メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

 沖縄県那覇市の「9条の碑」が建設された翌年の1986年、記念碑の発案者の金城義夫さんは沖縄南部の南風原(はえばる)町の町長に就任した。沖縄戦のさいに激戦地になった南風原町を平和の発信地にしようと訴えて、有権者の支持を得たのだ。

 南風原町では戦時中、住民7896人のうち3505人が戦死した。実に44・4%にのぼる。

 それだけに町民の反戦平和の意識は高い。金城さんが町長になる前の1982年には、町議会が非核地域の町を宣言した。

 宣言文には「平和は軍事力によってではなく、生命をいつくしむ1人ひとりの力の結集によってこそ築きうるものであることを、身をもって示そうではないか」と書いた。

 南風原町には、名高い「ひめゆり学徒隊」が活躍した陸軍病院の壕がある。

 戦争の末期、米軍が沖縄に上陸する情勢になったとき、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒たちが、負傷した兵士の看護活動をするために動員された。両校の校友会誌「白百合」と「乙姫」を合わせて「ひめゆり」の名が生まれた。陸軍病院は空襲で焼けたため、丘にトンネルを掘って防空壕とし、そのまま野戦病院になったのだ。

 金城さんは町長に就任すると、壕を含めた一帯を文化財に指定しようと考えた。しかし、国や県は「戦跡を文化財に指定する法的根拠がない」とにべもなかった。

 それなら町独自の文化財に指定しようと、沖縄戦終結から45周年の1990年、条例で町の文化財に指定した。第2次大戦の戦跡を文化財に指定したのは、全国でこれが初めてだ。広島の原爆ドームよりも早かった。

 国会で憲法改正が議論になった2004年には「はえばる九条の会」が結成された。大江健三郎さんたちによる全国の「九条の会」よりも2カ月早い。町長を退職したばかりの金城さんが会長に推された。以来、毎年5月3日には憲法講演会を開いている。

 火炎放射器で焼かれた沖縄陸軍病院の南風原壕は戦後に整備されたが、一般に公開されたのはようやく2007年になってからだ。その年の憲法記念日の5月3日、「はえばる九条の会」が中心となって町民の寄付を募り、憲法9条の記念碑を建てた。

きのこのような形をした南風原町の「9条の碑」拡大きのこのような形をした南風原町の「9条の碑」=撮影・筆者
 壕がある一帯を黄金森という。壕の前の広場の名は「鎮魂広場」だ。ここにキノコのような変わった形の、高さ2メートルほどの記念碑が建つ。

 憲法9条が彫られた黒い石の上に、横に長い茶色の石が帽子のように置かれて、「憲法九条の碑」と横書きで書いてある。

 碑の後ろに回ると、黒い石には中国語、ハングル、英語の三つの言語で訳した憲法9条が書いてあった。訳は東京大学消費生活協同組合平和プロジェクトだ。

 その下に「日本国憲法第九条は人類の進むべき道しるべ」と建立の趣旨が彫ってあり、建立者として「憲法九条を世界に広め平和を守る南風原町民の会」の名がある。

 記念碑を建てるために、50人の募金委員が町内を家庭訪問した。1口500円で250万円の目標のところに280万円が集まった。父親を沖縄戦で失ったデザイナーがキノコ型のデザインを描き、安い中国産の石を注文し、町内の女子高校生が揮毫した。

「9条の碑」と「鎮魂と平和の鐘」、さらに歌碑が並んで建つ拡大「9条の碑」と「鎮魂と平和の鐘」、さらに歌碑が並んで建つ=撮影・筆者
 余ったお金で、記念碑のわきに「鎮魂と平和の鐘」を建てた。

 垂直に立つ左右5本ずつのパイプが高さ3メートルほどの上で組み合わさり、5本の指で合掌するような形となって、そこから小さな鐘が吊るされている。紐を引くと、澄んだ音が森にこだました。

 「沖縄で痛みつけられた反省から生まれたのが今の憲法です。日本の犠牲の上に立って、二度と戦争を起こしてはならないという日本国民の発想の上でできたものです。アメリカに押し付けられたという人がいますが、この憲法は私たちの意志です」と、金城さんは熱く語る。

 鐘のそばには歌碑が建つ。「鎮魂」の題字に続いて、「額づけば戦友葬りし日のごとく夜明けの丘に土の香匂ふ」「両の足失なひし兵 病院を探して泥道這ひずり来たる」の2首の歌が彫られている。

 当時、この壕に勤務した軍医見習士官、長田紀春氏が詠んだものだ。当時の病院職員と患者の生存者と遺族で結成した慰霊会が2009年に建てた。

痕跡が残る壕の中で 

 壕に入ってみよう。 ・・・ログインして読む
(残り:約1747文字/本文:約3468文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

伊藤千尋

伊藤千尋(いとう・ちひろ) フリー・ジャーナリスト

1949年、山口県生まれ、東大法学部卒。学生時代にキューバでサトウキビ刈り国際ボランティア、東大「ジプシー」調査探検隊長として東欧を現地調査。74年、朝日新聞に入社し長崎支局、東京本社外報部など経てサンパウロ支局長(中南米特派員)、バルセロナ支局長(欧州特派員)、ロサンゼルス支局長(米州特派員)を歴任、be編集部を最後に2014年9月、退職しフリー・ジャーナリストに。NGO「コスタリカ平和の会」共同代表。著書に『地球を活かすー市民が創る自然エネルギー』『活憲の時代』『変革の時代』『ゲバラの夢、熱き中南米』(以上、シネフロント社)、『一人の声が世界を変えた』『辺境を旅ゆけば日本が見えた』(以上、新日本出版社)、『世界一周 元気な市民力』(大月書店)、『反米大陸』(集英社新書)、『観光コースでないベトナム』(高文研)、『闘う新聞ーハンギョレの12年』(岩波ブックレット)、『燃える中南米』(岩波新書)など。

伊藤千尋の記事

もっと見る