「福祉の街」への変貌
2015年04月06日
先日、関わっている日本政策学校の活動の一環で、「山谷」の現場を視察させていただく機会を得た。現地で活躍するNPO法人山友会の由井和徳理事やボランティアの方々の説明を受け、現地を見せていただいた(注1)。
当日説明を受けた資料には、次のように書かれている。
「昭和30年代の高度成長期には、土木・建設作業や港湾労働への労働需要が高まり、山谷地域には多くの日雇い労働者が集まりました。昭和39年の東京オリンピック開催に向けて進められた都市基盤の建設・整備は、山谷地域の日雇労働者の力なくしてはあり得なかったとも言われています。
バブル崩壊以降の長引く不況から、日雇労働者の多くは路上生活者となり、2000年代には1000人近い人々が山谷地域で路上生活やテント生活を送っていました」(注2)
これが、私も含めた多くの方々の「山谷」のイメージであろう。
ところが、「山谷」の現在は大きく変貌しているようだ。
いま「山谷」は、ホームレスの人々や生活保護を受給する人々が多く集まり、生活する場になっている。
これは、上記の昭和30年代以降にホームレスに対する政策が施行され、生活保護制度などの活用により、路上生活者が減ってきたからだという。確かに、私が現地を見学した際にも、路上生活者は非常に限られた数しか見かけなかった。それどころか、近隣には一般の方々が住む新しいマンションもできていた。
他方、多くの元日雇労働者は、生活保護を受け、身寄りがなく、簡易宿所(素泊まり旅館のようなものでエコノミー・ホテルあるいは、「ドヤ」と呼ばれ、その多くは1泊2200円程度。その金額は生活保護で受けられる宿泊費用の限度を基準に決められている)を利用しているとのことであった。
このように、「山谷」は、「日雇労働者の街」から「福祉(特に高齢者福祉)の街」となっており、課題も大きく変わっているのだ。これは、現場をみることができたからこそ、わかったことだ。
ご存じのように、「山谷」は、江戸時代は江戸の入り口にある宿場街で、処刑場が設置されていたり、また被差別集落もあったりという歴史を抱えている。さらに、上述したように、路上生活者や日雇労働者の街という、どちらかというとマイナスのイメージが付きまとっている。
だが、筆者が今回の視察で最も驚いたのは、
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください