イスラエル、パレスチナ自治政府、エジプト……政治的対立の果てに
2015年10月26日
欧州に向かうシリア難民が大きな問題となっているが、パレスチナ自治区ガザからの密航者が後を絶たないという。
ガザに支部がある欧州地中海人権モニターの広報担当マハ・フセイニさんは、「シリア難民の陰に隠れて目立たないが、ガザからの密航者は大きな問題となっている。イスラエルによる封鎖が続き、6年間で3回の大規模攻撃もあり、人々は希望を失っている」と語る。
ガザは2014年7月から8月下旬まで、50日間に及ぶイスラエルの大規模攻撃があり、2200人が死亡、全壊した9000戸の家屋を含む2万3000戸が損傷を受けた。
イスラエルの攻撃が終わった直後の2014年9月、エジプトの地中海岸の都市アレクサンドリアを出港した密航船が地中海で沈み、400人から450人の密航者が死んだ事件があったが、そのうちの300人以上がガザ出身者だった、とマハさんは明らかにした。
「ガザの人々は封鎖と戦争で希望を失っており、それが命がけの密航に向かう原因となっている。密航に向かうのは貧しい人々だけではなく、比較的豊かな生活をしていた人々も含まれている」と語る。
この沈没事件で救助されたのは11人だけで、うちガザ出身のパレスチナ人が8人、シリア人2人、エジプト人1人。欧州地中海人権モニターは、この沈没事件について英語とアラビア語で報告文を出している。
それによると、船はアレクサンドリアを2014年9月6日に出港した。乗客は一人2000ドルから4000ドルを密航斡旋業者に支払った。乗船客には家族連れも多く、乗客のうち100人は子どもだったという。
報告文によると、密航船はイタリアを目指したが、出航から2時間後に、乗客は別の船に移るようにいわれ、さらに2日後の8日、別の船に乗り換えた。船に積まれている食料は不足し、子どもたちに優先的に与えられたという。
10日に乗客はまた別の船に乗り移るようにいわれたが、用意された船は16~18メートルほどで、全員が乗るには小さすぎるとして、乗船を拒否した。
そこへ、別の小さな船が現れた。そこにはエジプトなまりのアラビア語を話す男たちが乗っていた。その船は密航者たちが乗った船にわざと船体をぶつけ、穴をあけた。船は浸水し、沈み始めた。
乗客は海に投げ出され、多くがすぐに溺れたが、100~150人が船の縁や漂流物につかまって漂流した。しかし、寒さとのどの渇きなどで少しずつ力絶えて、溺れていった。それでも50人ほどが海の上で身を寄せ、「人間の鎖」をつくったが、沈没から3日目に風と波が強くなり、バラバラになったという。
漂流4日目に通りがかった貨物船が7人を救助して、ヘリコプターを呼び、ギリシャのクレタ島に移送した。だが、そのうち一人は9カ月の乳児で、救助された後に死んだという。さらに別の2隻の船で計5人が救助され、イタリアやマルタ島に移送された。
この沈没事件について、欧州地中海人権モニターは、▽エジプト、イタリア、マルタは協力して密航斡旋業者の捜査と摘発の実施▽欧州連合は、溺死者の遺体を捜索し、密航者の家族へ連絡▽難民を出しているシリアやパレスチナについて国際人権法に基づいて人々の生活を改善する――などと勧告している。
アラさんの妹のアミーラ・シャースさん(25)に話を聞いた。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください