「台湾語」にみる台湾人意識と台湾語愛の高まり
2015年02月05日
台湾映画『KANO~1931海の向こうの甲子園~』を見た。なるほど、昨冬に先行上演された台湾で歴史的なヒット作になっただけのことはある。すとんと胸に落ちる出来ばえだ。
日本統治下の台湾。日本人、台湾人、先住民からなる嘉義農林学校(嘉農)野球部が松山商業から早稲田大学に進んだ近藤兵太郎監督(永瀬正敏)に鍛え上げられ、1931年の全国中等学校優勝野球大会(全国高校野球選手権大会の前身)に初出場で準優勝に輝いた。民族の壁を乗り越えた偉業をほぼ忠実に再現したのが『KANO』だ。
エースで4番打者の呉明捷を演じた曹佑寧さんは名門輔仁大学野球部の主力選手で、2014年秋に台湾で開かれた21U(21歳以下)ワールドカップでベストナインに選ばれたほどの逸材だ。
他の選手を演じたのも本格的に野球を経験した若者ばかり。演技よりまず野球、というのがキャスティングの方針だったという。
「訓練の部分をしっかり撮った方が、勝利の輝きがよりはっきり見えてくる」
この映画の顧問を務めた王貞治・福岡ソフトバンクホークス会長のアドバイスがきいたのか、投げる、打つ、走る、すべての演技はすごみさえ感じるほど切れている。近藤監督の「球は霊(たま)なり、霊正しからば球また正し」という教えが、乗り移ったかのようだ。
近藤監督が熱血指導し、選手たちも力を合わせて甲子園出場を果たす。そんなスポーツ根性物語として『KANO』を見ても感動できる。しかし、時代を振り返れば、多民族チームの躍進は奇跡としかいいようがないのである。
日本の台湾統治は当然のこと、台湾人や先住民の強い抵抗にあった。嘉農が甲子園に出場した前年には、セデック族による大規模な蜂起「霧社事件」が起きた。日本人の台湾人や先住民に対する差別も厳しかった。とても民族を超越するチームなどできる雰囲気はなかったのだ。
映画でも、日本人が台湾人や先住民を差別する場面が出てくるが、近藤監督は野球に民族を持ち込まない姿勢を貫いた。その結果の甲子園出場は、やはり涙を誘わざるを得ない。
時代背景といえば、日本統治下の台湾では学校教育で日本語が使われ、台湾人が普段使っていた台湾語や先住民の言葉は公の場所で使うことが許されなかった。台湾人からすればたまったものではなかったが、台湾語を解さない先住民は日本語で、台湾人や違う言語の先住民と会話できるようになった。
だから『KANO』で使われる言葉はほとんどが日本語だ。台湾語と先住民の言語も時々聞かれるが、現在の台湾公用語である「国語」は聞こえなかった。なぜなら
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