中東や北朝鮮との「戦闘状態」が意味するもの
2015年10月14日
この1年ほどの間、日本では集団的自衛権に注目が集まり続けた。特に、6月4日の衆議院憲法審査会において各党から推薦された3人の憲法学者から「違憲」との意見が示されたことで、少なくとも憲法を国の最高法規と位置づけようとする者にとって、一連の安保法制は再検討を要するとの認識が強まることとなった。
結果的に、いわゆる安保法案(「国際平和支援法案」と「平和安全法制整備法案」の総称)は圧倒的多数の憲法学者からの反発を受けつつも、強行採決や議場での混乱を経て2015年9月19日未明に参議院本会議にて可決された。
確かに、集団的自衛権は国際法上認められた権利であるものの、憲法に違反する法律が存在しまっては国の法制そのものが基礎から崩れてしまう。
そうした安保法制に関する憲法や国内法の論議に関しては、それぞれの分野の専門家が積極的に情報を発信しているため、ここでは詳述しない。
ただ、これまでなされて来た安保法制の議論の中で、リスクの問題が語られる際の視点の狭さが、私には非常に気にかかる。
国会での論戦が本格化してから、注視されてきたのは主として自衛隊員のリスクであった。自衛権の範囲を拡大すれば、当然のように彼らのリスクは増える。
もちろん、それに関する議論は欠かせないところではあるが、テロについて研究を続けてきた筆者からすると、自衛権を拡大することによって起きる国民全体へのテロのリスクも検討されなければならないと感じている。
まず近年の集団的自衛権とテロとの関連を、事例を通じて検討したい。
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