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[1]東欧革命の発祥地ポーランドから

独裁政治を倒した「連帯」の経験

伊藤千尋 フリー・ジャーナリスト

 NGOピースボートの「地球一周の船旅」が人気だ。現在就航中の第87回クルーズには約1000人もの乗客が乗り、4月12日に横浜港を出港して7月25日まで、24の寄港地に立ち寄りながら105日間で世界を回る船旅をしている。

 私は5月末から7月初めまで、北欧から中米までの区間の1カ月と1週間をこの船で過ごした。船内で乗客に講演をするためで、ピースボートに乗るのはこれが18回目だ。寄港地での取材や船内での体験を報告したい。

 成田空港を5月下旬に出発した私は、ドイツ経由でポーランドのグダンスク(グダニスク)に着いた。社会主義時代に自主管理労組「連帯」が生まれ、東欧革命をリードした地だ。旧市街には中世の時代からの古い石造りの街並みが広がる。

 石畳の道を抜けると、運河の河口にある半島だ。ヴェステルプラッテという。

第2次大戦が開始した地に建つポーランド守備隊の記念碑拡大第2次大戦が開始した地に建つポーランド守備隊の記念碑=撮影・筆者
 ここは第2次大戦が始まった場所である。1939年9月1日にナチス・ドイツの戦艦がここを砲撃しポーランド侵攻を開始した。

 迎え撃ったのが182人のポーランドの守備隊だ。劣勢な兵力にもかかわらず1週間もちこたえた。その勇気を称えて丘の上に高さ25メートルのコンクリートの記念碑が建っている。

 埠頭に真っ白な大型客船が横付けされていた。赤い煙突に「PEACE BOAT」と書いてある。3万5000トンで、長さが205メートルある。

 船内にはエレベーターがいくつもあり、10階まで行ける。バーやレストランはもちろんプール、映画館から200人も入る劇場まであり、さながら動くホテルだ。

 ピースボートは、単に観光旅行をする船ではない。基本はスタディー・ツアーだ。寄港する先々でツアーを組み、現在の政治や社会の問題を考えたり、現地の文化に触れたり、人々と交流したりする。

中世さながらの建物が並ぶグダンスク市街拡大中世さながらの建物が並ぶグダンスク市街=撮影・筆者
 グダンスクでは10のツアーが組まれていた。ナチスの強制収容所や世界遺産に登録されている城の訪問や伝統文化を体験するコースなどだ。私が選んだのは「自由への道 ポーランド民主化と『連帯』」と題したものだ。

 1989年に東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が崩壊し、当時の東欧の社会主義国が雪崩をうって民主化した。

 その先鞭をつけたのがポーランドだ。のちにノーベル平和賞を受賞したワレサ氏を代表とするグダンスクのレーニン造船所の労働者がストに突入し、全国民を巻き込んだ民主化運動を展開した。

 独立自主管理労組「連帯」を結成したのが1980年だ。ワレサ氏は当時、36歳だった。全人口の4分の1に当たる1000万人の市民が自由を求めて「連帯」に結集した。

 これだけの人が集まれば独裁政治を倒せるのだ。今の日本の政治を変えたいが難しい……と考える人にとって、ポーランドの動きは参考になる。

 政府は戒厳令を公布し、ワレサ氏ら「連帯」の幹部たちを逮捕して弾圧した。労働者側は抵抗集会を開き、一般国民も5月3日の憲法記念日に抗議集会を開催して支援した。

 やがて「連帯」が中心となって全国委員会を結成して政府と交渉し、自由選挙の実施で合意した。

 1989年6月の国会選挙では「連帯」が圧勝した。ドイツのベルリンの壁が崩壊したのは、その5カ月後だ。東欧の無血革命の道筋をつけたのがポーランドの「連帯」だった。翌90年の大統領選挙でワレサ氏が勝利した。

