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セウォル号事故から1年、韓国社会の苦悩(上)

日本と韓国、「印象のずれ」

伊東順子 フリーライター・翻訳業

メディアが作る印象と現地在住者

 「セウォル号沈没事故から1年ということで」と、原稿を頼まれたときはちょっと悩んだ。

 この事故は日本のメディアにとってもいまだ大きな関心事項らしく、1周年にあたっても多数のスタッフが現地を訪れて取材をすると聞いていた。私などが、あえて書くことはあるのだろうか。現場海域にチャーター船まで出して取材できる大手メディア以上のことができるはずもなく、ならば自分の仕事に時間を使った方がいいのではないか、と思った。

 とはいえ2014年、この事故が起きた直後、日本のメディアがあまりにも頓珍漢な報道を続けることに耐え切れず、勢いで書いたブログが身近な人々の間で話題になり、それがもとでこのWEBRONZAでも書くことになった。それを思うと、これを機会にここでもう少し発言したいという思いもある。

 伝えたいことは「印象のずれ」、とでも言おうか。どうも日本で報じられる韓国の様子が、現地で感じるのと違う気がするのだ。

 メディアによって作られる印象と現地の状況に「ずれ」が生じることはよくある。

 たとえば台風報道などでも、ニュース映像から伝わる大変な状況に心配して電話してみると、実はそれほどではなかったということなど。ただ、日韓では時にそれが政治問題に深刻な影響を与えたり、国内マイノリティーへの偏見に結びつくこともある。その意味で、角度の違う見え方を補足するのは大事なことかもしれない。

 切り取られる映像や少ない字数内にまとめられる報告には、その背景に何倍もの分量の日常がある。それを知る現地在住者は、多少なりとも「ずれ」を補正できるかもしれない。

 また、字数とともに会社の方針にも縛られる記者の皆さんの、個々の思いも少しは知っている。それを代弁することも、自営業者の仕事として多少の意味があるかもしれない。

寡黙な人々

 そこで、まず伝えたいことは、「人々は常に寡黙だった」ということだ。

 メディアでは過激なデモや警察の弾圧の様子ばかりがクローズアップされ、「韓国人はなんで静かに追悼できないんですか」と言う人までいる。

 でも、この1年間、韓国の人はとても寡黙だった。

セウォル号沈没事故の犠牲になった級友らの弔問のため、合同焼香所を訪れた檀園高校の生徒ら=韓国・京畿道安山市拡大セウォル号沈没事故の犠牲者の弔問で焼香所を訪れた檀園高校の生徒たち=韓国・京畿道安山市
 2014年の事故以来、私自身も韓国の一般市民と同じように、追悼の場に何度か足を運んだ。

 ソウル市庁前広場の追悼会場、犠牲となった高校生たちが暮らした安山市、今も遺族や支援者による抗議行動が続く光化門広場。そして事故があった珍島のパンモク港、そこにあったのは圧倒的な「静けさ」だった。

 「亡くなった子供たちが可愛そうで、家にいても涙が出てくるし……」

 安山の慰霊会場に向かうバスで隣り合った人は一言だけそう語った。

 「寒かったら、中にお入りください」

 珍島で海を見つめる私達家族を店の中に入れてくれた人は、それ以外何も語らなかった。

 メディアの行く先々は常に怒号や叫びにあふれていたかもしれないが、一般市民の取り組みはそれとは正反対だった。

 事故はあまりにも残酷で、失った悲しみははかりしれない。言葉は重ねるほど空虚に響く。どこから来たのか、どういう立場なのか、お互いに何も聞かない。「みんな悲しみの共同体の中にいる」、と思っていた。しかし、その幻想がそもそも間違いの始まりだったのかもしれない。

静かな追悼は引き裂かれた

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筆者

伊東順子

伊東順子(いとう・じゅんこ) フリーライター・翻訳業

愛知県豊橋市生まれ。1990年に渡韓。著書に『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)等。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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