メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

旧治安情報関係者と会う

 イラク戦争後にサダム・フセイン政権時代の治安情報関係者に話を聞くことができるようになった。もちろん、簡単にはできないが、探せばなんとか会うことができた。

 旧体制下では全く不可能だったし、アラブ世界の他の国でも治安情報関係者に接触するのは難しい。しかし、中東で治安情報機関が体制維持や政治工作で果たす役割は大きく、常に影の存在となっているのも確かだ。

 イラク戦争後に体制が崩れた後、治安情報関係者はすべて米軍の占領当局によって新体制から排除されたので、フリーの立場になっていた。

 スンニ派の助手に、旧政権の治安情報関係者に話が聞きたいと頼んだ結果、2004年春に軍情報部中佐のアブミーナと会うことができた。彼は当時43歳だったが、フセイン元大統領の次男で精鋭部隊の共和国防衛隊を指揮するクサイ氏直属の7人の連絡将校の一人だった。大統領府と共和国防衛隊の間の連絡将校である。

 当時は職を解かれて、浪人状態であり、日本人のジャーナリストなら会ってもよい、ということで、一緒に食事をした。

 「アブミーナ」というのはニックネームである。「イラク戦争での首都陥落はいまになっても分からないことばかりだ」と語った。

 なぜ、フセイン大統領は予備役や退役将校を動員しなかったのか、なぜ、首都に至る幹線道路の守りを固めなかったのか、なぜ、大統領宮殿を簡単に捨てたのかなどと疑問を挙げた。

 それはまさに私自身が抱いていた疑問だった。アブミーナは「フセインは初めから戦争する気がなく、自分が助かるために首都を米軍に明け渡した」という見方を示した。フセイン大統領に裏切られたとの思いは、元軍幹部の多くが持っているのだという。

 アブミーナは「イラク戦争開戦2カ月前の2003年1月には戦争は避けられない状況になったが、イラク軍には緊張感がなかった」という。将校の退役が希望通り認められ、戦時には不可欠の予備役招集もなかった。「大統領は戦争をする気があるのか」と、いぶかしく思った。

 アブミーナは不安になって首都の軍の配置を調べた。軍が守りについていたのは、北と南の計4地区だけ。「守りはほとんど空っぽだった」という。

 自ら、首都防衛の必要性を25ページの報告書にまとめて、クサイ氏に提出した。だが、防衛強化は実施されなかった。

「戦争に負けて悲しいか?」「いいえ」

 4月4日、米軍はバグダッド国際空港に到達した。6日には市街地に進軍を始めた。米軍戦車が高速道路を走って我が物顔でイラクの首都に入る。異様な光景だった。

 アブミーナは4月3日に「米軍戦車がいる」という情報を得て、バグダッドの西方にタクシーで向かった。間違いなく4両の戦車が見えた。イラク戦争開戦から2週間しかたっていないのに、首都近くに米軍の戦車がいるのに、「夢を見ているようだった」と言った。

 首都陥落の9日、私服を着て車で中心部に向かった。首都西部のヤルムークで米軍戦車が道路をふさいでいた。

 車を停めて外に出た。偶然、知っている顔に出会った。大統領宮殿の敷地内に住むクサイ氏の側近だった。「何が起こったんだ」と問うと、「米軍が宮殿に入った。もうだめだ」と言う。

 「クサイとサダムは?」と聞くと、「2人が我々を破滅させた」とののしった。側近はアブミーナを見て「なぜ、泣くのか」と聞いた。「なぜ、君は笑っているのか」と聞き返した。「こうなることは予想できたじゃないか」と側近は言った。

 アブミーナは軍情報部では戦略をたてる専門家だったという。「紙はないか」と言うので、コピー紙を出すと、軍の機構図や軍の配置図をさらさらと書いて、解説した。

 アブミーナは2004年6月に新しく組織された治安情報機関に採用されて、仕事に復帰した。採用には米軍による審査があったという。

 審査ではポリグラフ(うそ発見器)にかけられた。 「フセインを好きか?」「いいえ」。本心だった。「戦争に負けて悲しいか?」「いいえ」。本心ではなかった。

 結果は不合格だった。しかし、彼の知り合いのイラク内務省幹部の働きかけで採用が決まった。米軍は6月30日を「主権移譲」の日と発表し、反体制組織のリーダーとなったイヤド・アラウィ氏を暫定首相に指名した。