「連帯」の拠点

 ツアーでまず訪れたのは旧レーニン造船所だ。今はグダンスク造船所と名を変えている。

 案内してくれたのは民営化後に造船所の副所長になった設計技師のアンジェイ・ナブロツキさん(70歳)だ。ワレサ氏とは大統領時代によく会ったという。

グダンスク造船所の門拡大グダンスク造船所の門=撮影・筆者
 ワレサ氏が電気工として働いていた古い工場が、そのまま残っている。

 近くには「連帯」の拠点となった赤レンガ造りの建物がある。

 ストをした労働者と経営側とが賃上げや言論の自由など21カ条の協定を結んだ場所だ。今は労組の展示場となっている。

 造船所の入り口の鉄の門には、「連帯」の旗とポーランド出身の元ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の肖像画が掲げてあった。そばの広場には軍隊と衝突したさいの犠牲者に捧げる高さ25メートルの記念碑が建つ。十字架と錨の形をした「希望のシンボル」だ。

 その先には巨大な船の形をした記念館が建っている。自由選挙から25周年になるのを記念して2014年8月にオープンしたばかりの「ヨーロッパ連帯センター」だ。「連帯」の足跡を記録し、東欧革命の意義を歴史にとどめようとする。

 欧州では過去を忘れるのではなく、そこから未来への教訓を得ようとする考えが根強い。パンフレットには「ポーランドの自由への道の経験から、私たちは今日なお民衆のエネルギーを引き出すことができる」と書いてある。

 入ると広い吹き抜けだ。エスカレーターで2階に上がると、最初の部屋の天井は造船労働者のヘルメットで埋まっていた。レーニン造船所時代のタイムカードもある。床に置かれたのは、戦車に壊された造船所の鉄の門だ。壁には労組活動の流れが記してある。そもそもストが始まったのはアンナさんという一人の女性労働者がクビになったことがきっかけだった。

=撮影・筆者拡大抵抗運動のさい胸につけた抵抗器.=撮影・筆者
 展示品の中には板に手書きされた21カ条の協定や地下活動時代の印刷機、さらに政府を皮肉ったビラのほか電気部品の抵抗器があった。戒厳令の時代、人々は抵抗運動のシンボルとして服の胸に抵抗器をピンで留め、屈しない意志を示したのだ。

 今の「連帯」本部は新市街にあり、入り口にはベルリンの壁の一部が2メートル四方に切り取って展示してある。

 旧市街の一角には、かつてのワレサ氏の事務所跡があった。ワレサ氏は引退し、妻と2人で市内に住んでいるという。子どもが8人いるそうだ。ちなみに本当の発音はヴァウェンサだった。

 船がグダンスクを出港した翌日、私は船内で「東欧革命の現場から――管理主義からの自由」と題し、乗客に講演した。1989年の11月から12月にかけてチェコの無血革命とルーマニアの銃撃戦の中で取材した体験を語った。

 船はその翌日にスウェーデンのストックホルムに寄港した。次回はエコな街造りを進める北欧の現状を報告しよう。  (つづく)

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筆者

伊藤千尋

伊藤千尋(いとう・ちひろ) フリー・ジャーナリスト

1949年、山口県生まれ、東大法学部卒。学生時代にキューバでサトウキビ刈り国際ボランティア、東大「ジプシー」調査探検隊長として東欧を現地調査。74年、朝日新聞に入社し長崎支局、東京本社外報部など経てサンパウロ支局長(中南米特派員)、バルセロナ支局長(欧州特派員)、ロサンゼルス支局長(米州特派員)を歴任、be編集部を最後に2014年9月、退職しフリー・ジャーナリストに。NGO「コスタリカ平和の会」共同代表。著書に『地球を活かすー市民が創る自然エネルギー』『活憲の時代』『変革の時代』『ゲバラの夢、熱き中南米』(以上、シネフロント社)、『一人の声が世界を変えた』『辺境を旅ゆけば日本が見えた』(以上、新日本出版社)、『世界一周 元気な市民力』(大月書店)、『反米大陸』(集英社新書)、『観光コースでないベトナム』(高文研)、『闘う新聞ーハンギョレの12年』(岩波ブックレット)、『燃える中南米』(岩波新書)など。

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