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[5]2025年のリーダー像を探る――志賀正樹

若手の挑戦を促す会社とは:震災復興支援とベトナム営業開発

服部篤子 DSIA常務理事

 クレディセゾンの志賀正樹さん(33歳)は、東日本大震災当時、発災直後に東京を飛び出して現地を歩き、企業がすべきことは何かを考え、三陸鉄道への支援を提案しました。
 その後、東京と東北のチームは、三陸鉄道の被災レールをオブジェにして寄付を募り、枕木にネームプレートを付けることで寄付を促すなど、現在までに多様なキャンペーンを実施してきました。
 社内からも評価され、2012年全社表彰式(年1回開催)にて「レジェンド・オブ・クレディセゾン(最優秀賞)」を受賞しています。これは、会社がグループ内の各種プロジェクトに対して、主体的かつ、組織活性化に寄与する行動に贈られるものです。
 その後、志賀さんは、所属会社のベトナム進出に伴い、現地へ赴任し数名で営業開発に取り組みながらカード会社が持つ新たな役割を模索してきました。現在、4000名の従業員をもつ会社の新規開発の責任者として次々と商品開発を行っています。どのような思いと考えをもって新たな事業に挑戦し続けているのかを伺いました。(聞き手=服部篤子)

消費から生まれるエネルギー

――「この国はエネルギーに満ちている」。そんな感想をベトナムに着任後お聞きしましたが、ベトナム赴任は希望を出されたのでしょうか。

志賀正樹 2012年、海外事業部から海外駐在員2名の社内公募が出ました。対象国は、中国やベトナムなど主としてアジアでした。海外駐在が魅力的だったのは、会社が現地でのルールや道を用意するわけではなく、自由度が高いことでした。自分が現地へ行って考えることができる環境を与えてもらったのです。

――海外事業をやってみたいというのは何か理由があったのでしょうか。

『「利益追求と社会貢献が比例する社会」という自身が目指す社会のフリップをもつ志賀正樹さん』「利益追求と社会貢献が比例する社会」という自身が目指す社会のフリップをもつ志賀正樹さん
志賀 10年前に東南アジアをバックパッカーとして旅行したことがあり、エネルギーを感じられるところだと実感していました。消費をするということは、人間が必ずする行為であり、そこにエネルギーが生まれます。

 しかも、消費から生まれるエネルギーは、いろんな方向に向けることができるし、変換することができると考えています。その可能性が高い東南アジアを仕事場にできるのであれば、実に嬉しい話だと思ったのです。

――しかし、現地で、一から人脈を開拓するのは容易ではありませんね。まず、新たな土地でやったことは何でしょうか。

志賀 現地の人々に交じって屋台で食事をとり、片言のベトナム語やボディランゲージでコミュニケーションをとりました。それから、ベトナムのNGOについて調べ始めました。そのことで、その国の実態や課題がいち早く見えてくるからです。

「失明からアジアの人々を救おう」

――それで、早速、「失明からアジアの人々を救おう」というキャンペーンを実施したのですか。このキャンペーンはどのようなものだったのですか。

志賀 知り合いを通じて「ベトナムの赤ひげ先生」と呼ばれている服部匡志医師に出会いました。服部医師は、眼科医で、1年の大半をベトナムで過ごし、これまで10年以上にわたって、1万人以上の無償手術を行っています。なぜなら、ベトナムでは未だ眼科医療が充実しておらず、貧しさから治療を受けられずに失明する患者さんが後を絶たないからです。

 そのため、診察に加えて、技術をもった現地医師の育成などの医療支援も続けています。服部医師の活動拠点となる「日本国際眼科病院」の開院を機会に、現地の現状を日本の皆さんに知っていただきたいと思いました。

――服部医師はベトナムで知名度が高い方のようですね。

志賀 服部先生はベトナム国から外国人に対する最高位の「友好勲章」を授与されるほどとても有名な医師です。日本でもメディアで報道されたことはありますが、国内最大規模の会員数に支えられている弊社だからこそ多くの方に発信し、幅広い支援を集めることができると思っています。

 知るきっかけがあれば、興味をもった方々は、さらに詳しく調べようとされるわけです。関心を持っていただくと次の行動に移ると思うのです。

――顧客の反応はどうでしたか。

志賀 必ず共感していただけると思って実施したキャンペーンでした。キャンペーン期間中、「永久不滅ポイント」の交換も含めて200万円を超えるご寄付と、200冊を超える書籍の購入を通じた寄付を病院に届けることができました(詳しくは、こちらを参照)。

社会価値の創造

――このキャンペ―ンは、顧客に向けてだけではなく、会社にとっても意味があったのでしょうか。

志賀 本施策を通じて企業として成し遂げたいことは3点ありました。

 1つ目は、もちろん、弊社の会員様にベトナムの現状と服部先生の活動を知って応援していただくことです。

 2つ目は、弊社のベトナムにおけるプレゼンスを高めることです。服部先生を支援することにより、ベトナム国内ではまだ知名度が低い「クレディセゾン」という名前を知ってもらうきっかけになれば非常に光栄です。そして、これからこの地で事業を進める際に、よりよい関係を築くことにつながれば、と考えました。

 3つ目は、セゾンファンを作るということです。弊社の「社会価値の創造」に理解をいただき、心に残る企業として応援してくださる方々が増えたらいいなと思っています。

――社会貢献事業というよりも、「社会価値の創造」だというわけですね。

志賀 クレジットカード会社による社会貢献といえば「ポイント交換による寄付」というのが一般的です。これに対して、今回の試みは、寄付に対してカード決済を可能とし、募金活動ではなく服部先生の書籍の購入という支援の方法を組み込んだのです。

 このキーポイントは、「ショッピング感覚で社会貢献」できることであると考えています。こういった活動を通じて、様々な角度からセゾンファンが増えていくことを願っています。

――服部医師は、どのように理解されましたか。

志賀 企業から慈善活動として支援をして欲しいという希望を持たれたわけではありません。企業側に何らかのメリットがなく金銭的な負担だけがあると両者の関係は続けられません。服部医師にとっても事業の継続性が重要なわけですので、お互いにメリットが感じられる方法が長続きするということで、企業との関係をご理解いただき、こちらの申し出にすぐに賛同いただきました。 

社内調整時間は短く

――長期的にみれば、このキャンペーンも会社にとっては重要な位置にあるのでしょうね。企画案は社内でもすぐに通ったのですか。どうやって実現させたのでしょうか。

志賀 自分は屁理屈がうまいと思っています。今、会社にとって必要なのは何か、という話をして説得します。さらに、共感してもらえる上司や役員は誰だろうか、と考えます。提案する企画を成功させるために熟考し時間をかけることは必要ですが、社内を説得するための調整時間は短ければ短い方が良いというのが私の考えです。

――それは、社内の人材との幅広い接点がないと、なかなかできないように思えますが。これまでの経験と何か関係していますか。

志賀 大いに関係しています。新人の頃、営業企画部門に配属されて、「池袋フェスタ」という消費を通じて池袋エリア全体を盛り上げるキャンペ―ンの担当をしました。街全体を盛り上げるために、池袋エリアの各店舗に営業に行くだけではなく、社内の各部署を回って様々な調整をしなければなりませんでした。難題もあり実に大変な思いをしましたが、その経験を通じて、会社内に幅広い人的ネットワ―クを構築できたのです。

――社内調整の難しさを経験するとともに、早い時期に社内の人々と接する好機になったというわけですか。この他、新人時代の印象的な業務はどのようなことだったのでしょうか。

志賀 5年目の27歳の頃ですが、営業所でエリアマーケティングチームにいました。このチームは通常業務に加えて新規案件を獲得する部隊です。自由度の高いチームで、新規案件を獲得するためにどんな企画をしてもよかったため、さまざまなキャンペーンをさせてもらいました。

 しかし、当時(2009年ごろ)は消費が落ち込んでいて、何をやっても目標値に到達せず、うまくいきませんでした。そこで、お金が使われないのであれば、カード利用者が貯めているポイントに有効期限のない「永久不滅ポイント」を使ってもらう新たな企画を考えたのです。しかし、これは、会社の方針とは180度異なっていました。

――どのように異なっていたのでしょうか。

志賀 現在では、ポイント交換もスタンダードとなりましたが、当時社内では、ポイントは貯めてもらうものだという考え方が中心でした。しかし、支店では、ポイント交換により顧客の満足度が高まるだけでなく、新しい顧客を探ることもできるのでは、と考えていたのです。

 そこで、キャンペーンの実施を自由にさせてもらえたこともあり、当時の西武観光と一緒に、店舗でポイントを使って旅行ができるキャンペーンを実施しました。地域の人は、身近にある店舗でポイントが使えることがわかると、カードをもっと使うようになると考えたわけです。キャンペーン期間は、考えたとおりポイント交換が促進され、売り上げにも貢献することができました。 

