メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

 若者たちが強権体制を拒否して街頭に繰り出してデモを続けた行動主義と、ツイッターや動画サイトを使ったインターネットによる発信は、「アラブの春」の特徴である。

 それは同時に「イスラム国」の特徴でもある。「アラブの春」で広がった若者たちの運動の大きな流れとして、イスラム厳格主義のサラフィー主義の台頭がある。

 サラフィー主義者の大半は平和的な運動であるが、サラフィー主義者の中に「ジハーディ(聖戦主義者)」がいて、シリア内戦を経て、「イスラム国」に参加したと考えるほうが分かりやすい。

 「イスラム法の実施」を求めるサラフィー主義と言えば、欧米の感覚では古めかしい印象かもしれない。それがなぜ、「アラブの春」の後、若者たちに広がったのだろうか。

 一つはイスラムの正義や教えに基づいて黒白をつける「勧善懲悪」を唱える分かりやすさである。

 私はエジプト革命で若者たちがタハリール広場に集まった時に、毎日のように広場に行き、若者たちの話を聞いた。チュニジア、エジプトと若者たちが強権体制をデモで打倒したが、当時から指摘されていたように、若者たちの運動には指導者も、政治的なプログラムもなかった。

 ムスリム同胞団のように組織化されていた若者たちもいたが、多くはツイッターやフェイスブックでばらばらに集まった非政治的な若者たちだった。

若者が唱える「イスラムの実現」

 「アラブの春」での若者たちの政治的な未熟さは、何十年も民衆の政治的な自由を奪っていた強権体制の弊害やつけというべきものだった。エジプトではムバラク体制だけでも30年続き、ムスリム同胞団以外の野党勢力はいずれも無力化されていた。同胞団も公安警察によって抑え込まれ、新聞もテレビも政府の統制下にあった。

 エジプトでも社会主義は政治潮流の主流だった時代があったが、ソ連の崩壊とともに、社会主義の時代は終わっていた。

 アラブ民族主義もまた過去のものだった。欧米的な民主主義については、ほとんどの若者は理解していなかった。むしろ、強権体制は長い間、不正だらけの選挙を実施し、民主主義を形骸化させており、若者たちは投票自体に不信感を抱いていた。

 政治から隔離させられていた若者たちがいきなり、タハリール広場に集まって、政治について考え、話すことになった。私が広場で話を聞くと、若者たちは熱っぽく「革命の貫徹」を主張したが、その革命が目指すものについて聞くと、出てくる答えは、社会的な公正の実現や、腐敗の一掃、貧困問題の解決など漠然としたものであり、結局、「イスラムの教えの実現」だった。

 イスラムは、貧困者や孤児、病人の救済を信者の義務としており、「社会的な公正」を実現することが、為政者の使命となる。宗教でありながらも、現世的な政治や社会のルールをも含んでいる。

 長年、政治についての自由な議論が制約されていても、イスラムの教えや理想は人々の間に浸透している。

 だからこそ、社会的な公正を大きな柱とする「イスラムの実現」は、エジプト革命でタハリール広場を埋めた若者たちにとっても、誰もが主張するスローガンとなった。サラフィー主義は、それをより明確に、力強く、厳格に唱えるものであり、格差と腐敗、不公正が広がっている社会を根底から変えようとする「革命性」を体現するものだった。

ムスリム同胞団は旧態依然

 エジプトでは「イスラムの実現」を唱えるムスリム同胞団が国内最大の穏健派イスラム組織だった。同胞団は選挙では勝ったが、革命によって政治に目覚めた若者たちのエネルギーを吸収したわけではない。

 同胞団は1928年の創設から80年以上たち、考え方も組織としても伝統的なイスラム組織だった。最高幹部世代は70代であり、60代の幹部世代が固めていた。町や村に支部の代表があり、それをまとめる市や郡の代表がいて、県本部、中央本部とピラミッド的な組織になっている。組織としては上意下達で、20代、30代の若者の発言力は弱かった。

 若者が新たに同胞団に参加しても、正式メンバーになるためには、コーランの勉強会や団の社会活動に積極的に参加して、5年、10年の活動実績を認められなければならなかった。

 革命後に、ムバラク体制時代の富裕層や、軍と妥協する同胞団指導部に失望して、同胞団を離れた元幹部や若者たちが増えた。ましてや、「アラブの春」でいきなり政治に目覚めた若者たちの目には、ムスリム同胞団は、旧態依然とした組織に見えたことだろう。

食い違う「アラブの春」に対する視点

 「アラブの春」では若者たちが「強権からの自由」を掲げたことから、欧米や日本でも世俗的なリベラルの考えに基づいた運動だと見る傾向が強かった。

 しかし、サラフィー主義者にとっては、「自由」の要求や「革命の遂行」と「イスラム法の実施」の要求は矛盾しないのである。彼らは、決して少数派ではなく、むしろ「アラブの春」の主流の一つである。

 サラフィー主義者の大群衆を目の当たりにすると、欧米や日本人は「アラブの春」を見る時に、自分たちの価値観をアラブの若者たちに投影しただけで、実像は全く異なるのではないか、という疑問さえを抱かざるをえない。

 同様に「アラブの春」で自由を叫んで、強権体制に対してデモを起こした若者たちと、過激派組織「イスラム国」に集まる若者たちは、欧米や日本から見れば、全く別のものと見えるだろう。しかし、「アラブの春」の一つの要素が、サラフィー主義者の台頭であることを知れば、「イスラム国」は、「アラブの春」とつながる若者の運動であるという流れも見えてくる。

チュニジア革命の発祥地

 「アラブの春」の後の「サラフィー主義の台頭」はエジプトだけの現象ではない。もともと「アラブの春」の発端となったチュニジアやリビアでも同様である。今年2月にリビアの東部でサラフィー主義の勢力が「イスラム国」を宣言したのは、その流れの中にある。

 2012年11月に「アラブの春」の発祥の地であるチュニジア地方都市シディブジドを訪ねた時 ・・・ログインして読む
(残り:約4749文字/本文:約7232文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。
Journalismの記事も読めるのは全ジャンルパックだけ!


筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、最新刊に『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)。

川上泰徳の記事

もっと見る