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沖縄対安倍政権、政府間紛争をどう見るか(下)

「大和の国」に問われている政治の質とその理念

小林正弥 千葉大学大学院社会科学研究院教授(政治学)

占領支配を連想させる「力」の政治の「上から目線」

 翁長雄志―菅義偉会談の翌日の4月7日、菅官房長官は「粛々」という言葉を封印するとしたが、中谷元防衛相は「粛々」に代えて「予定通り堅実に工事を進めたい」という言葉を使った。

 そして、安倍晋三首相は8日に「粛々」という表現を参院予算委員会で使い、その翌日に「あえて私も使う必要はない」と述べた。しかし、「堅実に」という表現はさほど「粛々」と差がないように思われるし、安倍首相の発言にも真剣な反省は見られない。

 ここには、安倍政権の強権的姿勢が現れている。

 NHKや報道ステーションをめぐる問題のように、このような政権の強権的姿勢は本土でも顕著になりつつあり、「言論の自由」への脅威が論じられている。安倍政権の「独裁化」という議論が、国内でも国際的にもますます真実味を帯びて論じられつつあるのである(「閣議決定後の日本政治をどう捉えるべきか?――[10]権威主義化による本当の民主主義の終焉」)。

「辺野古基金」設立の記者会見に同席した沖縄県の翁長雄志知事(中央)=9日、那覇市20150409拡大「辺野古基金」設立の記者会見に出席した沖縄県の翁長雄志知事(中央)=2015年4月9日、那覇市
 だから、沖縄問題に対してもこのような「力」の姿勢が現れることは不思議ではない。

 しかし、こと沖縄問題に関しては、この姿勢は本土以上にさらに大きな問題を孕んでいる。

 このような日本政府の姿勢を、キャラウェイ高等弁務官の例を出して知事が批判したように、日本政府の「力」による強行姿勢は、占領地や植民地に対する支配国や宗主国の態度を連想させかねない。この沖縄県民の感覚は決して軽視できない。

 そもそも、「日本民族」が単一民族であるというのは神話であり、沖縄県について言えば、琉球王国がかつて存在し、沖縄の文化には本土の文化とは異なる側面が存在し、「琉球民族」という概念を主張する人もいる。

 実際、沖縄県民には、「日本国民」としての意識とともに、「沖縄人」としての意識も色濃く存在するのである。

 だから、沖縄については特にこの二重の歴史的・文化的アイデンティティーの存在を無視してはならない。つまり、日本における多文化主義的側面が沖縄には確実に存在するのである。

 そこで、ウチナーンチュという言葉に表れているような地域の民族的感性が刺激されれば、本土のヤマトンチュの政府の高圧的姿勢は、異民族支配を連想させるような傲慢な姿勢に見えてしまうだろう。

 これは、問題をさらにこじらせてしまい、基地問題の解決をさらに困難にしてしまう。さらに深刻になれば、

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筆者

小林正弥

小林正弥(こばやし・まさや) 千葉大学大学院社会科学研究院教授(政治学)

1963年生まれ。東京大学法学部卒業。2006年より千葉大学大学院人文社会科学研究科教授。千葉大学公共研究センター共同代表(公共哲学センター長、地球環境福祉研究センター長)。専門は、政治哲学、公共哲学、比較政治。マイケル・サンデル教授と交流が深く、「ハーバード白熱教室」では解説も務める。著書に『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう(文春新書)、『サンデル教授の対話術』(サンデル氏と共著、NHK出版)、『サンデルの政治哲学 〈正義〉とは何か』(平凡社新書)、『友愛革命は可能か――公共哲学から考える』(平凡社新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『神社と政治』(角川新書)など多数。共訳書に『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業』(ハヤカワ文庫)など。

 

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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