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[8]テロから離れてイスラム社会に目を向ける

川上泰徳 中東ジャーナリスト

ムスリム同胞団を追って

 いま、中東でイスラム過激派組織「イスラム国」(IS。以下「イスラム国」)が問題になっているが、「イスラム」は90年代の中東報道でも重要なキーワードだった。

 当時、イスラムの関連では、▽90年代初めからエジプトで観光客襲撃を始めた「イスラム集団」、▽パレスチナでオスロ合意を拒否して自爆テロを含む武装闘争を続けたパレスチナのハマス、▽軍とイスラム過激派の衝突が続いたアルジェリアなどがニュースの中心になった。

 イスラム過激派のテロのニュースだけを見れば、「イスラム」は恐ろしいというイメージが広がってしまう。過激派が「イスラム」の名のもとに、テロを起こしていることも否定できない事実であるが、テロが起こる理由として、国家権力の警察や軍隊による暴力があるということも、もう一つの事実である。

 90年代にテロが起こったエジプトでも、アルジェリアでも、強権国家のもとで、政治的な自由がなく、政府を批判する組織や個人に対しては、秘密警察による弾圧、不当逮捕、拷問などという暴力があった。

 特にアルジェリアではイスラム政党が勝利していた議会選挙を軍が無効にした後で、抗争が始まった。パレスチナのハマスのテロの背景には、イスラエルによる軍事占領がある。

 テロを非難するとともに、テロを生み出している強権体制の弾圧や軍事占領という国家の暴力も批判の対象にしなければ、暴力が続く構造は分からない。

 そのため、イスラム過激派のテロを離れて、イスラムとはどのような宗教か、宗教と政治はどのように関係しているのかなどを理解しようと思った。

 イスラムと政治の関係を知ろうとして、焦点を当てたのはエジプト最大のイスラム組織「ムスリム同胞団」である。

 1928年にエジプトで創設されたイスラム組織で、1940年代には武装部門を抱え、1948年の第1次中東戦争にはパレスチナ支援で義勇兵を送ったこともある。しかし、50年代、60年代のナセル大統領時代に非合法化され、弾圧された。

 1970年にナセルが死に、後継者となったサダト大統領は投獄されていた同胞団幹部やメンバーを釈放し、暴力放棄を約束させて、非合法のまま活動の再開を黙認した。その後、同胞団は貧困救済や母子家庭の支援、医療活動など社会活動を行い、選挙による政治参加をめざす穏健派となった。

 同胞団は、80年代半ばから法律的には非合法組織のまま、医師組合、技師組合、法律家組合などの職能組合の執行委員会選挙で勝利し、既存の政党と協力して国政選挙に参加することで、野党の実質的な最大勢力となっていた。

 ムスリム同胞団と言えば、イランのようにイスラムの宗教者が指導している団体のように聞こえるかもしれない。現地にいる欧米人や日本人にも、そのように考えている者が多かった。

 しかし、実際に取材をしてみると、医師や弁護士、ビジネスマン、大学教授など、宗教者ではないインテリや富裕層が多く、地方の地主や名望家なども多いことが分かった。

 同胞団の関係者にインタビューをし、実際の活動も取材することから始めた。私がカイロに赴任した1994年は、政府による同胞団への弾圧が厳しくなった年であり、95年1月に同胞団メンバー100人近くが逮捕され、9月には軍事法廷に移されて裁判が始まった。

 容疑は政治活動が禁止されている同胞団の最高指導部の再組織を企てたということである。被告のなかには、前国会議員のイサム・エリヤン医師会事務局次長ら同胞団の40代の中堅指導的メンバーが多かった。民間人を軍事法廷に送致したことには国際的な人権組織から非難の声があがった。

同胞団系の病院を取材する

 同胞団の系列に「イスラム医学協会」という組織がある。エジプト各地で20近くの病院を経営している。病院のほとんどは貧しい地域にあり、住宅ビルの中で夕方から夜中まで開業している。

 エジプトの医師のほとんどは昼間、政府の病院で安い給料で勤務し、夕方以降、自分のクリニックや私立病院で働いて稼いでいる。エジプトの政府系の病院は無料化されているが、ほとんどは設備も悪く、医薬品も十分でなく、人々の不満は強い。

 <カイロ・ギザ地区のオムラニア病院は、エジプト最大のイスラム政治運動組織、ムスリム同胞団系の病院だ。ごちゃごちゃした下町のビルの中にある。他の病院と違って、ここは午後8時に始まり、深夜まで診察を受け付ける。
 夜10時だというのに、待合室は順番を待つ患者でいっぱいだ。近くに住むパン職人、アーデルさん(27)は、手首の痛みを診てもらいに来た。なぜこんなに込むのかたずねると、「安い、腕がいい、差別がない」と即座に答えた。
 ビルの2階と3階を使っているが、外科や内科だけでなく、小児科、婦人科、歯科まで11科目。X線設備があり、手術室は二つ。近く人工透析も始まる。3階は入院施設で、10ベッドある。
登録している医師の数は約50人。それが常時約10人ずつ交代で勤務している。公立病院に勤務する専門医がほとんどで、大学医学部の教授もいる。診察料は平均4エジプトポンド(約120円)と、私立病院の10分の1だ。失業者や生活困窮者は無料である。
 待合室に入ってすぐのところに白い箱がある。「貧しい患者のための箱」と書かれており、表には「自分が欲しいものを施せ」というコーランの文句があった>(1996年5月15日付「朝日新聞」朝刊)

 同胞団系の病院はわずかな受診料をとり、しっかりとした医療体制をとっている。

 同胞団系の病院はどこに行っても、待合室や廊下が患者でにぎわっている。「困窮している人々からはお金はいただかない」という方針も共通していた。勤務する医者は、同胞団のメンバーや支援者である。

混雑するムスリム同胞団系のクリニック=1995年、カイロで、撮影・筆者混雑するムスリム同胞団系のクリニック=1995年、カイロで、撮影・筆者
 取材は、夜、同胞団と近い人間と一緒に病院を訪れて、病院長や医師に話を聞きたいと取材を申し込む。

 政府の弾圧が強まっている時でもあり、病院は「同胞団とは無関係」という立場をとっている。見知らぬ日本人のジャーナリストが取材に行っても、最初は取り付く島がなかった。

 病院があるアパートの入り口には、いかにも私服の公安警察と分かるような黒いジャンパーを着た男たちが立って、ビルの出入りを見張っている。

 嫌がられながらも、2、3回訪ねるうちに、医師からも少しずつ話を聞くことができるようになる。

 話をしてくれると言っても、政治と関係する話は全く出ないが、医者は同胞団系の病院で働いて困窮している人々を助けることが「神の教えの実践だ」と語った。

 私立病院で働くよりも報酬は少ないが、「ご褒美は神様からいただく」と答えた。

 診察の合間に話を聞くことができた医師に、昼間に話を聞きたいと頼んだ。

 その医師は昼間に彼が務めている病院で会うことを了解した。昼間務めている病院は国立のがん専門病院で、がんの専門医だった。エリート医師である。

 後日、病院に医師を訪ねて、手術を終えた医師に話を聞いた。

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