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「憲法記念日」は本当は11月3日のはずだった

施行日の「5月3日」になった理由

伊藤千尋 フリー・ジャーナリスト

 日本の憲法記念日は、世界の常識から見れば風変わりだ。

 普通、どこの国も憲法を制定した日が「憲法が生まれた日」であり、憲法記念日を設ける場合は制定の日を記念日としている。

 1787年9月17日に作成され88年に発効した米国の憲法は「1787年アメリカ合衆国憲法」と呼ばれ、9月17日が米国の憲法記念日だ。「スペイン1978年憲法」は1978年12月6日に国会で可決され29日に施行されたもので、制定された12月6日がこの国の憲法記念日である。

 日本国憲法は1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行された。世界の常識から言えば、本来は11月3日が憲法記念日になるはずである。どうして施行の日が記念日になったのだろうか。

 実は11月3日を憲法記念日にしようと奔走した人がいる。1948年に国民の祝日法案を審議した参議院文化委員会の委員長だった山本勇造議員だ。

参院議員時代の山本有三=1950年拡大参議院議員時代の山本有三(勇造)=1950年
 この名は知らなくても、ペンネームの山本有三ならよく知られている。『路傍の石』『真実一路』『女の一生』などの作品で名高い作家だ。

 彼は1947年の第1回参議院議員選挙の全国区に立候補し、9位で当選した。

 その彼が1960年11月6日の「朝日新聞」に、憲法記念日が決まったいきさつを書いている。

 戦後の占領下にあった当時、1948年は連合軍総司令部(GHQ)の日本政府への干渉が最も厳しい時だった。

 山本が世界の通例に沿って11月3日を憲法記念日にしたいと主張すると、GHQで文化政策を担当する民間情報教育局(CIE)が許さなかった。なぜかと食い下がると、担当官は理由をこう説明したという。

 「われわれGHQもまた連合軍を構成する各国から干渉を受けている。『フォーリン・アフェアーズ』に前英国代表がマッカーサー元帥を批判してこう書いている。『日本の新憲法公布は本来11月1日に行うはずだったのに3日に変更した。半年後の施行の日がメーデーと重なって混乱を起こす恐れがあるという理由だが、日本政府の腹は明治節の温存にある。マッカーサー元帥は日本にだまされているのだ』と。旧明治節の日を憲法記念日にするわけにはいかないのです」

 このあたりのいきさつを当時、法制局長官だった入江俊郎が書き残している。新憲法ができあがったあとの1946年10月29日の閣議で、いつ公布するかを話し合った。まずは、いつから施行すればいいのかを論議した。公布から半年後が施行の日になるからだ。

 施行はだいたい1947年5月1日ころにすることが決まった。しかし、この日は ・・・ログインして読む
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筆者

伊藤千尋

伊藤千尋(いとう・ちひろ) フリー・ジャーナリスト

1949年、山口県生まれ、東大法学部卒。学生時代にキューバでサトウキビ刈り国際ボランティア、東大「ジプシー」調査探検隊長として東欧を現地調査。74年、朝日新聞に入社し長崎支局、東京本社外報部など経てサンパウロ支局長(中南米特派員)、バルセロナ支局長(欧州特派員)、ロサンゼルス支局長(米州特派員)を歴任、be編集部を最後に2014年9月、退職しフリー・ジャーナリストに。NGO「コスタリカ平和の会」共同代表。著書に『地球を活かすー市民が創る自然エネルギー』『活憲の時代』『変革の時代』『ゲバラの夢、熱き中南米』(以上、シネフロント社)、『一人の声が世界を変えた』『辺境を旅ゆけば日本が見えた』(以上、新日本出版社)、『世界一周 元気な市民力』(大月書店)、『反米大陸』(集英社新書)、『観光コースでないベトナム』(高文研)、『闘う新聞ーハンギョレの12年』(岩波ブックレット)、『燃える中南米』(岩波新書)など。

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