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 日本で行政によって最初に建てられた憲法9条の記念碑は、沖縄県那覇市の中心部、与儀(よぎ)公園の碑だ。

与儀公園の「9条の碑」はガジュマルに守られるようだ拡大与儀公園の「9条の碑」はガジュマルに守られるようだ=撮影・筆者
 畳1枚ほどもある黒い御影石の堂々とした四角い石碑で、そばにはガジュマルの大木が茂り、その枝に覆われて守られるように建つ。

 「恒久平和」と書いた題字のあとに「日本国民は正義と秩序を……」と憲法9条の条文が白い文字で彫られ、最後に「日本国憲法第九条」と記してある。

 白い石の台座には由来を書いた碑文があり、「本市は憲法の目指す恒久平和主義が名実共に定着し二度と戦争の惨禍が起こることのないよう祈念し『平和都市なは』建設のシンボルとしてこの碑を建立する」と、当時の親泊康晴・那覇市長の名が記してある。

 碑が建てられたのは戦後40年の節目となった1985年5月3日の憲法記念日だ。

「恒久平和」の題字のあと9条の条文が続く拡大「恒久平和」の題字のあと9条の条文が続く=撮影・筆者
 建設が計画されたのは、前年まで務めた平良(たいら)良松市長の時代だ。

 平良市長は1972年5月15日の沖縄の「祖国復帰」のさいに沖縄県憲法普及協議会を結成して自ら会長となり、「憲法手帳」を作って県民に広めた。

 ようやく米国の支配を逃れられるという安堵感の一方で、平和憲法がなしくずしになっているという危機感を感じたからだ。

 「憲法の命をよみがえらせなければならない。憲法の初原の命を、本土へさしむけるのである……憲法を守り、憲法を実践するための、新たな『復帰運動』をこの憲法手帳をかざして開始する」と語った。

 実際、平良市長はいつもポケットに憲法手帳を入れて持ち歩いたという。

 与儀公園は、「祖国復帰」の日に「沖縄処分抗議、佐藤内閣打倒、五・一五県民総決起大会」が開かれた場所だ。

記念碑の裏には親泊市長の文が刻まれている拡大記念碑の裏には親泊康晴・那覇市長(当時)の文が刻まれている=撮影・筆者
 この場所に全国で初めての「憲法9条の記念碑」を建てようと発案したのは、平良市長のもとで秘書課長を務めた金城義夫さんである。

 アジア太平洋戦争末期の沖縄戦のとき金城さんは小学校1年生で、米軍の空襲を受けて沖縄南部を逃げまどった。

 77歳になった金城さんにお会いすると、金城さんは1枚の写真を取り出した。

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筆者

伊藤千尋

伊藤千尋(いとう・ちひろ) 国際ジャーナリスト

1949年、山口県生まれ、東大法学部卒。学生時代にキューバでサトウキビ刈り国際ボランティア、東大「ジプシー」調査探検隊長として東欧を現地調査。74年、朝日新聞に入社し長崎支局、東京本社外報部など経てサンパウロ支局長(中南米特派員)、バルセロナ支局長(欧州特派員)、ロサンゼルス支局長(米州特派員)を歴任、be編集部を最後に2014年9月、退職しフリー・ジャーナリストに。NGO「コスタリカ平和の会」共同代表。主著に『凛凛チャップリン』『凛としたアジア』『凛とした小国』『9条を活かす日本―15%が社会を変える』(以上、新日本出版社)、『世界を変えた勇気―自由と抵抗51の物語』(あおぞら書房)、『13歳からのジャーナリスト』(かもがわ出版)、『地球を活かす―市民が創る自然エネルギー』(シネフロント社)、『反米大陸』(集英社新書)、『燃える中南米』(岩波新書)など。

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