 社会的に大きな注目を得たわけではありませんが、店舗の人々と関わることの大切さや顧客の気持ちを吸い上げることの重要さを学びました。

三陸鉄道の支援

――その学んだ「顧客の気持ちを吸い上げる」ことの重要さは、まさに、東日本大震災支援での三陸鉄道(三鉄)の復旧の取り組みに繋がっていったのでしょうか。

志賀 そうかもしれませんね。ご承知の通り、三鉄は壊滅状態になりました。しかし三鉄は震災直後から復旧を目指していましたので、2011年のキャンペーンは、顧客から一口1万円で寄付を募って枕木に寄付者のネームプレートをつけることや、5万円の寄付で三鉄の被災レールをオブジェにして配ることなどをしました(その詳細は、こちらを参照)。

 当時、多くの人々が何かできないか、何か支援したい、と考えていました。その気持ちを吸い上げて、カード会社として、人々の相互の気持ちをつなぐことができたのではないかと思います。

 その後も、弊社は、三鉄支援のキャンペーン企画を定期的に続けています。結果として、これまでに、6447万円(2014年9月終了時点)が集まりました。このことは、新規顧客の開拓にもつながったと考えています。

――そもそも三鉄に注目したのはなぜでしょうか。

志賀 やはり、震災直後に、何か自分たちにやれることがあるはずだと考えて、現地で空港や鉄道などインフラ系の現状をとにかく見て歩いたことがきっかけです。

――なぜインフラだったのでしょうか。インフラの復旧は当時時間を要する状態にありましたね。

志賀 カード会社は、生活の基盤、つまりインフラを支える会社ですから、その役割を改めて認識したいと思いました。

 仙台空港を見て、政府の資金などで復旧復興するだろうと思いましたが、民間会社として支援に動くのであれば、目の前の支援よりも、今動くことで、少し先にはどのように影響するかを考え、よりインパクトのある動きをしたいと考えたのです。しかも、東北は、観光の町であったわけですから観光で人を呼べるようになってこそ復興だと思いました。

 そこで、東北をよくよく調べてみると、観光資源がいろいろありました。特に、三鉄は素晴らしいと思いました。東北支店の課長から三鉄の方に会えるように連絡をとってもらいましたが、当然ながら、先方は、こちらが何をしようとしているのかを理解する余裕はなかったようです。そこで地域でつながりのあった有力者の方を通じて三鉄の社長や沿線の市議会議員の方などにコンタクトをとっていただいて、会うことになりました。

――どのようなプレゼンをされたのですか。

志賀 なぜ三鉄ですか、と問われましたので、リアス式海岸を通る鉄道は、これからも素晴らしい観光資源であり、復興後に観光スポットになるとお伝えしました。

 まだ国の補正予算も決まっておらず復興できるのかどうか見えない段階でしたので、同席した全員が三鉄の復興の確証を持てない状況にありました。こちら側も社内決済が承認される確証はありませんでした。おそらくあったのは信念だけだったかもしれません。しかし、その後、NHKの朝の連続ドラマで「あまちゃん」が始まり、三鉄への注目は飛躍的に高まったのです。

――そうでしたね。一躍有名になりました。その頃はまだ、東京支店単独で動いていたのですか。

志賀 東北支店も混乱している状態でしたから、発災直後は東京から単独で動きましたが、その後、東京支店と東北支店の連合チームで進めることができました。社内で企画が了承され、三鉄側も瓦礫撤去が進み、キャンペーンを開始したのは、10月でした。

 その半年後の2012年の夏に、私はベトナムに赴任しました。実際に事業提案を社内で通して進めていくこと、そして、それを継続していくことは容易ではありませんが、三鉄を中心に東北を応援するキャンペ―ンは現在まで継続的に実施しています。社内で思いが受け継がれたわけです。このようなリレーができることが会社の強みだと思います。思いをもった人がやるのがいいのです。

ベトナムでの挑戦

――この事業は、社内でも評価されましたね。その事業が受賞したレジェンド・オブ・クレディセゾンという最優秀賞は、どのように決められるのですか。

志賀 一次審査は書類審査で、多数の中から10件に絞られます。2次審査は応募者が作成したプロモーションビデオ(PV)を見て全社員が参加する投票により、3件に絞られます。最終段階は、表彰式当日に会場で各チ―ムが趣向を凝らしたプレゼンテ―ションを行い、当日の出席者及び全体の投票数で決定します。

 そのプレゼンテーションでは、東北支店の課長が、「チームの一人一人が覚悟を決めたことが困難を乗り越えた要因であり、会社を動かし、プロジェクトを進めることができた」とスピーチしたのです。

