「対米基軸」がすべてに優先 辺野古と安保法制
2015年10月20日
安全保障関連法制の成立過程で、政府は立憲主義をないがしろにし、沖縄・辺野古の新基地建設では地元の民意を強権的な手法で圧殺しつつある。辺野古と安保法制は、戦後日本が抱え続ける「対米基軸」がすべてに優先するという絶対的価値概念を、国民の前にわかりやすく表出させたという意味で通底している。民主主義の根幹をなす社会システムを毀損してまでも、ひたすら強化してきた日米安保・同盟は、今後も日本に経済的豊かさを及ぼし、平和を享受するのに欠かせない「安心の源」であり続けるのか。
筆者が日本の対米基軸路線の「いびつさ」を痛感するようになったのは、2009~10年の民主党の鳩山政権時だ。
鳩山由紀夫首相が選挙公約に沿って普天間飛行場の移設先変更の検討に着手すると、外務・防衛官僚はサボタージュを決め込み、マスコミ幹部や外交評論家は競い合うように「日米同盟にひび」と大合唱した。「時間的制約」というプレッシャーをかけつつ、首相に「辺野古回帰」を表明させるとともに政権を退陣に追い込んだ。
米本国で「普天間問題」を知るアメリカ人はほとんどいない。にもかかわらず、日本では在日米海兵隊の一つの施設をめぐって首相が辞任する。
「日米同盟」という大義と、「抑止力」という得体の知れないマジックワードで包み、米海兵隊の部隊運用の実態に踏み込んで冷静な議論を交わすムードさえも押し流していく。対米関係をめぐる日本中枢のゆがんだ内実を沖縄から見ていると、その異様さに目眩がするほどだった。
外務・防衛官僚はほぼ例外なく、「アメリカの意向」を忖度し、安全保障政策に反映させる役割を担う。アメリカからの「見捨てられの恐怖」をあおるのが務めのように振る舞う政権中枢や「安保の専門家」たちの行状を目の当たりにし、筆者はこう考えるようになった。
これは敗戦後、GHQによって確立された「間接統治」の手法の名残りではないのか―。
辺野古での新基地建設事業は沖縄防衛局という、旧防衛施設庁の沖縄の出先機関が担っている。防衛施設庁は技術審議官ら3人が東京地検特捜部に競売入札妨害容疑で逮捕された事件が引き金となり、2007年に解体され、現在は防衛省の地方協力局などの部署に業務が引き継がれている。
一般の人にはなじみの薄い防衛施設庁の役割とは何だったか。一言でいうと、在日米軍を「おもてなし」するのが主な仕事だ。米軍基地による住民生活への影響が深刻な影を落とす沖縄で、筆者は防衛局の職務に対して複雑な感慨を抱くことも少なくなかった。
そもそもなぜ、こうした組織が日本に設立されたのか。
近著「日本はなぜ米軍をもてなすのか」(旬報社)の取材で旧防衛施設庁の源流をたどると、GHQによる占領期にさかのぼることがわかった。連合国の日本占領は「間接統治」が原則だった。これは独特ともいえる敗戦国の管理方式だ。
なぜこうなったのか。
ポツダム宣言の受け入れに際して日本側が求めた唯一の条件は、「天皇の国法上の地位を変更しないこと」だった。「天皇の国家統治の大権を変更するとの要求は包含していないという了解の下に受諾する」との日本側の申し入れに、連合国側は「降伏の時より天皇および日本政府の国家統治の権限は、降伏の条項実施のため、その必要と認める措置をとる連合国最高司令官の制限の下におかれる」と回答した。
もちろん、連合国最高司令官の「制限」とは、実質的な「支配」を意味する。それを象徴するのが、1945年9月22日に公表された「降伏後における米国の初期の対日方針」に記された以下のくだりだ。
「天皇および日本政府の権力は降伏条項を実施し、日本の占領および管理の施行のため樹立せられたる政策を実行するために必要な一切の権力を有する最高司令官に隷属するものとする。日本社会の性格ならびに最少の兵力および資材により目的を達成せんとする米国の希望にかんがみ、最高司令官は米国の目的達成を満足に促進する限りにおいては、天皇を含む日本政府機構および諸機関を通じてその権限を行使すべし」
「日本社会の性格」を勘案して、天皇や政府を介する統治の余地を残した、とも読みとることができる。GHQの間接占領によって温存されたのは天皇制とともに、官僚機構であることも忘れてはならないポイントだろう。この「間接占領」という日本統治方式が、特別調達庁という旧防衛施設庁の原点ともいえる機関の誕生には不可欠だった。
防衛施設庁の前身は調達庁で、さらにその前身は特別調達庁という名称の政府機関(総理府の外局)だった。この組織は文字通り、占領軍ご用達の「調達機関」として誕生した。占領軍が直接、全国各地でばらばらに物資や不動産、労働力を「調達」することによる混乱を避け、日米の事務手続きの一元化を図るため、日本側窓口がGHQ主導で1947年に設立されたのだ。
着目すべきは、占領軍と日本政府の間では強制的な占領者意識むき出しの「徴発」の色彩の濃い要求も、日本政府が間に入って業者や市民に「発注」する段階では、契約に基づく商取引として成立していたことだ。膨大かつ多岐にわたる占領軍の要求は、律儀な「役人」が介在しなければ秩序や合理性を確保することは困難だったように思われる。
しかし、これがプラスの面ばかりに作用したとは言い切れない。
「アメリカ(GHQ)の仲介役」として官僚が果たした役割の基調は、日本が講和条約を締結して「独立」を果たした後も、官僚機構の中枢にDNAとして組み込まれ、アメリカの意向を忖度し、自発的に追従していく官僚の行動原理に違和感なく結びついていったのではないか。
特別調達庁は日本の「独立」後も、占領期の色彩が濃い「特別」という冠を外すことで存続した。とはいえ、もてなす相手は「占領軍」から「駐留軍」に名称が変わっただけ、というのが実情だ。旧防衛施設庁が現在の防衛省でおこなっている業務、たとえば沖縄防衛局の仕事の内容を見ていれば、それが米軍をもてなすための差配であることは一目瞭然である。在日米軍を優遇し、米軍と日本社会との軋轢を少なくし、米軍にとって日本が居心地よい環境を整える。その尖兵が旧防衛施設庁であり、現在、防衛省地方協力局の下に各地に置かれている防衛局だといえる。
安倍政権の下で進められてきた、国家安全保障会議(日本版NSC)の設置→特定秘密保護法の制定→集団的自衛権の行使容認という一連の流れは、アメリカ側の要求がベースになっているのは周知の事実だ。
集団的自衛権が日本で取りざたされるようになったのは、2000年の「第一次アーミテージ報告」で行使容認が「日本への期待」として盛り込まれたことが少なからず影響している。これは、アメリカの対日外交の指針としてアメリカの超党派メンバーによって作成される政策提言だ。07年の第二次報告、12年8月の第三次報告を通じ、直接、間接織り交ぜ、日本に、日本版NSCの設置、特定秘密保護法の制定、集団的自衛権の行使容認、さらには9条改憲を促している。
安倍政権下の一連の安全保障政策は、「安全保障環境が厳しさを増している」ことを大義名分に進められている。しかし、具体的な政策立案は元アメリカ国務副長官のアーミテージ氏ら一握りのジャパン・ハンドラー(対日関係の操縦者)の描く道筋に沿っており、彼らが提示する「アメリカの要求」に応じることを目的化しているようにも映る。
集団的自衛権の行使容認によって「日米安保の双務性(互いに義務を負う)」を担保するのであれば、巨額の在日米軍駐留経費の支払い停止や日米地位協定の改定、沖縄をはじめとする在日米軍基地の削減、撤退も同時に議論していくのが筋だが、日本側からはまったくそういう声は聞かれない。日本政府が集団的自衛権の行使容認に踏み切る動機と目的が、アメリカにより深く臣従することにあるから、そうなるのではないか。
その代償は日本社会全体で負うことになる。
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