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欧州難民危機 孤立するメルケル(上)

熊谷徹 在独ジャーナリスト

難民を社会に溶け込ませる作業

 欧州に駆け足で冬が近づいている。私が住むミュンヘンでは、深夜から早朝にかけての気温が零下5度まで下がるようになった。この寒さの中、暖房付きとはいえテントの中に宿泊している難民たちもいる。まもなく雪が降り始めたら、難民たちをテントの中に住まわせるわけにはいかない。

 ミュンヘンの難民仮宿泊施設で、ボランティアとして働いているドイツ人Kさんから、話を聞いた。親も友人もなく、1人ぼっちでドイツに流れ着いた子供たちが何人もいる。そうした「孤児難民」の数は、ドイツ全体で数万人にのぼると推定されている。アフリカから欧州への逃避行の途中で人間運搬業者に強姦されて、妊娠している少女たちもいる。戦争のトラウマのために、緊張すると突然気絶したり、わけもなく叫び続けたりする子どもたちがいる。

 ドイツ人たちは、彼らにドイツ語を教え、義務教育を施し、将来は就職して自立できるようにしなくてはならない。難民たちの中には、ドイツ語はおろか英語やフランス語も話せない者が多い。仮宿泊施設では、アラビア語やエリトリア語の通訳なしには何も進まない。彼らをドイツ社会に溶け込ませるのは、気が遠くなるような作業だ。

 学校の先生として働いたことがあるKさんは、来年から難民の子どもたちに勉強を教え、彼らがドイツ社会に溶け込めるようにするための講座で、先生として働くつもりだ。

 彼女は戦争でトラウマを受けた子どもたちに勉強を教えた経験がない。「私たちは、難民たちがどのような苦難を経てきたのかを知らなければならない。彼らについて私たちが学ばなければ、彼らをドイツに溶け込ませることはできない」。Kさんは言う。「私には政治のことはよくわからない。だが、ドイツに着いた難民たちを、誰かが助けなければならない。もはや時計の針を逆戻りさせることはできないのだから」

 彼女の母親も、ドイツ北部の町でプロテスタント教会が組織するボランティア活動に参加し、難民たちを助けている。プライベートな時間を犠牲にして、困っている人に手を差し伸べるドイツ人たちの姿勢には、心を打たれる。

EU首脳の決定も焼け石に水

 さてセルビア、クロアチア、スロベニアの国境地帯では、シリアなどからの約3万人の難民たちが、鉄条網によって行方を阻まれ、立ち往生している。ハンガリーが国境を封鎖して以来、旧ユーゴスラビア諸国が、ドイツへ向かう難民たちの通過ルートとなっている。

 人口200万人の小国スロベニアが、1日に受け入れ可能な難民数は、2500人。その国に、10月下旬には毎日7000人~1万人、1週間で5万人の難民が押し寄せた。政府は、一時的に国境を閉鎖せざるを得なかった。

 国境で待たされている難民の中には、多くの女性や子どもが含まれている。彼らには、雨宿りする場所すらない。寒さと空腹のために泣く子どもたち。毛布を頭からかぶり、たき火を囲んで暖を取る人々。彼らは、「約束の地」ドイツへたどり着くことだけに望みを託し、寒さに耐えている。第二次世界大戦直後の、難民たちの姿を思い起こさせる光景だ。

 現在欧州が経験しつつあるのは、戦後最大規模の難民流入である。「民族の大移動」と呼ぶ者もいる。

 欧州難民危機の出口は、全く見えない。中東からトルコを経て欧州に向かう人々の流れは、今なお続いている。

 EU加盟国は10月25日にブリュッセルで開いた緊急首脳会議で、セルビア、クロアチアなどのバルカン諸国に10万人分の暫定宿泊施設を設置し、スロベニアに400人の警察官を送って支援することを決めた。しかしこれらの決定は、あくまでも対症療法だ。首脳たちは、どのようにして流入する難民の数を減らすか、また難民を公平にEU加盟国に振り分けるにはどうしたらよいかという、根本的な難問については、答えを見出すことはできなかった。

4カ国首脳会合で、あいさつするドイツのメルケル首相=9月26日、米ニューヨーク、代表撮影拡大4カ国首脳会合で、あいさつするドイツのメルケル首相=9月26日、米ニューヨーク、代表撮影

 シリアの難民たちが寒さや悪天候にもかかわらず、バルカン半島をドイツへ向かって歩き続けるのは、「やがてドイツも門を閉じるのではないか」という不安感のためだ。万一ドイツが門を閉じた場合、難民たちの夢は崩れる。

 9月5日にメルケル首相が、ハンガリーで足止めされていたシリア難民らに、ドイツで亡命申請をさせるという歴史的な発表を行ってから、約2ヶ月が過ぎた。

 この決定については、「欧州の良心」を体現するとして、世界中で多くの人が称賛した。一時は、「メルケルがノーベル平和賞を受けるのではないか」という憶測も流れた。

保守勢力のメルケル批判

 だが9月の第1週に高まった難民歓迎ムードは、消え去った。現在ドイツの保守勢力や市民の間では、懸念の声が高まりつつある。

 メルケルに対する批判の声が、国内外で強まっている。首相に対する支持率も、右派の激しい攻撃によって、じわじわと浸食されつつある。メルケルの立場は、苦しくなる一方だ。

 ドイツ連邦移住難民局(BAMF)によると、今年1月から7月までにこの国で亡命を申請した外国人の数は、約22万人。前年同期の2倍を超える。9月中旬にドイツ政府は、同国で亡命を申請する難民の数が今年末までに100万人に達するという見方を発表した。去年の数(20万2834人)の約5倍だ。難民数が最終的には150万人に達するという見方もある。

 ドイツ国内で最も大きな負担を受けているのは、市町村である。メルケルは、9月5日の難民受け入れ決定を、全国の州政府に事前に連絡せずに発表した。州政府や市町村は、時には24時間以内に難民の宿泊場所を見つけなくてはならなかった。州政府からは「もはや対応しきれない」という声が連邦政府に寄せられた。

 保守勢力からはメルケル批判が高まった。キリスト教社会同盟(CSU)のH・ゼーホーファー党首は、「多数の難民をノーチェックで受け入れるという決定は間違っている。この決定は、ドイツに長年にわたり悪影響を及ぼす」と述べ、メルケルを公に批判した。

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筆者

熊谷徹

熊谷徹(くまがい・とおる) 在独ジャーナリスト

1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。90年からはフリージャーナリストとしてドイツ・ミュンヘン市に在住。過去との対決、統一後のドイツの変化、欧州の政治・経済統合、安全保障問題、エネルギー・環境問題を中心に取材、執筆を続けている。著書に「なぜメルケルは『転向』したのか・ドイツ原子力40年戦争の真実」、「ドイツ中興の祖・ゲアハルト・シュレーダー」(日経BP)、「脱原発を決めたドイツの挑戦」(角川SSC新書)など多数。「ドイツは過去とどう向き合ってきたか」(高文研)で2007年度平和・協同ジャーナリズム奨励賞受賞。
WebSite:http://www.tkumagai.de
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