受けているモスクがあり、そこにイラク人の若者が出入りし、厳格派の考え方に感化される。そのようなモスクはアラブ諸国から反米ジハードに来たアラブ人の若者たちも集まり、寄宿する場所にもなる。

 米軍を攻撃する時には、部族系とアルカイダ系が協力することは珍しくないとという話だった。協力する場合は、爆弾を積んだ車を自爆させるような攻撃はアルカイダ系が担い、武器を持って奇襲攻撃をかけるような軍事作戦はスンニ派部族が担うという。スンニ派部族は郷土防衛的な意識が強く、アルカイダ系にはイスラム的ジハード(聖戦)の意識が強いが、部族にも厳格なイスラム意識を持つ者たちがあり、スンニ派部族でも、アルカイダ系の組織と連携しているものもあるということだった。

 10年以上も前の取材の記憶をいま、ここに書くのは、イラクでISISが勢力を拡大していると言っても、そのイメージがつかみにくいのではないかと思うからである。ISISがモスルからティクリーを制圧したというと、ISISという過激派集団がいきなりモスルに攻めてきて町を攻略し、さらにティクートに進み、さらにバグダッドも攻略するようなメージを描くかもしれないが、どうもそれはちがう。私は2011年5月に軍情報部の関係者に話を聞いた時には、タウヒード・ワ・ジハードの後身であり、ISISの前身である「イラク・イスラム国(ISI)」は、モスルの郊外やモスルが州都であるニナワ州の町村に拠点を持っていて、住民から通行料を徴収するなど、支配地域を持っているということだった。かといって、モスルは人口200万で、イラク軍の二個師団が駐留している大都市であるから、周辺の町村を拠点とする武装集団が侵攻したくらいでは制圧はできない。モスルの中で、ISISに呼応し、協力する勢力がなければ、都市を制圧することはできないだろう。

 実際に10日にモスルに起こったことについて、12日付の現地紙アッザマンは「ニナワ州の中にいる支持者がテロリストを引き入れた」としてニナワ州の州都モスルの地元の話として、内部に協力者がいたことを報じた。ISISの勢力拡大に、スンニ派地域でシーア派主導のマリキ政権に反発する動きがあることを示している。さらに、イラクメディア「アルマダ」は警察幹部の証言として、「われわれは制服を脱いで私服に着替え、市民に混じって逃げるしかなかった。ISISはあっという間に市内を制圧し、乗っとられた軍の車両が、黒い旗を付けて市内を走り回った」と語った。ISISの武装勢力は3000人とも言われているが、3000人だけでは200万人の都市は制圧できない。外から入ったのは3000人かもしれないが、軍も警察も総崩れになって市から撤退しなければならなくなったのは、モスルの中に協力者や呼応者がいたと考えなければならないだろう。

 その後、サラフディン州のティクリートに向かうのも、ティクリートのスンニ派部族が入ってくるISISと協力したということであろう。ティクリートはサダム・フセインの故郷であり、もし、地元のスンニ派部族がISISを拒否すれば、簡単に制圧されることはありえない。マリキ首相や内務省は、部族にISISとの抗戦を呼びかけたが、部族が抗戦すればISISが入ることはできないということである。先に書いたように、アルカイダ系組織と言っても、外部勢力というだけではなく、地域のモスクを拠点とし、部族の一部にも食い込んでいる。さらに、状況次第で、スンニ派部族とは協力関係をつくることができる。今回、ISISがスンニ派地域で勢力を拡大しているのは、その地域のスンニ派地域の支持と協力を得ているということだろうと考えるしかない。逆に、各地のスンニ派部族はISISが入ってくるのを阻止しようとすれば、ISISは簡単に勢力を広げることはできないということになる。

 この流れて考えるならば、バグダッドの北の都市や町、村がオセロゲームのように、地元の警察を追い出して、ISISの旗を上げることはあり得るだろう。さらにシーア派とスンニ派がともに住んでいる大都市のバグダッドで、スンニ派地域がISISにつくこともありうる。バグダッドではかつてはシーア派とスンニ派の住民は混住していたが、2006年、07年ごろにイラクで吹き荒れたシーア派スンニ派の抗争によって、住民の移動があり、スンニ派地域とシーア派地域に分かれた。バグダッドのスンニ派地区がISIS地区となり、首都が分裂することはありうるかもしれないが、ISISがバグダッドのシーア派地域まで席巻して、制圧するようなことは起こりえない。シーア派地域には強力なシーア派民兵組織もあり、ISISが簡単に入ることができるような状況ではない。もちろん、バグダッドでの銃撃戦や爆弾テロなどが起きて、状況が悪化することはありうるだろう。