 PVには、三鉄の望月正彦社長から、「企業に対する理解が劇的に変わりました。お客様の気持ちをカード会社の皆さんが拾い上げて、震災のあった地域の人々とつないでいただいた。こういう復興支援のあり方があったのだな、と大きなものを学びました。地域との関係と同じですが、続けていく、つながっていく、ということが大事だと思います」というメッセ―ジも含まれていました。

――民間企業の社会における役割を言い表しているように思います。志賀さんが今後挑戦したいことは何でしょうか。

志賀 ベトナムから学ぶべきところはたくさんありますが、ベトナムの人たちには中長期的な見方がまだできていないように思います。彼らがさらに成長していくためには、そのスキルを身に付ける必要があるでしょう。そこを支えていける事業を進めていきたいと考えています。

――ベトナムでの更なる挑戦に期待しています。

服部篤子のコメント
 若手の志賀正樹さんは、新人時代から意欲的に営業開拓を行い、既に、複数の新規プロジェクトの立ち上げを経験してきました。志賀さんの姿勢は、顧客に「新たな何かを知るきっかけを提供」して、次の行動を促すものでした。

 消費行動が起これば、そこにエネルギーが生まれ、その消費地は活性化するわけです。そこで、消費によって生まれるエネルギーをいろんな方向に向けることができるという考え方によって復興支援や医療支援に対する寄付のキャンペーンを進めてきたことは大変興味深いものでした。

 結果として、東北復興のために何かを支援したいという多くの人々の思いと被災した地域の人々をつなぐことができ、地域に変化を与えるきっかけを創り出したのです。

 これは、企業が経済的な利益のみならず、社会価値を生み出す方法として着目できるでしょう。「このような支援の形があったことに大きな学びがあった」と驚きを示した三陸鉄道の望月社長の発言に端的に表れています。

 また、志賀さんは、眼科医療を支援するキャンペーンは、ベトナム進出にとって主要な業務ではないが、しかし、大変重要な事業だと考えていました。これは欧米では「戦略的フィランソロピー」と呼ばれ、企業は社会貢献活動に戦略を持って取り組むことが求められています。なぜなら、社会に対しても組織に対しても便益のあることが結果として持続的な活動につながるためです。ベトナムでの新規開拓に、その考え方を用いて取り組んだ点にも特徴がありました。

 このような事業は、社内の協力者がいたからこそ実現できた、と言います。ベトナムでのキャンペーンについて、上司の管原耕治さんにお話を聞いたところ、「志賀の思いをそのまま伝えることをした。志賀がこれをやりたいと言ってきた時面白いと思った。そう思ったからには話が実現するよう挑戦しようと思った」と、志賀さんの強い思いがあったことを伺わせます。

 東北復興支援では、「一人一人が覚悟を決めたから会社を動かし実現できた」とチームの責任者も強調していました。

 一般に、アイデアを実現させることが容易ではない中で、チームの力とチームの思いが一つになることで、その実現可能性を高めたことがわかりました。

 志賀さんのように次々に新たな事業提案を行うのは、本人の資質に加えて、志賀さんのおかれた社内環境にも起因しているのだろうかと感じました。

 実際、クレディセゾンは、人材活用に向けて様々な角度から取り組んでいます。東北復興支援チームが受賞した年1回開催される表彰式「クレディセゾン・アワード」は、社内の多数あるプロジェクトを全社で評価する機会です。その方法は大規模な社内イベントとして実施されていて、プロジェクトのチームの絆を高める効果、それを目指そうと思わせる効果が高いと推測できました。

 一般に起業家の中でも、次々に起業を繰り返す人々は、「シリアルアントレプレナー」と呼ばれています。志賀さんの働き方をみると、社内外のネットワークを豊富に持ち、顧客や社会の変化を柔軟に感じ取りながら新たな提案をし続ける点でシリアルアントレプレナーを想起させました。

 連続的に事業に挑戦する起業家精神をもっていることは、“リ☆パブリカン”の1つの要素かもしれません。「思いをもった人がやるのがいい、その思いはリレーできる」。これが組織の強みだという発言が印象的でした。

志賀正樹(しが・まさき)
HD SAISON Finance Company Ltd.新規開発事業部長
1982年、千葉県佐倉市出身。東京経済大学コミュニケーション学科修了後、クレディセゾンへ入社。2011年より立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科に入学し、2012年、ベトナム赴任と同時に中退。趣味は読書とサッカー。好きな言葉は「世界平和」。(株)クレディセゾン東京支店、海外統括部ハノイオフィス駐在事務所所長、Vietnam Saison Consulting Co.,Ltd 副社長を経て現職。