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安保法制と、「#首相官邸を包囲せよ」の意味

議会主義の軽視に対抗する試みとして

五野井郁夫 高千穂大学経営学部教授(政治学・国際関係論)

 いまは文字どおり制度の形式だけが民主主義で、実質的な機能は翼賛議会の機能に最も近づいた。そう考えると、どうみても今日の日本の議会主義は非常な絶壁に立っているという感を禁ずることができません。(丸山眞男「この事態の政治学的問題点」『朝日ジャーナル』、1960年6月12日号、朝日新聞社)

 2015年5月14日夕刻、安倍政権は戦争中の他国軍を後方支援する新たな恒久法案ならびに、集団的自衛権を行使できるようにする武力攻撃事態法改正案など、安全保障法制の関連11法案について、臨時閣議で決定を行った。

 同法案を今国会中に成立させるべきか否かを問うた朝日新聞の世論調査では「必要はない」の60%が、「必要がある」の23%を圧倒的に引き離している。

 今後、国会審議を経て法案が成立すれば、専守防衛に徹してきた自衛隊のあり方が変わり、戦後70年もの間平和だった日本の安全保障政策も大きく転換を余儀なくされることとなる。

 同法案を推進した政治家たちは生活物資や電力不足等も十把一絡げで「存立危機事態」だという。そのような危機感や想像力を持ち合わせているにもかかわらず、なぜ同法案によって我々が最後の「戦後世代」になる可能性もあるという危機感や想像力を持ち得ていないのだろうか。

 5月20日の国会党首討論でも維新の党の松野頼久代表が安保法制について「国会をまたぐ覚悟で」と国会審議に重きを置くよう問いかけたのに対し、安倍晋三総理は「審議期限ありきではない」と明言したものの、他方ですでに安倍総理は4月末のアメリカ上下両院合同会議演説で「夏までに実現する」と約束している。

 これでは国会での総理発言とつじつまが合わないが、訪米中の発言が本心だとすれば、7月末に会期末となる今国会中に、強引にでも成立させたい腹づもりだろう。日本の国会と日本国民が軽んじられすぎてはいないだろうか。

 冒頭の丸山眞男の文章は、1960年5月19日から20日にかけての衆議院における新安保条約の強行採決という、岸信介内閣による議会主義の軽視に抗議する意図で、東京大学の全学教官研究集会で講演したものだ。

 当時の政府与党が議会審議を途中で打ち切った議会軽視の政治運営は、現在の安保法案等をめぐる国民と議会をなおざりにしたままの政府による強引な政治運営と重なって見える。このような議会を軽んじる政治運営ははたして民主主義なのか、という疑問もわいてくるだろう。

 カール・シュミットは『現代議会主義の精神史的地位』(初版は1923年)のなかで、議会主義を必ずしも必要としない民主主義の方途を提示している。

 それは、議会という代表を媒介せず、政治指導者や政党などによる事実上の独裁を可能にする反議会主義的な民主主義の政治の追認である。

 確認しておくが、議会主義とは議会における公開の討議や論争、議事運営への尊重を意味する。しかしながらさきのシュミットにしたがえば、国民を議論の蚊帳の外に置いてきぼりにし、議会での法案審議に時間をかけない現政権のように議会主義を軽視しても民主主義は理論的には存在し得るし、また議会主義自体は旧ソ連のように民主主義でなくとも存在しうる。

 つまり理論的にも現実的にも議会という「代表なき民主主義」と「民主主義なき代表」の双方が可能なのである。

 政権党が議会での法案審議に重きを置かず、政権党であるというだけで政治を強引に推し進めようとする事態は、時間をかけて公の事柄を審議するという議会主義思想の相対的合理性が、今日の日本において再び自明性を失いつつあることを示している。

 したがって、かつて丸山眞男が岸信介政権に対して行ったように、いまの日本政治も制度の形式だけが議会主義たるに過ぎず、実質的には翼賛議会のような議会主義思想の否定であると強く批判をされても仕方がない。

 政府与党が議会主義を軽視してよいと身振りで示しているときに、なおも議会主義の尊重を訴えるのが議会制民主主義というものだ。

 けれども、訴えの名宛人たる政府は審議を打ち切りにし議会の機能をスキップしようとすらしている。では議会という媒介の地位が低下するとき、相対的に上昇するものは何か。

宙吊りの国民と直接民主主義の正当性

 議会の地位が低下したとき相対的にまず上昇するのは、議会の権能という梯子を外した後になおも存在し続ける政府与党とその政治指導者だ。

 だが、議会主義を標榜しない時点で現在および未来の国民を代表しているとは云いがたい。くわえて、議会を媒介しないことは国民と無媒介でじかに繋がることを意味しない。議会が軽視されている現在、国民は宙吊りである。

安保法制に反対し、繁華街をデモ行進する参加者ら拡大安保法制に反対するデモが全国各地でおこなわれている=名古屋市
 議会主義が軽視される民主政治において、議会の権能を形骸化させた後なおも亡霊のように残る政府与党以上に前景化するのは、本来議会によってその意思が代表され、媒介されるべき我々国民自身である。

 議会主義の軽視が明白となったとき、議会の代表に先立つ国民は再び自らを統治すべく議会制民主主義という媒介を回復させるために、純粋に無媒介な主体として政府与党の前に立ち現れる。

 したがって、シュミットが想定していなかったこととして、政府による議会主義の軽視は、他方で議会主義ならびに議会をお飾りとしか考えない党や政治指導者による政治とは別様の、国民が自らを直接的に現前させる無媒介な民主主義の政治の可能性、すなわち直接民主主義にも正当性を拓くのである。

 議会主義の軽視という反議会主義的な民主主義が横行している現在、インターネット上には「#首相官邸を包囲せよ‪‬‬‬‬‬‬‬‬」のハッシュタグが溢れている。

 2015年5月21日からの毎週木曜日、衆議院第二議員会館前では戦争法案反対国会前集会が始まった。

 7月24日の金曜日の夜には、安倍政権から民主主義を取り戻すために、学生から社会人まで首相官邸を皆で取り囲む大規模抗議も企画中だという。

 それら一つひとつの呼びかけは、議会という媒介が機能しないことで政治において宙吊りにされている国民が、我々自らに「国民よ、出でよ!」と呼びかける直接民主主義によって、国民一人ひとりの力で議会制民主主義を復活させようとする試みなのである。‬‬‬‬‬

 与党の政治家が我々を戦争へ追いやろうとするならば、我々がそれを止めようではないか。

 「止めるなんてとうてい無理だ」と思い込まされている人もいるかも知れない。けれども、実際この70年もの間、日本が戦争の惨禍に巻き込まれないよう幾度となく止めてきたのは、他でもない我々日本国民自身なのだ。


筆者

五野井郁夫

五野井郁夫(ごのい・いくお) 高千穂大学経営学部教授(政治学・国際関係論)

高千穂大学経営学部教授/国際基督教大学社会科学研究所研究員。1979年、東京都生まれ。上智大学法学部卒業、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程修了(学術博士)。日本学術振興会特別研究員、立教大学法学部助教を経て現職。専門は政治学・国際関係論。おもに民主主義論を研究。著書に『「デモ」とは何か――変貌する直接民主主義』(NHKブックス)、共編著に『リベラル再起動のために』(毎日新聞出版)、共訳書にウィリアム・コノリー『プルーラリズム』(岩波書店)など。

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