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自衛隊駐留を「よかった」が7割

 自衛隊は2006年7月に2年半の駐留を終えてサマワから撤退した。私は東京に戻って編集委員をしていたが、自衛隊がサマワで何を残したかを検証するために、サマワで現地取材をすることを提案した。

 当時、イラクはスンニ派とシーア派の激しい宗派抗争が起こり、最悪の状態だった。サマワ取材については、その狙いやサマワ入りのルート、安全対策、取材態勢について、本社の編集局長も出席して検討したうえで、認められた。サマワにはクウェートから陸路で入るルートとなった。

 地元の助手たちは現地に残っていた。私はサマワ入りにあたって、もう一度世論調査を実施することを決めて、助手たちに準備するよう指示した。

 世論調査の結果は「陸上自衛隊イラク駐留、7割が評価 事業ごと、ばらつき 現地世論調査」という見出しで記事になった。

<【サマワ=川上泰徳】 陸上自衛隊が約2年半にわたり駐留したサマワなどムサンナ州で、朝日新聞は地元紙ウルクと共同で世論調査を実施した。71%が駐留を「よかった」と評価した。その復興支援活動を「役に立った」としたのは67%で、約3割は不満を表明。「医療援助」「学校改修」などは7割以上が評価したが「道路改修」への評価は4割台で、事業によってばらつきがでた。
 陸上自衛隊が撤収を完了して1カ月あまり後の今月22日から25日、サマワなど3市で戸別訪問による面接方式で調べた。有効回答数は1551。同様の世論調査は04年6月と同11月に実施し、ともに8割以上が自衛隊の駐留を支持していた。
 駐留の評価を尋ねると、「大いによかった」が26%、「おおむねよかった」は45%で、「あまりよくなかった」「大いによくなかった」が計26%だった。
 自衛隊は2004年1月から今年7月中旬まで駐留し、学校など公共施設の復旧・整備、道路改修、医療援助、給水など計130件を超える復興支援事業を手がけた。>(2006年8月31日付「朝日新聞」朝刊)

自衛隊が撤退した後のサマワの宿営地=2006年8月、撮影・筆者拡大自衛隊が撤退した後のサマワの宿営地=2006年8月、撮影・筆者
 自衛隊駐留について7割が「よかった」と答えているのは、人々が自衛隊に悪感情を持っていないことを示すものだ。イラク戦争後に駐留した外国部隊としては稀有なことである。

 それは自衛隊が、駐留の間、イラク人に対して一度も銃撃をせず、一人のイラク人を殺すことも、傷つけることもなかったおかげである。

 自衛隊は、戦わなかったことで、一人の犠牲者も出すことなく、サマワから出ることができた。

 すでに書いたようにサマワの部族は決しておとなしい部族ではないし、かつて対英暴動が始まった場所である。復讐社会のイラクでは、一つ間違えば、泥沼になり得る危うさがあったはずだ。

 そのような場所で自衛隊が経験した困難や苦労は、ほとんど伝わっていないし、残念ながら自衛隊からも公表されていないが、それは想像を絶するものだったと考える。

 自衛隊の困難を象徴していたのは、私が宿営地に入ったイラク軍の司令官から聞いた自衛隊の撤退時の様子である。これは「サマワからの報告」という検証記事で書いた。

<イラク南部のサマワにある陸上自衛隊の旧宿営地に入った。3平方キロを超える広大な敷地に100のテントが並ぶ。イラク軍のサマワ駐留司令官フセイン・ズウェイド准将は、7月の自衛隊撤収の模様をこう語った。
 「我々が宿営地へ行くと、地主たちや、地主と同じ部族の関係者が武器を持って集まっていた。自衛隊は、引き継ぎ式もなく裏門から逃げるように出ていった。土地の明け渡し先について話がついていなかったのだ」
 宿営地の管理を引き継いだ後、准将は地主に「自衛隊と同じ処遇をしろ」と詰め寄られた。彼らの話を聞いて驚いた。ある地主は自衛隊と合意したとする年額約3千万円の土地謝礼の協定書を見せた。別の地主は「宿営地に砂利を納入して30万ドル(約3500万円)を得た」と訴えた。
 地主はみなザイヤード族の一員だった。サマワのあるムサンナ州で最も力を持つ部族だ。「自衛隊は金を使って部族長に様々な便宜と事業契約を与えた。ザイヤード族から運転手、護衛、清掃作業員も雇っていた。その代わりに安全を得ていた。>(2006年9月1日付「朝日新聞」朝刊)

 自衛隊がサマワで行った復興支援事業について、世論調査では「よかった」という声が7割あったが、実際に支援事業が行われた場所での現場の声は複雑だった。

 04年6月に自衛隊が最新の未熟児用の人工保育器9台を提供したサマワの子ども病院に行った。

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筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』(岩波書店)、『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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