施行日の「5月3日」になった理由
2015年05月01日
日本の憲法記念日は、世界の常識から見れば風変わりだ。
普通、どこの国も憲法を制定した日が「憲法が生まれた日」であり、憲法記念日を設ける場合は制定の日を記念日としている。
1787年9月17日に作成され88年に発効した米国の憲法は「1787年アメリカ合衆国憲法」と呼ばれ、9月17日が米国の憲法記念日だ。「スペイン1978年憲法」は1978年12月6日に国会で可決され29日に施行されたもので、制定された12月6日がこの国の憲法記念日である。
日本国憲法は1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行された。世界の常識から言えば、本来は11月3日が憲法記念日になるはずである。どうして施行の日が記念日になったのだろうか。
実は11月3日を憲法記念日にしようと奔走した人がいる。1948年に国民の祝日法案を審議した参議院文化委員会の委員長だった山本勇造議員だ。
彼は1947年の第1回参議院議員選挙の全国区に立候補し、9位で当選した。
その彼が1960年11月6日の「朝日新聞」に、憲法記念日が決まったいきさつを書いている。
戦後の占領下にあった当時、1948年は連合軍総司令部(GHQ)の日本政府への干渉が最も厳しい時だった。
山本が世界の通例に沿って11月3日を憲法記念日にしたいと主張すると、GHQで文化政策を担当する民間情報教育局(CIE)が許さなかった。なぜかと食い下がると、担当官は理由をこう説明したという。
「われわれGHQもまた連合軍を構成する各国から干渉を受けている。『フォーリン・アフェアーズ』に前英国代表がマッカーサー元帥を批判してこう書いている。『日本の新憲法公布は本来11月1日に行うはずだったのに3日に変更した。半年後の施行の日がメーデーと重なって混乱を起こす恐れがあるという理由だが、日本政府の腹は明治節の温存にある。マッカーサー元帥は日本にだまされているのだ』と。旧明治節の日を憲法記念日にするわけにはいかないのです」
このあたりのいきさつを当時、法制局長官だった入江俊郎が書き残している。新憲法ができあがったあとの1946年10月29日の閣議で、いつ公布するかを話し合った。まずは、いつから施行すればいいのかを論議した。公布から半年後が施行の日になるからだ。
施行はだいたい1947年5月1日ころにすることが決まった。しかし、この日は
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