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第1世代から第4世代まで

 パレスチナ問題は1948年の第1次中東戦争によってイスラエルが独立し、それに伴って70万人のパレスチナ難民が出たことに始まる。

パレスチナ難民60年でレバノンのシャティーラ難民キャンプで話を聞いた難民1世のお年寄り=撮影・筆者拡大パレスチナ難民60年でレバノンのシャティーラ難民キャンプで話を聞いた難民1世のお年寄り=撮影・筆者
 パレスチナ人は戦争によって故郷を追われたことを「ナクバ(大破局)」と呼ぶ。2008年がパレスチナ人にとって「ナクバ60周年」ということになる。

 私は60年のパレスチナ人の歩みを振り返る連載を始めた。

 まずはレバノンの首都ベイルートにあるシャティーラ・パレスチナ難民キャンプに入った。

 1949年、国連がベイルート郊外の1.5平方キロメートルの土地を99年間借りることにして、パレスチナ難民キャンプをつくった。

 そこでは1948年にパレスチナの故郷を追われた難民第1世代から、60年目に20代になった第4世代まで、世代ごとに話を聞いた。

 記憶と経験を掘り起こすことによって、難民たちの60年を描こうと思ったのだ。

 「シャティーラの記憶」というタイトルで1回ずつは比較的短い記事を15回連載した。

 狭い路地が迷路のように走る難民キャンプを歩いていて、「記憶の資料館」という看板を偶然、見つけて入った。それが連載の入り口となった。

<薄暗い部屋の奥にろうそくの炎がゆれて、ムハンマド・ハティブさん(60)が立ち上がった。「今日はあいにく停電だよ」と言う。壁にかかった品々が、黒い影をつくる。なべ、食器、はさみなど日用品から、農業で使う鎌、商店の秤(はかり)など商売道具もある。
 ハティブさんが難民キャンプで収集し、4年前に資料館を開いた。
 古いランプは70代の女性から譲り受けた。その時、彼女は言った。
 「私がそれを捨てようとした時、夫は『パレスチナの村から持ってきたものだぞ』と怒った。夫は死んだけど、捨てるわけにいかない」
 展示物はいずれも、48年のイスラエル独立によって故郷を追われたパレスチナ難民が持ってきたものだ。
 さび付いた家の鍵もある。
 「みんなすぐに戻るつもりで、家に鍵をかけて出てきた。それから60年がたってしまった」
 5月15日、パレスチナ問題は60年を迎えた。いまなお中東と世界を揺るがせる危機の根本を探るため、シャティーラ難民キャンプを訪ねた。>(2008年5月20日付「朝日新聞」朝刊)

 第1世代で故郷を覚えているのは70歳以上だったが、その記憶はまるで昨日のことのように鮮明だった。

パレスチナ人虐殺事件

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筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、最新刊に『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)。

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