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震災から4年、時間軸ではなく生活軸で考える復興

被災地の家庭や企業の営みから

高成田享 仙台大学体育学部教授(スポーツメディア論)

 約2万人もの命を奪った東日本大震災から丸4年たち、被災地は5年目の春を迎える。

 被災地の復興は進んでいるのか、私たちはいつも時間軸で見てきたが、被災者は、いまをどう生きるかという生活軸で暮らしてきた。復興のテンポが速いに越したことはないが、復興の過程もまた被災者にとっては、「仮の生活」というよりも生活の一部である。

 時間軸を重視した政策は、道路や住宅の建設というハード面に力が入りがちだが、生活軸から考えてみると、生活の支援や、心の支えといったソフト面の政策をもっと考えるべきではなかったのか。

 筆者は、震災で親をなくした子どもたちに学資支援をするNPO活動にかかわっているが、このところ、支援を受けている本人や保護者から「心療内科に通っている」といった話をよく聞くようになった。

 仮設住宅などでの避難生活、働き手を失ったことによる生活不安などがストレスを高めているのではないかと思われる。行方不明になっていた肉親がDNA鑑定で判明したものの、その写真を見て心が落ち込み学校に通えなくなった子どももいる。

 復興庁のデータによると、仮設住宅などで暮らす避難者は2014年11月の時点で約24万人いる。地方でいえば中核都市にあたる数の人々が、いまなお避難生活を続けているということになる。

 避難者の内訳をみると、仮設住宅に住む人が約9万人、みなし仮設などの民間住宅が10万人、公営住宅が2万人などとなっている。学校の体育館や地域の公民館などにつくられた避難所で暮らす人はゼロだから、とりあえずの住環境は整えられているということだろう。

 しかし、仮設住宅の多くは、文字通り仮設の建物で、薄い板1枚で仕切られた隣室の音はまる聞こえの状態で、「隣のテレビの音も、くしゃみもいびきも聞こえてくる」、「電話するときは、ふとんをかぶって話す」といった話を聞くと、長期間暮らせるような住環境ではないことがわかる。

 プライバシーも保てない暮らしが長く続くなかで、ストレスがたまり、心の安定を保てなくなった人も多いと、被災地の精神科医は言う。

昨春完成した災害公営住宅。中庭にベンチが置かれ、偶然顔を合わせた住民同士の井戸端会議が始まるという=17日午後、宮城県女川町2014年春に完成した宮城県女川町の災害公営住宅。中庭のベンチで住民同士が語り合う
 仮設住宅では、新しい自治会を中心にコミュニティーができたところもあるが、震災以前の隣近所の人間関係がなくなり、都市部のマンションのように、隣同士のあいさつもないというところもある。

 新しいコミュニティーをつくるために、地方自治体も、社会福祉協議会や地域のNPOに委託する形で、住民の「見守り」などをしているが、長い年月で築かれてきた地域コミュニティーをすぐにつくることは難しい。

 予算的にも、復興住宅の建設などハード面にかける予算に比べれば、住民のケアにかける費用は十分とはいえないのが実情だ。

 阪神淡路大震災の復興過程では、仮設などでの「孤独死」が大きな問題になった。東日本大震災では、その反省も踏まえて、「地域包括ケア」といった考え方から、被災者の生活を支援するプログラムがいくつも実行されている。

 しかし、「仮設住宅で独り暮らしをする住人が、住宅内で死亡

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