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茶番以上のフセイン信任投票

 エルサレム駐在は2001年4月から2002年8月までの1年半で終わり、そのままカイロの中東アフリカ総局に異動になった。米国ブッシュ政権によるイラクのサダム・フセイン政権に対する戦争が避けられないという観測が流れ始めたためである。

 10月には米国のブッシュ大統領が対イラク武力行使容認決議を米上下両院から得た。

 そのような動きに対抗するように、イラクではサダム・フセイン大統領の信任を問う国民投票が10月15日にあり、私も投票の取材のためにバクダッドに入った。イラクの大統領信任国民投票は95年にあり、99・96%を上回る賛成率だった。

 全く政治的な自由がない独裁体制下で行われる国民投票にどのような意味があるのか、と思うかもしれない。大統領が信任されるかどうかだけを見れば、高率の支持は最初から分かっているから全く意味はない。しかし、独裁体制の国民支配の実態を見るには、極めて貴重な機会である。実際に国民投票が行われる現場を見ることで得られる情報は多い。

<バグダッドに「賛成(アラビア語でナアム)」の文字があふれている。
 「賛成、賛成、賛成、指導者サダム・フセイン」の横断幕が広場や商店街に並ぶ。新聞の1面に「賛成」の大見出し。テレビではサッカー選手や歌手などの有名人や街行く人々が、マイクに向かって次々と「賛成、賛成、賛成」と3回唱える。
 12日夕、バグダッド北郊アルアダミーヤで支配政党のバース党支部主催の選挙集会があった。地区の指導者の演説に約1500人の参加者から一斉に「我々の血と魂をサダムに」とかけ声があがる。地域幹部の一人は、「毎日集会を重ねてきた。目標は100%の賛成だ。戦争を仕掛けようとする米国に『ノー』を突きつけるのだ」と語った。
 「賛成」の標語が並ぶ市中心部のタハリール広場にある薬局店主のトロス・ガラベートさん(68)は「これは戦争反対の意味だ。戦争を起こそうとしているのは米国なのだから」と話す。棚いっぱいに薬が並ぶ。96年に国連による「石油と食糧の交換」が始まってから輸入品が入ってきた。しかし、記者が話を聞いている20分ほどの間に4人の客が、医師の処方箋(せん)を持ってきた。心臓病や神経疾患の薬、流産を抑える薬などの名前が書かれていたが、該当する薬はなかった。「一般薬は手に入るが、欧米製の肝心な薬はほとんど入らない。インスリンなども全くない。国連との取り決めでは第一番に入ってくるはずだが、米国が止めているんだ」>(2002年10月14日付「朝日新聞」朝刊)

 国民投票の結果は登録有権者1145万人が投票し、100%の「賛成」が発表された。それも取材に入った多くの外国メディアを集めた記者会見で、イラクのナンバー2のイザト・イブラヒム革命指導評議会副議長が発表した。イラク政府は選挙を通して、米国が対イラク戦に動こうとする中で、国内の結束を強調する示威行動をとったことになる。

 国民はそのための国家行事である選挙キャンペーンなどの投票準備から、実際の投票の実施、開票、発表まで、完全にコントロールされている。

 同じ強権体制でも、エジプトのムバラク大統領が1999年に実施した大統領信任国民投票の賛成は93.8%で、6%以上の反対票があった。そのうえ、エジプトの選挙は、投票箱の入れ替えや賛成票の不正な積み増しなど、様々な選挙不正が指摘された上での数字である。

 エジプトでの選挙期間中の国民の空気は、「無関心」というもので、実際の投票率は低かった。だが、イラクの空気は全く異なっていた。国民は無関心でいることさえ許されず、選挙に行って、フセイン大統領に「イエス」と信任票を入れるところまでが、事実上の国民の義務とされるのである。

 秘密投票だからといって、「ノー」と書くような人間はいないし、投票所では投票用紙を折らないで、開いたまま、投票立会者に「私はこのとおり、イエスだ」と言わんばかりに用紙を見せて投票箱に入れる様子も頻繁に目にした。

 「100%の賛成」は全くの茶番であるが、国民を服従させる儀式を「国民投票」という形を使って完璧に実施したという意味では茶番以上である。

 投票日にはイラク政府の情報省が外国メディア向けに実施した投票所取材ツアーに参加して、フセイン大統領の出身地、サラフディン州での投票の様子を見た。

<取材陣が到着すると、若者たちを中心に「フセイン万歳」の大合唱が始まった。
 投票所では若者が投票箱の前で「ウッ」という声を出しながらくぎのようなもので指先を刺した。流れた血で投票用紙の「賛成」の枠に血判を押した。入り口には、「国民投票はフセイン大統領への愛と、米国への拒否を表現する機会だ」というバース党青年部の横断幕がかかっていた。
 午後8時の投票締め切りとともに国営テレビは各地の開票風景を報じた。「賛成、賛成……」と開票が続く中、血判は特別に「血の賛成」と読み上げられた>(2002年10月30日付「朝日新聞」朝刊)

 当時のイラクの取材は、何も自由にできなかったが、政府が見せようとするものを見て、考えていくことで、政権や権力の正体が見えてきたものである。

フセイン政権が国民の支配に心を砕いた理由

 カギは、なぜ、フセイン政権は「100%の民意」にこだわったかということである。 ・・・ログインして読む
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筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、最新刊に『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)。

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