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病院に麻酔ガスがない

 2007年10月にパレスチナ自治区ガザに入った。その6月にイスラム政治組織ハマスがガザの穏健派ファタハを排除してガザを支配し、イスラエルはガザ自治区への経済封鎖を実施していた。

 イスラム組織であるハマスによる支配とは何か、人的、資金的に何がハマスを支えているのか、民衆とはどのような関係なのかなどを見極めたいと思った。取材期間は例によって2週間だったが、その間にハマスの軍事部門と接触することを取材の目標と決めた。

 ガザに入って、ガザ最大のシファ病院を訪れると、「麻酔ガスの予備がなくなった」とハサン・カラフ病院長が保健省に電話しているところだった。

 麻酔ガスがなければ、手術はできない。イスラエルの封鎖は食料品や医薬品は除外されているはずだが、実際には医療関係物資の搬入も制限されていた。

<ハマスが6月に武力で制圧したパレスチナ自治区ガザで、イスラエルの封鎖によって医療現場の危機が進んでいる。最大のシファ病院では麻酔ガスの不足で手術ができなくなった。国連も今月に入り、ガザへの搬入物資の減少と主要医薬品の欠乏を報告している。ガザを支配するハマスの孤立化政策を米欧がとる中、政治的な制裁による「人道危機」の構図が浮き彫りになってきた。麻酔ガスは予備がなくなった。もう緊急手術以外はできない。ガスがなくなれば緊急手術もできなくなる」。21日朝、ガザ市にあるシファ病院(450床)のハサン・カラフ病院長は、保健省に電話でそう通告した。
 シファ病院は、ハマスが武力制圧に出る今年5月には683件の手術を実施。150万の人口を抱えるガザの基幹病院として、診療所や他病院で手に負えない患者の受け入れ先でもある。だが、先月から抗がん剤も底をつき、重要な抗生物質も不足する。アシュール副院長は言う。「イスラエルは人道援助物資は止めていないというが、この病院の実態を見れば現実は明らかだ。検査機器の試薬もない。CTスキャンは壊れたままで修理部品がない。X線のフィルムも不足している。封鎖の下で日一日と機能がマヒしている」。
 麻酔ガスの不足は、保健省を通じて赤十字国際委員会(ICRC)ガザ事務所に伝えられた。同事務所はエルサレム事務所に緊急に麻酔ガスの調達を依頼した。ガザ事務所のイヤド・ナスル広報官は「麻薬ガスだけではない。封鎖によって建設資材も全く入らず、粉ミルクなどの食品も不足している」と語る。
 ハマスが6月、対立する穏健派ファタハ系の治安部隊をガザから排除すると、ヨルダン川西岸自治区を統治するアッバス自治政府議長は、ガザのハマス政権を無効と宣言した。ガザでは全省庁のトップがハマスメンバーに代わったが、実務への経験不足や人材不足もあり、危機対応が後手に回っている実態もある。
 今月9日に発表された国連の「ガザ人道援助状況」報告書は、「6月から9月13日まで1日106台のトラックがガザに入っていたが、9月中旬以降は1日50台に減った。人道援助プログラムの実施にも困難が生じている」と指摘。「世界保健機関(WHO)が定める必須医薬品モデルリストのうち最も重要な61品目は品切れで、他の125品目も2~3カ月の在庫しかない」とする。住民が出入りする南部のラファの検問所は6月以降、封鎖。ガザで治療ができない患者は北部のエレズ検問所を通ってイスラエルや西岸で治療する許可が出ていたが、国連報告書は「ガザから治療のため検問所を通過する人は7月の1日40人から、9月は1日5人以下になった」と指摘する。>(2007年10月24日付「朝日新聞」朝刊)

 シファ病院の悲惨な状況を見れば、封鎖の深刻さは手に取るようにわかった。

 しかし、ガザの町や市場で取材すると、人々の生活は平常通りで、市場も人でにぎわっていた。食料品や雑貨も不足している様子はなかった。その理由は、南部のエジプトとの国境の地下に違法な密輸トンネルが掘られて、物資がいくらでも入っていたからだ。

 さらに、イスラム組織であるハマスの社会事業部門が、貧困救済事業を行い、貧しい人々に支援をしていた。

 イスラエルの封鎖で困難な状況にあるはずのガザで、人々のハマスに対する意識は意外と好意的だった。

ハマスによる治安維持

 2000年秋に始まったインティファーダ(反占領闘争)がイスラエルに軍事的に抑え込まれた後、ガザでは同じファタハ系の治安部隊や警察が主導権争いをし、街中でいきなり銃撃戦が始まったこともあった。

 武装した警官は我が物顔で市民を威嚇し、治安幹部とつながる家族はのさばっていた。一方で車強盗などが頻発し、安全や治安は悪化していた。

 2007年にガザに入った時、かつてはガザのいたるところにいた武装警察がいなくなって、かつての物騒な印象がなくなった。目に付くのは、交差点に立つ黄色いベスト姿の交通警察ぐらいだ。

 銃を持った5万人以上のパレスチナ警察官や治安部隊が消えた。警官たちはガザを離れたり、自宅で待機したりしている。代わりにガザの自治政府を抑えているハマスの武装部門のメンバーが中心の新警官が7000人働いていた。

 ほとんどは通りに出ている交通警察で、ハマスの軍事部門がつくる治安警察は緊急事態やハマス以外の武装組織の排除の時にだけ外に出て、治安維持にあたった。反対派に対しては、人権無視の荒っぽい制圧行動に出た。 ・・・ログインして読む
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筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』(岩波書店)、『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)など。

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