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歴史認識のギャップをどう縮めるか(下)

「正しい歴史認識」と歴史教育

ジョルダン・サンド ジョージタウン大学歴史学科教授

 2番目に考えたい点はいわゆる「正しい歴史認識」である。この表現は安倍首相も韓国のユン外相も使っているが、実は一般的に「正しい」歴史認識とはなにか、ということは歴史方法論上複雑な問題である。

 歴史家は単に史実を集めればいいと考えるひとも多いが、しかし「史実」はそこに横たわっているものではない。あるのは文献、証言、写真、発掘品などの「痕跡」のみで、これを介して永遠に取り戻すことのできない過去のごく断片的な描写を試みる以上のことは不可能である。

 そこで、たとえば被害者の数がわからないという理由で、事実が確定できていない歴史を教えるべきではないというような反論を唱える人もいる。

 しかし数の問題は「慰安婦」の歴史だけにあるものではない。

 被爆者も国が認めている数と想定されている被害者数は数倍違うし、ベトナム戦争で米軍の枯れ葉剤作戦の被害者は現地では300万人と推定されているのに、米国側ではまだ数千人しか認めていない。ちょうど100年前に起きたアルメニア・ジェノサイドは「ジェノサイド」という新語を生んだ事件として知られているが、30万人あるいは150万人が殺害されたという大幅な解釈の差がある。そして歴史家の広いコンセンサスにもかかわらず、トルコ政府は国家の犯罪だったことを否定し続けてきた。

 つまり、単純に史実を積み重ねるだけではなく、国家の意向にかかわらず、残った痕跡によってなるべく広く共有できる解釈を求めるというのが歴史家の務めなのだ。

 私たちの声明は、解釈をめぐる論争は研究者の間で常にあることを意識して書かれた。

 「慰安婦」に関する歴史論争に一石を投じるというより、歴史に立ち向かう一般的な倫理を主張することに目的があった。そこで論争の争点になっている言葉を敢えて避けたのである。

 例えば、「性的奴隷制」という言葉。「奴隷制」は概念用語だ。私は「慰安婦」制度を理解するために有用な概念用語だとは思うが、しかしさしあたりの政治問題には、このような概念用語に関する論争に決着をつける必要はない。

 現在直面している政治問題は多くのアジア人女性が日本軍によって、日本軍のために作られた制度のなかで、ひどい被害を受けたこと、正義を要求していること、そしてその責任は日本の国家にあることである。

 「奴隷制」のような概念のさまざまな側面を議論することは歴史家として当然だ。しかし、日本軍に性暴力を受けた被害者の証言が8カ国から出ていることに対して「証拠がない」と言って片付けようとするのは歴史家として妥当な姿勢ではない。

国際的な見地を持つ世代を育てるために

 では、どうすれば歴史認識のギャップは縮むのだろうか。

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