メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

ジェニン侵攻

 2002年春のイスラエルによるヨルダン川西岸への大規模侵攻で、世界の関心が最も集まったのは西岸北部のジェニンへの侵攻である。ここではイスラエル軍とパレスチナ武装勢力の間で最も激しい戦闘が繰り広げられた。私もこの時に、2度、ジェニンを取材した。

 2002年春のジェニン侵攻は、4月1日に始まり、イスラエル軍による「虐殺」としてニュースになった。

 イスラエルメディアはイスラエル側の死者が200人、パレスチナ側は500人の死者と伝えた。イスラエル軍は最終的に23人の兵士がジェニンで死に、第2次インティファーダで1カ所としては最多の死者となった。パレスチナ側の武装戦士の死者も20人台で、戦車や装甲車を持つイスラエル軍に対してパレスチナ側が捨て身の自爆攻撃によって互角に戦ったことを示す。

 イスラエルの新聞がジェニンで闘う兵士の声としてジェニンの戦闘を「悪夢」と伝えていた。「戦いが始まって以来、爆弾攻撃や銃撃が止まったことは一瞬としてない」「相手は女、子供に隠れて攻撃してくる」「自殺攻撃をしかけてくる武装勢力がいる場所で兵士を動かす軍隊が世界中のどこにいるのか」などというものだ。

 私はイスラエル軍がジェニンを制圧した4月11日にジェニンに入った。

 イスラエルからジェニンに入る幹線道路はすべてイスラエル軍によって閉鎖されている。

 イスラエルとヨルダン川西岸は「グリーンライン」と呼ばれる1948年の第1次中東戦争の停戦ラインに沿った境界線がある。いまではグリーンラインの内側にイスラエルが建設した「分離壁」があり、イスラエル国内から西岸に入ることはできないが、当時はまだ「自己責任」で行き来はできた。グリーンラインを歩いて越えて、ジェニンに近い村まで行き、そこでパレスチナのタクシーを雇って、ジェニンを目指すのである。

2002年4月のイスラエル軍によるジェニン侵攻による破壊を伝える記事=2002年4月12日付、朝日新聞朝刊拡大2002年4月のイスラエル軍によるジェニン侵攻による破壊を伝える記事=2002年4月12日付「朝日新聞」朝刊
 しかし、ジェニンへの入り口はすべての道がイスラエル軍による検問に阻まれている。特に戦いが繰り広げられたジェニン難民キャンプに入ることはできず、難民キャンプを見下ろす高台から、なお煙が立ちのぼるキャンプを見下ろすだけだった。

 まだひっきりなしに重機関銃の連続音が聞こえる。交戦している様子はなく軍の一方的な威嚇のようだ。

 「あそこに学校が見えるだろう。難民キャンプで拘束された者たちが一時集められた場所だ」

 パレスチナ人の案内人が眼下に広がる都市の一角を指さす。ジェニン市の西2キロにあるビルキン村の高台が難民キャンプに最も近づける場所だ。

 ジェニンに入る道路にあるイスラエル軍の検問所で、兵士が報道関係者の立ち入り禁止を告げた。「戦闘はまだ終わっていない」という。

 そこで、ジェニン難民キャンプから逃れてきた住民約500人がいる隣接するルンマナ村で取材をした。

 <難民たちが身を寄せるモスクの前で「これを見てくれ」と男性(35)が両腕を挙げた。両手首に手錠の傷跡が残っていた。「イスラエル兵が5日に家に乗り込んできて、下着だけにされ、後ろ手に手錠をかけられた。目隠しをされて4日間、水も食べ物も一切与えられなかった」と語る。別の23歳の若者は、5日のイスラエル軍の銃撃で高校生の弟と母親を失った。弟は部屋にいて壁を貫通した銃弾を肩口に受けた。母親は医者を呼ぶために表に出て銃弾を頭に受けた。弟も深夜に死亡。若者は翌朝、拘束された。「父親のことが心配だ。しかし、キャンプに戻れば、命の保証はないと軍に警告された」と語る。イスラエルは死んだのは武装勢力と発表しているが、若者は「でたらめだ」と否定した。
 イスラエル軍は11日も赤新月社などの医療チームの難民キャンプの立ち入りさえ禁じている。「虐殺を隠すために工作をしているのではないか」などという疑念がパレスチナ人の間で強まっている>(2002年4月12日付「朝日新聞」)

目を疑った難民キャンプの光景

 最初にジェニンを目指した1週間後に、ジェニン難民キャンプを再度目指した。同じくグリーンラインを歩いて越えて、西岸に入り、ジェニンの入り口までたどり着いた。

 イスラエル軍の検問はまだあったが、避難していた難民キャンプの住民の出入りは許され、検問を避けて入ることもできた。外国人ジャーナリストは、イスラエル兵に見つかればパスポートを取り上げられて、2度と取材ができなくなる。

 一つの検問を越えても、次の検問で見つかることもある。どのようにして難民キャンプに入ろうかと考えながら、出入りする難民たちの話を聞いていた。

 「イスラエル兵がどこにいるかは分かっているから、私たちの間に入って一緒にくればいい」と、十数人の家族を率いる父親から言われた。イスラエル兵が見張っている場所では家族が私の目隠しになってくれたおかげでキャンプの中に入ることができた。

 ジェニン難民キャンプの光景は、目を疑うようなものだった。 ・・・ログインして読む
(残り:約8734文字/本文:約10747文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』(岩波書店)、『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)など。

川上泰徳の記事

もっと見る