「慰安婦」問題と感情的ナショナリズム
2015年08月14日
(この論考は2015年7月23日に行われた立憲フォーラムでの発表に基づく)
今年の5月5日に、私を含めて欧米にいる187人の日本研究者が声明を出した。
この声明はこの半年ほどで発表された知識人による複数の声明のひとつであった。これらの声明はいずれもいわゆる「歴史問題」に関するもので、特に従軍「慰安婦」問題に焦点を当てているのが特徴だった。
私たちの声明は、2014年10月15日に出された日本の歴史学研究会の声明に触発され、その声明に海外から賛同する意味で出したものだ。
この16団体声明は日本の歴史学団体をほぼ網羅しているので、慰安婦問題について、大多数の歴史研究者は同様の意見を持っていると言ってよいだろう。
また、私たち187人の声明が出た後、ヨーロッパを中心に賛同する日本研究者の署名も約1週間のうちにさらに300近く集まった。署名集めを続けていれば世界中から1千人も2千人もの日本研究者の署名が集まったにちがいない。
私たちの声明は他と違って東アジアの外からの発言だったので、その性質上おのずから口調が異なっていた。このように直接当事者ではない立場にいる者として政治問題に介入するのは異例のことで、それを意識して、私たちは当事者である東アジア諸国の人々になるべく広く受け入れられ、そして建設的な発言になるように務めた。
声明を作成するにあたっては、歴史認識に関して二極化してしまった言論状況に対して、外部からどうやって高飛車な物言いに聞こえない表現で常識を取り戻すように促すか、慎重に考えなければならなかった。また、署名者のなかにもさまざまな政治的立場の人もいた。
この声明の作成に私自身が関わった理由は、日本と日本以外の国々の間にとりわけ「慰安婦」問題について認識のギャップが大きく広がっていることを懸念していたからだ。人生の半分ほどを日本とアメリカ合衆国のあいだで生きてきた者として、日本の新しい風潮を異様に感じてもいた。
このギャップと私なりの解決法については以下3点でまとめる。日本歴史が専門であるが、「慰安婦」問題の研究者ではないので、専門家も非専門家も共有できる平坦な言葉と常識的な捉え方を求めたい。
まずはなぜこの歴史認識のギャップが生じているかということだ。2番目に、もし認識のギャップがあるなら、「正しい歴史認識」とはなにか。そして3番目に、どうやってそのギャップを縮めるかということである。
日本の政界やメディアには、「慰安婦」問題について日本の外の世界と相当違う認識を持っている人が多いようだ。これは一部の学者にも支えられている。
このギャップを考えるときにまず、日本が正しく世界が間違っている、という可能性を考えなければならない。
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