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欧州難民危機 孤立するメルケル(下)

熊谷徹 在独ジャーナリスト

メルケルに背を向ける有権者

 第二次世界大戦後最大の難民危機をきっかけに、ドイツの有権者のメルケル首相に対する風当たりも強くなっている。公共放送ARDが9月末に行った世論調査によると、回答者の51%が「難民急増に不安を抱いている」と答えた。1ヶ月前の調査に比べると、不安を抱いている回答者の比率が13ポイントも上昇した。

 さらにメルケルへの支持率は、この1ヶ月間で9ポイント下落して、54%となった。2011年以来最低の数字だ。逆に、「メルケルの難民受け入れの決定は間違いだった」と批判したキリスト教社会同盟の党首ゼーホーファーに対する支持率が、11ポイントも伸びた。彼は、難民数に上限を設け、憲法が保障する亡命権を制限するよう求めている。

 ドイツでは、「冷静で計算高い政治家として知られてきたメルケルが、難民危機については感情に基づく決定を行った。メルケルが変わった」という意見が強い。

制御不能に陥った難民危機?

10月21日には、過半数の国民がメルケル政権に対する信頼を失ったことを示す、世論調査結果が公表された。

バルカンルート各国の緊急首脳会議前に記者団に難民問題を語るメルケル独首相=10月25日拡大バルカンルート各国の緊急首脳会議前に記者団に難民問題を語るメルケル独首相=10月25日

 アレンスバッハ人口動態研究所が行った世論調査によると、「ドイツは何人の難民を受け入れるかについて、完全にコントロールを失っている」と答えた回答者は57%にのぼった。

 「メルケル政権の難民政策は、現実離れしている」と答えた回答者も、過半数となった。回答者の71%が、「ドイツの難民のための待遇が良すぎるので、難民が急増した。ドイツにも大きな責任がある」と答えている。また、今年8月には、「ドイツへの難民急増について、非常に強い懸念を抱いている」と答えた回答者は40%だったが、10月には14ポイントも増えて54%となった。

 「ドイツの難民数には上限を設けるべきだ」と答えた回答者は、キリスト教民主同盟。社会同盟(CDU・CSU)の支持者の間では59%にのぼった。興味深いのは、リベラル政党であるリンケ(左派政党)の支持者の間でも62%、社会民主党(SPD)の支持者の間でも55%、緑の党でも41%が、「難民数を制限するべきだ」と答えていることだ。つまり政党の枠を超えて、多くのドイツ市民が難民数を制限するよう求めているのだ。

 これらの数字は、9月5日のメルケルの難民受け入れ宣言以来、ドイツ市民の間の懸念がいかに高まったかを示している。

 保守系日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)も、「メルケルの難民政策は、失敗だった。亡命権に上限はないという首相の発言は、多数の難民をドイツに引き寄せる原因となる。主権国家が、自分の国に外国人を何人受け入れるかについて決定するのは、当然のことだ」と首相を批判した。

 CDUに近い同紙が、首相の決定を「失敗だった」と指摘するのは珍しい。

 メルケルはリーマン・ショック、ユーロ危機、ウクライナ危機などを経てEUで最も影響力の強い政治家となった。彼女は首相に就任してから今年で10年目になるが、ドイツには彼女ほどの経験と影響力を持つ政治家は少ない。メルケルの大胆な政策の背景には、ベテラン政治家の自信がある。

 だが来年にはバーデン・ヴュルテンベルク州など4ヶ所で州議会選挙が行われるほか、2017年には連邦議会選挙と3つの州議会選挙が行われる。これらの選挙で、難民受け入れに前向きであるSPDと緑の党の得票率は、下がるだろう。メルケルが党首のままであるならば、CDUも有権者に罰せられる可能性が強い。CDUの議員たちは、そのことを恐れて、メルケルに難民政策の変更を迫っているのだ。

 10月に旧東ドイツでCDUが開いた党員集会では、ある党員が「Merkel entthronen !(メルケルを王座から追い落とせ)」と書いた横断幕を掲げた。メルケルに対し、「首相、ドイツの国境を閉じて下さい」と呼びかける党員もいた。

極右勢力に追い風

 ドイツの保守勢力の間では、「メルケルの難民政策は市民に不安を抱かせるので、極右政党にとっては、支持率を増やすための絶好のチャンスを与える」という危惧が強まっている。極右政党は、市民の間で外国人に対する見方が硬化するのを常に待ち望んでいるのだ。

 実際ドイツの極右勢力は、難民急増を契機に過激化しつつある。旧東ドイツに多くの支持者を持つ右派市民団体「欧州のイスラム化に反対する愛国者たち(PEGIDA)」が今年10月に行ったデモでは、一部の参加者が絞首台の模型を掲げ、メルケルの名前を書いた紙片を吊るした。10月19日にドレスデンで行われたPEGIDAのデモには、1万5000人の市民が参加した。ケルンの市長選挙の投票日前日には、難民受け入れを支持していた候補者が、極右団体の関係者にナイフで刺されて重傷を負った。

 ドイツの治安当局は、ネオナチなど暴力的傾向のある極右勢力の数を約1万人と推定している。これはドイツの人口の0.13%にすぎない。数は少ないが、彼らは外国人にとっては危険な存在である。外国人排撃を動機とする犯罪は、今年1月から6月までは毎月200件のペースで発生していた。しかしその数は7月には423件、8月には628件と大幅に増加している。

 連邦政府のT・デメジエール内務大臣によると、去年難民宿泊施設に対する放火や落書きなどの犯罪行為は約153件だったが、今年は10月初めの時点で490件に増えている。220%もの増加だ。

 今後は、難民受け入れに批判的な右派ポピュリスト政党「ドイツのための選択肢(AfD)」への支持率が急速に高まるだろう。この党が、難民危機を追い風として、2017年の総選挙で連邦議会入りするのは、ほぼ確実な情勢だ。

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筆者

熊谷徹

熊谷徹(くまがい・とおる) 在独ジャーナリスト

1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。90年からはフリージャーナリストとしてドイツ・ミュンヘン市に在住。過去との対決、統一後のドイツの変化、欧州の政治・経済統合、安全保障問題、エネルギー・環境問題を中心に取材、執筆を続けている。著書に「なぜメルケルは『転向』したのか・ドイツ原子力40年戦争の真実」、「ドイツ中興の祖・ゲアハルト・シュレーダー」(日経BP)、「脱原発を決めたドイツの挑戦」(角川SSC新書)など多数。「ドイツは過去とどう向き合ってきたか」(高文研)で2007年度平和・協同ジャーナリズム奨励賞受賞。
WebSite:http://www.tkumagai.de
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