苛酷な労働と覗き見情報による世論の拡散と空洞化
2015年05月04日
戦後政治の分岐に関する過去の大きな議論に比べて、いっこうに「国論が沸騰」しないのは、溢れる情報のせいもあろう。
ドイツの飛行機は信じられない墜落をするし、プーチンが核兵器をほのめかすし、アメリカとキューバは仲直りするし、オリックスは予想に反して連敗するし、国会サボって怪しげな旅に消えた女性議員も出てくるし、上戸彩はおめでただし、ドリル姫も明治座で、いや群馬県でがんばっているし……人々の関心はどんどん分散させられる。安倍総理は本当に運がいい。
脱原則論、脱争点化、技術論化、そしてわれわれは「ついつい見てしまう」「面白い」「覗き見的な」情報の海のなかで溺死寸前。
だいたいがプレカリアートと言われる非正規で働く市民たちは、生活に手一杯であっぷあっぷ。正規雇用のサラリーマンも中間管理職は遅くまで仕事、仕事、そんな議論につき合う余裕がないだろう。見るのは「面白い」インフォテインメントだけだ。
苛酷な労働と覗き見情報の楽しみによる世論の拡散と空洞化——これが憲法論争の2015年5月の状況だ。
検閲がはびこり、はっきり意見を言う人には朝早く特高がお迎えにくる。待っているのは拷問——そういう戦前の時代とは議論状況が異なる。世論の空洞化はずっと手が込んだ形で進行している。
誰も逮捕されないが、批判的意見は一部の夕刊紙の罵倒とからかいだけになる。溜飲はさがるが、下車駅までの快楽だ。
またの名ボルサリーノ公の麻生財務大臣が香港の記者に「日本は言論の自由がある」と威張れるところが、そして横にいた取り巻きエリート記者たちが一緒に笑うところが味噌だ。言論の自由のなかで空洞化と自粛が機能している。
アメリカは、日本だけの単独軍事行動は許さないだろう。15年戦争での日本軍による大量虐殺や日本軍自身の大量戦死は、とりあえずはないと思いたい。この点ではあの時代と並行して考えるのは、あまり意味がないかもしれない。
だが、意味のあることもある。
それは自衛隊がアメリカのお手伝いに駆り出され、危険な任務に言葉巧みに(存立危機事態の英語はなんというのかな)誘い出され、2人か3人でも殉職、いや「殉国」の「戦死」をしたらどうなるだろうか。
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