 アラウィ氏はテロリストや武装勢力の攻撃に対抗するために、治安の確立を最大の課題としていた。

 アラウィ氏はバース党幹部から外国に亡命して反体制組織を率いた人物で、首相になった後、旧政権の情報機関員だけでなく、旧軍幹部や旧支配政党・バース党の人材を使うことに積極的だった。治安悪化の要因のひとつである「不満分子」をとりこむしか方法はないと理解していたのだろう。

 アブミーナは復職にあたって、首相にテロ対策の提案を送ったという。

 「周辺国から来る外国人の入国を制限し、国内で厳しく監視する」

 秘密警察が目を光らせた旧政権の手法に通じる発想だ。アラウィ暫定政権は2005年1月末の総選挙までの暫定的なもので、総選挙の結果、シーア派勢力が半数近い議席を得て、政権を主導するようになった。スンニ派・シーア派の宗教抗争が始まり、治安が悪化するのはその後である。

 アブミーナを通して軍情報部の役割がよくわかった。

旧内部情報局員の人生

 さて、アラブ諸国には「ムハバラート(総合情報部)」と呼ばれる、国内で政治犯を取り締まる秘密警察と対外情報機関を併せた機能を持つ情報機関がある。そこで、ムハバラートの関係者の話を聞きたいと思って伝手を探し、当時、30歳だったアブバラと会うことができた。

 アブバラは戦前、ムハバラートの大尉で、「M6(第6局)」と呼ばれた内部情報局で働いていた。2003年夏、米軍監督下で始まったイラク警察の再編で、州警察警部の職を得た。米軍攻撃が続く中部のスンニ派三角地帯にある州だ。

 英語を話し、その州に駐留した米軍司令官と現地警察の連絡役になった。警察再編担当の米司令官はヒスパニック系米国人だった。アブバラはスペイン語も話し、司令官の信頼を得た。

 1カ月ほどして米将校が聞いた。「君はただの警官ではないな」。アブバラは「ムハバラートでした」と答えた。

 ムハバラートは旧フセイン政権最大の情報機関として政権の強権体制を支えたが、戦後は完全に排除された存在だった。アブバラは97年から2年間、キューバのイラク大使館に勤務した経験があった。外国にあるイラク大使館の外交官には必ず情報部門から人が来ていたという。

 アブバラはその時にスペイン語を独学で習得した。米将校はアブバラの答えに、「そうか」と言ったきりで、その後は何も触れなかったという。

 その後、占領当局が任命したイラク人の州知事が米将校と警察幹部を招いて治安を協議する会合を持った。米将校はアブバラにスペイン語で通訳するよう求めた。

 会合の後、知事から「私の通訳にならないか」と誘われ、受けた。後に知事にも素性を問われ、経歴を明かした。「トップと信頼関係をつくれば、同僚に秘密を知られることを恐れる必要はなくなる」という計算があったという。

 アブバラは州知事を通して占領当局の州事務所にも出入りし、戦後復興の助言をするようになった。03年10月には、イラクの地方行政復興を請け負う米国組織の現地スタッフとして、州評議会の選出に奔走した。

 「私の古い人生は終わり、新しい人生が始まった。どちらも国と社会の安定のために裏方として働くのは同じだ」と、アブバラは語った。

 アブバラが働いていたムハバラートの内部情報局(M6)の職員は約400人。28局あり、1万人以上の職員を抱えるムハバラートの綱紀粛正や腐敗取り締まりが任務だ。「ムハバラートの中のムハバラート」の異名をとった。

 組織の要の部署に配属されたのは、フセイン元大統領と同じ部族だったからだという。アブバラは職員の使い込みから、本人や妻のスキャンダルなどを処理するのも仕事だった。職員の妻が不倫しているのを発見して、 ・・・ログインして読む
(残り:約7781文字/本文:約11073文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。
Journalismの記事も読めるのは全ジャンルパックだけ!


筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、最新刊に『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)。

川上泰徳の記事

もっと見る