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世界遺産登録に見る歴史への向き合い方(下)

これまでの蓄積を直視する姿勢を

金恵京 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

世界遺産委員会における焦点

 7月3日にドイツで開かれた世界遺産委員会にて新規案件に関する会議が始まると、6月下旬に筆者をはじめ関係者が感じていた日韓の雪解けムードは一気に萎んでしまった。

ユネスコ世界遺産委員会の議場=4日、ドイツ西部ボン20150704拡大ユネスコ世界遺産委員会の議場=2015年7月4日、ドイツ・ボン
 合意したと見られていた日韓の協議であったが、会議の段階になって、韓国側が予定していた発言の文言の中に「強制労働(forced labor)」が入っていたことに対して、元徴用工らによる個人賠償請求に関わる訴訟に影響するとして、日本から反対意見が出たのである。

 加えて、韓国の「百済歴史地区」の世界遺産登録が先に決定したこともあり、そのコントラストは非常に鮮明なものとなった。

 また、日本各地で世界遺産登録を期待してパブリック・ビューイングなどを企画していた人々の残念な表情や、日韓両国の各国に対するロビー活動などの報道が行われたことを受けて、日本の政府関係者が「合意したと思っていたのに」との発言をしたとされるなど(『毎日新聞』7月5日朝刊)、国交正常化50周年を機に改善に向かうと思われていた日韓関係は、急速に従来の対立構造への揺り戻しが行われていった。

 委員会における両国のやり取りの全容は、外交上の理由から正確に知ることはできないが、結果として「強制労働(forced labor)」という文言を使わないことで両国が同意し、「働かされた(forced to work)」との文言を用いて佐藤地(くに)ユネスコ大使が世界遺産委員会での発言を行うこととなった。

 ただ、その直後、菅義偉官房長官は「国民徴用令に基づいて行われた朝鮮半島出身者の徴用は、強制労働には当たらない」、岸田文雄外相は「強制労働を意味するものではない」との発言を行い、両国における反発はかえって激しさを増すこととなる。

 自民党が7月10日に国会内で開いた総務会においては、政府に対して「国益を損なった」などの批判が相次いだとされる。一方で、韓国のメディアも世界遺産委員会での佐藤大使の発言を受けて「土壇場で逆転判定勝ち」や「全方位外交戦実る」などと報じたことで、両国の理解を進める契機となることを筆者が期待していた世界遺産登録の場は全く逆の様相を呈することとなった。

韓国の課題:国際法の観点から

 こうした世界遺産委員会におけるやり取りや、関連する状況に対しては、幾つかの問題があるが、まずは韓国の課題から見ていくこととしたい。

 私は日本政府が「強制労働」の文言の扱いに泥濘する対応から推測するに、結果的に示された「働かされた」という文言よりもある意味“ソフトな”文言や姿勢を日本政府が事前に主張したであろうことを考えれば、その点における韓国側の対応は理解できる。強制徴用の事実を、記録や記憶に残そうとする韓国側の従来からの主旨と、日本政府の立場が大きく乖離しているからである。

 一方で、日本の疑念の源泉となった強制徴用の賠償請求を韓国最高裁が認めた(正確には、元徴用工からの請求を棄却した韓国高等法院判決を大法院が破棄し、その後、釜山高等法院にて原告らの主張をほぼ全面的に認めた判決が出された)ことに対しては、国際法を専門とする者からすると、韓国司法の問題を指摘しなければならない。

 日本の強制徴用に関しては、朝鮮戦争後から韓国だけでなく北朝鮮でも議論がなされていた部分であり、その規模や証言者も多かったため、日韓基本条約が締結された1965年において問題は既に明確であり、条約作成段階で交渉も行われていた(この点が研究や証言が当時、不十分であった従軍慰安婦問題との相違である)。

 また、強制労働の国際的な規範と位置づけられている1930年の強制労働条約は、1965年の段階で既に存在していたのであるから、日韓基本条約において考慮されたと見るべきであり、「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」第2条の文言の通り、強制徴用に関わる賠償問題に関しては解決済みとすることが適切である。そのため、強制労働の定義と、賠償をからめて「外交上の勝利」を謳う韓国メディアの姿勢は焦点がずれているように感じる。

日本の課題:既に定着している観点から

 ただし、強制徴用に関する賠償が終了したことは、その問題が無かったことと同意ではない。この点が現在の日本に見られる大きな問題となっている。特に、合意直後から指摘されている英語の文言をめぐる解釈から整理していきたい。

 世界遺産委員会で登録が決定した後、佐藤大使は、

 More specifically, Japan is prepared to take measures that allow an understanding that there were a large number of Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions in the 1940s at some of the sites, and that, during World War II, the Government of Japan also implemented its policy of requisition.(より具体的には、日本は「1940年代に幾つかの登録施設において、多くの韓国人やその他の国の国民が自らの意思に反して連れて来られ、厳しい条件の下、働かされたこと、及び、第二次世界大戦中に日本政府もまた徴用政策を行ったこと」を理解できる手段がとれるよう準備を整えている)

 と発言したが、その中の「brought against their will and forced to work under harsh conditions(意思に反して連れて来られ、厳しい条件の下、働かされた)」との表現に対して、それを官房長官や外務大臣が述べているように「強制労働ではない」とするのか、「強制労働である」とみなすのかを考えれば、課題は明らかとなる。

 私は大学の教員でもあり、各種試験の採点を行う側として、この二つの英語の解釈でどちらが正解に近いかを考えてみたい。

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筆者

金恵京

金恵京(きむ・へぎょん) 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

国際法学者。日本大学危機管理学部准教授、早稲田大学博士(国際関係学専攻)。1975年ソウル生まれ。幼い頃より日本への関心が強く、1996年に明治大学法学部入学。2000年に卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修士課程に入学、博士後期課程で国際法によるテロリズム規制を研究。2005年、アメリカに渡り、ローファームMorrison & Foester勤務を経て、ジョージ・ワシントン大学総合科学部専任講師、ハワイ大学東アジア学部客員教授を歴任。2012年より日本に戻り、明治大学法学部助教、日本大学総合科学研究所准教授を経て現在に至る。著書に、『テロ防止策の研究――国際法の現状及び将来への提言』(早稲田大学出版部、2011)、『涙と花札――韓流と日流のあいだで』(新潮社、2012)、『風に舞う一葉――身近な日韓友好のすすめ』(第三文明社、2015)、『柔らかな海峡――日本・韓国 和解への道』(集英社インターナショナル、2015)、最新刊に『無差別テロ――国際社会はどう対処すればよいか』(岩波書店、2016)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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