2015年09月17日
安倍談話の翌日(8月15日)、韓国にて朴槿恵大統領は毎年恒例の光復節(韓国の独立記念日)演説を行った。日本においても韓国の大統領演説は注目され、毎年、同日の夕方のニュースでは総理大臣と天皇陛下の全国戦没者追悼式における発言が紹介された後に、韓国の大統領の発言が並べて伝えられるのが通例となってきている。
ただ、この演説文を検討する前に、予め押さえておかなければならないのが、韓国大統領の演説は韓国国民に向けて喜ばしい日を記念して述べるものだという点である。
日本では、その部分のみが報道されることが多いため、日本への批判に重点が置かれていると思われがちであるが、本来の意図や位置づけを正確に掴むためには全体像を理解する必要がある。
また、日韓両国のメディアにおいて、朴槿恵大統領の安倍談話に対する「私たちとしては残念な部分が少なくないのは事実」との文言に注目が集まった。
これまでの朴大統領の立場を考えれば、そうした面が強調されるのは致し方ないところではある。
しかしながら、その文章は「歴史は隠してどうにかなるというものではなく、生き証人の証言によって生きている」と続き、安倍談話においてアジア全体への植民地支配と従軍慰安婦の問題についての謝罪と反省の立場が示されたことを歓迎している。
安倍談話に対して苦言を呈しつつ、一定の評価を下したというのが演説から受ける印象であろうし、そうした発言の後に「新たな未来に進む」との文言も見られることから、日韓両国の国民が望んでいた両国の友好の方向に進むとの方針が示されたと考えて良い。
ただ、安倍談話の何が朴大統領に残念と思わせたのかは指摘しなければならない。
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