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イエメン内戦:初めての紛争地取材

 私の最初の紛争地取材は、1994年にカイロに赴任してすぐの5月に始まったイエメン内戦である。

 冷戦中に南北に分裂していたイエメンが冷戦終結後、統一したが、結局分裂して内戦となった。私は北イエメンの首都のサヌアに入り、外国人ジャーナリストが集まっているホテルに宿泊した。国防省に行って、前線ツアーがないかどうか聞いたら、ちょうど、その日の夜、出発するということだった。

 1カ月前にカイロに赴任したばかりで、紛争地取材の経験もなく、前線ツアーといっても想像がつかない。余りに急なことで、心の準備もできていないし、カイロの総局に連絡し、東京にも連絡しなければならない、と考えた。

 しかし、カイロから来ているロイター通信のイギリス人の記者が即座に参加すると答えて名前を登録したので、私も一緒に登録した。

 出発は夜8時ごろ。参加したのは私とロイターの記者の他に、アラブ人のラジオ局の記者2人の計4人。国防省の報道担当が同行する。

 軍の四輪駆動車に乗り込んで、南下した。タイズというイエメンの古い都にある軍の宿舎で1泊し、翌日早朝出発した。

 タイズの町を出るところで車はガソリンスタンドに入った。燃料の給油を終えてから、運転手は車体に廃油を塗った。その上に、砂をかける。車全体が砂の色に覆われた。攻撃されないように車体の色を目立たないようにしているのだ。初めて、前線に向かうということを実感して、いきなりの緊張で身震いするようだった。

いきなり遭遇した戦場

 しばらく南下していくと、「アデンまで150キロ」の道路表示があった。アデンは南イエメンの首都だ。それから道路わきに黒こげになった軍用車両の残がいがつぎつぎに現れた。同乗している報道官が「南の戦闘機の仕業だ」と説明する。「アデンまで65キロ」の表示にさしかかったところで、道路横に、南の空に狙いを定めた5門の大砲を見た。

 「さあ戦場だぞ」と運転手が言った。

 下り坂から前方の視界がぱーっと開けた。飛行場を擁する東西約10キロはあるアナド軍基地の全景が、目の前に広がった。アナドは、北イエメンから旧国境を越えて連なる山岳地帯とアデンを結ぶ主要道路の合流点に当たる。

 この先は、北軍が制圧を狙うアデンまでは50キロ余しかない。その基地をどちらが押さえるかが内戦の帰すうを決める。この基地の攻防戦が内戦の天王山だった。

 基地まで2キロの地点に来た時、道路横の大砲が突然「ドカン」「ドカン」と地を揺るがせ始めた。車が急停車し、訳が分からないまま、慌てて車を飛びだし、近くの木の下に身を隠した。

 「南の飛行機だ。身を伏せろ」と案内人がどなる。その言葉が終わらないうちに、周囲で火器がいっせいに火を噴いた。

 腹這いになったまま、周りを見回すと、さほど遠くない後方の灌木の間に軍の大型車両に積まれた箱型の発射台が見えた。

 「シャーッ、シャーッ」という音をたてて、銀色のミサイルが次々と空に向けて発射されていく。まるで映画を見ているような、現実のものとは思えない光景。対空砲、地対空ミサイル、連射式ロケット砲……大音響が耳をつんざいた。気づいたら自分が戦場のまっただ中に入っていたのである。

 砲撃音が止まり、沈黙が広がる。その時、上空で「ゴー」という不気味な爆音が頭の上を遠ざかっていくのが聞こえた。見上げると、前方のアナド基地の一角から爆撃による黒い煙が立ちのぼった。空からと、地上からとの激しい応酬が続いているのだ。

 私たちは戦場とは日常の世界とは区別された場所と考えている。戦闘地域と非戦闘地域に境があると思っているが、私が初めて遭遇した前線は、一瞬で自分のいる場所が戦闘地域に変わった。

スカッドミサイルの着弾

 前線からサヌアに戻ってきた後、南軍が発射した旧ソ連製のスカッドミサイルがサヌア中心部に撃ち込まれた。午後8時半ごろ、私はちょうどホテルで夕食をオランダ人のベテランの記者と食べていた。大音響とともにガラスがびりびりと震えた。

 オランダ人記者とホテルを出て、一緒に着弾地点に向かった。外に出ると市民も着弾地点の方に向かっていて、一緒に歩いた。どうしても気がせいてきて、私が駆けるような早足になると、オランダ人記者が「危険だから、走ってはいけない」と私を制した。「焦らないで、よく周りをみながら、注意して現場に近づかねばならない」と教えてくれた。

イエメン内戦で南から飛んできたスカッドミサイルの着弾地点にできた瓦礫の山=1994年5月、サヌアで川上撮影拡大イエメン内戦で南から飛んできたスカッドミサイルの着弾地点にできた瓦礫=1994年5月、サヌア=撮影・筆者
 どこの現場でも日本人、外国人にかぎらず、ジャーナリストと会うことは多い。ジャーナリストは互いに情報交換をし、その土地のことや、中東での取材のノウハウを教えてもらうことも多い。

 それから私は、数えきれないほどの紛争の現場を踏んだが、「現場に向かうときは走るな」は鉄則である。

 もちろん、危険に遭遇したら、安全な場所に逃れるために走るしかないこともあるが、現場に向かうときは、危険がどこに潜んでいるか分からないから、用心する必要があるのだ。

 この時のスカッドミサイルの着弾地点はホテルから1キロほどの場所で、15分ほどで現場に着いた。近づくにつれて、家のガラスが割れているのが分かり、着弾地点が近いことが分かる。

 さらに近づくと、窓枠が飛んでいる。着弾地点は瓦礫の山となっていた。現場は、国立病院や政府迎賓館、中国大使館などが近くにある官公庁街。軍と群衆でごったがえし、次々と駆けつける救急車のサイレンが鳴り響き、殺気立っていた。

 3階建てのビルが斜めに崩れ落ちているのが見えた。近づくと台所やベッドがむきだしになっている。市民や住人が瓦礫を登って3階に達し、家財道具を運び出そうとしている。

 道路反対側の2階建ての民家も表の壁はなく、家の中は瓦礫で埋まっている。瓦礫の山だけの所もあり、人々が突き出した木材などを引っ張り出し、くずれたれんがを運び出していた。近くの住民が「ここには2棟があったが、すべて崩れた」と話した。

現場のディテールを伝える

 スカッドミサイルに搭載する弾頭は500キログラムと見られるが、破壊力はすさまじいものである。 ・・・ログインして読む
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筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、最新刊に『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)。

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