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 パレスチナ人の反占領闘争が始まって、ヨルダン川西岸やガザでは毎日どこかでパレスチナ人とイスラエル軍の衝突があった。

 パレスチナ人の中高生を含む若者たちがイスラエル軍の検問にデモをかける。若者たちの投石が始まり、イスラエル軍は催涙弾やゴム弾、プラスチック弾を撃ち始める。さらに、実弾が撃たれ、デモ隊に死傷者が出ることも珍しくない。

 ラマラやベツレヘム、ナブルスなど西岸にあるパレスチナの都市は自治区だが、周辺の村々はイスラエル軍の支配下にある。町はずれにはイスラエル軍の検問がある。西岸でもガザでも、占領地にユダヤ人入植地が増え続け、それをイスラエル兵が守って検問をつくる。オスロ合意によって自治区ができてパレスチナの都市部からイスラエル兵はいなくなったが、まわりは軍の検問に囲まれている。

 ヨルダン川西岸やガザに行けば、占領下にあるパレスチナの若者たちの息苦しさは理解できる。一方で、検問で自動小銃を構えている若いイスラエル兵は、命令で動くロボットにしか見えない。

 イスラエルの若者たちについて知りたいと思ったのは、2001年8月にイスラエル軍の兵役を拒否して、軍刑務所で服役した若者に話を聞いてからだ。前年9月にインティファーダ(民衆蜂起)が始まって11カ月で300人以上が軍務を拒否し、17人が軍刑務所に服役したというイスラエル紙の記事を読み、支援する平和団体を通じて、その一人に話を聞いた。

 イスラエルではアラブ系市民以外のユダヤ人は高校卒業後に男は3年間、女は1年9カ月間の兵役義務がある。兵役期間が終わって、45歳まで予備役があり、1年に1カ月は兵役につかねばならない。

 私が話を聞いたのは、予備役の軍務につくことを拒否して、軍刑務所に収監された大学生リブネ(27)だった。

 テルアビブのショッピングセンターで話を聞いた。リブネはヨルダン川西岸での軍務を拒否し、指揮官に呼ばれ、56日間の服役を命じられたという。

 リブネは高校卒業後、義務兵役でガザに派遣された。自治区にあるユダヤ人入植地の子どものスクールバスの行き帰りの護衛が任務だった。

 平穏だったが軍は検問所を設け、パレスチナ人の通行を監視した。民衆を抑圧する軍の実態を自ら体験した。その後、パレスチナ人のインティファーダが始まり、占領地で投石をする少年たちを軍が銃撃する事態になった。予備役招集が来た時、軍務拒否を決めた。

 「イスラエル軍はパレスチナ人が働いたり、教育を受けたり、病院に通ったりするのを抑圧している。入植地も国際法上は違法だ。それに抗議する民衆を傷つける立場に自分を置きたくない」

 それまで西岸やガザで検問をするイスラエル兵が自分たちの任務に複雑な思いを持っていると考えたことはなかった。リブネの話を聞いて、初めて占領に関わる胸の内を聞いた。

「裏切り者」「憶病者」

 この取材をした直後の9月に高校生62人がシャロン首相に徴兵拒否を告げる手紙を書いたという出来事があった。その時に手紙を送った高校生たちに連絡をとって話を聞いた。

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筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』(岩波書店)、『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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