 今回のISISの勢力拡大は、ISISが表に出ているが、実際にはシーア派主導のマリキ政権に対して不満を強めるスンニ派部族の反乱という側面があることは無視できない。そうであれば、ISISに対抗するのに、ISISが支配を広げた地域を敵視すれば、スンニ派全体を敵に回すことになる。イラク戦争後の占領と駐留で、米軍が大きな犠牲を出したのは、まさにスンニ派部族とアルカイダ系組織を同じく「テロ組織」として敵視したためである。しかし、米軍は2007年からイラク撤退への出口を探り始め、その過程で、アンバル州などのスンニ派部族と協力関係をつくり、「覚醒委員会」をつくらせて、地域の治安にあたらせる方策をとった。それによって、米軍の死傷者は劇的に減少し、2011年末の米軍撤退完了が可能になったのである。

 しかし、米軍が撤退した後、スンニ派部族は後ろ盾を失ったような形となり、マリキ政権の元では、米軍と協力した部族勢力を治安部隊に組み込む動きも進まなかった。イラクは外貨収入の95%を石油収入に依存する状態で、政権への関与に応じて石油の分配を受ける形になっている。イラク戦争後、マリキ派を含むシーア派勢力が議会の半数を占め、政府の要職や主要省庁を抑えるなか、スンニ派地域は権力からも排除され、石油益の分配でも大きく割を食う形になっている。

 今回のISISによるモスル、ティクリート制圧のさきがけとなったのは、今年1月にバグダッド西方60キロのアンバル州の都市ファルージャが突然、ISISに支配されたことだ。マリキ政権は「対テロ戦争」としてファルージャを包囲して、空爆や砲撃をし、これまでに600人以上が死亡し、4000人以上が負傷する事態になっている。米国はイラクの治安維持についてはマリキ首相に頼るしかなくなり、マリキ政権の「対テロ戦争」を全面的に支持した。ISISについて言えば、米国は、シリアではISISを含む反体制勢力との戦いを「対テロ戦争」として容赦ない攻撃を行うアサド政権を非難しているのに、イラクでは同じことをするマリキ政権を支持したのである。

 さらに、ファルージャと言えば、イラク戦争後に反米攻撃の拠点となり、米軍は2004年と05年の二度にわたって包囲攻撃を行った都市である。米軍は、ドレイミ族など強力な部族の拠点であるファルージャやアンバル州のことは知り尽くしているはずであり、米軍でさえ制圧が難しかったファルージャが、簡単に”外部勢力”のISISに制圧されるはずもないことは分かっているはずだ。つまり、ISISによるファルージャの制圧とは、やはりマリキ政権に対するスンニ派部族の不満の表明という側面は無視できないのである。

 しかし、マリキ政権はファルージャに対しては「対テロ戦争」の論理一辺倒で、米国もそれを支持する形でスンニ派の不満は無視されたことが、今回のISISによるモスル、ティクリート制圧になったと考えることもできる。ISISの勢力拡大というのは、現象にすぎず、その本質は、イラクのスンニ派勢力の政治的、経済的な不満であろう。米国がファルージャの時と同様に、マリキ政権の「対テロ戦争」を支持し、ISISの旗を掲げるスンニ派地域への空爆や砲撃を許し、さらに米軍が新たに何らかの軍事的な関与をするとすれば、イラクのスンニ派地域はますますISISの拠点として、イスラム過激派色を強め、「反米」「反シーア」に動いていくだろう。

 かつて米軍はイラク戦争と戦後に遂行した荒っぽい「対テロ戦争」によって、イラク人の強い反発を招き、イラクで現在のISISにつながるイスラム過激派を呼び込んだ。そのようなブッシュ政権の「対テロ戦争」の誤りをただすために登場したオバマ政権ならば、そのことは十分、分かっているはずである。さらに、いまでも強権的な政府が使う「対テロ戦争」は、現在のシリアであれ、エジプトであれ、イラクであれ、問題を悪化させるだけで、地域の問題の解決にはつながらないことも理解しているはずだ。

 米国は撤退後も、イラクの石油については利権を保持しており、その利権をまもるためにも、マリキ政権を支持し、関係を維持しなければならなくなっている。しかし、米国がマリキ政権と一緒になって、ISISを軍事的にたたくという強攻策をとれば、イラク戦争時の「対テロ戦争」と同様の失敗を繰り返すことになるだろう。本来ならば、今年1月に、「ファルージャ」がISISに占拠されるという異常事態に出会った時に、イラクの安定化のために、マリキ政権に「対テロ戦争」ではなく、不利な立場に不満を募らせるスンニ派と対応することでISISの影響力を排除するような対応をマリキ政権に求めるべきだった。それはスンニ派やクルド人を組み込んで、宗教・宗派間のパワーシェアリングのあり方や富の配分や公共事業の配分などの正常化を実現すべきだった。そのような根本的な対応がなされなかったことが、今回のISISの勢力拡大というより深刻な事態を招くことになったと考えるべきであり、今後の対応も、その反省から出発すべきである。

 ※記事初出: 2014/6/14 中東マガジン(朝日新聞社)


筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、最新刊に『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)。

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