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「アジア最後のフロンティア」

ミャンマーをたずねて

鎌田慧 ルポライター

※本論考はAJWフォーラムで11月2日に配信した記事を転載したものです。

 ミャンマーは1962年、国軍によるクーデターで独裁体制が敷かれた。民主化運動のリーダーで、野党・国民民主連盟(NLD)を率いるアウンサンスーチーさんは、長い間軟禁状態に置かれていた。しかし政治改革を進める軍政は、2010年にスーチーさんを解放した。

 ジャーナリストは警戒されないか、と、私は入国するときにやや不安だった。

テインセイン大統領(右)と会談するアウンサンスーチー氏=2日、ミャンマー大統領府提供テインセイン大統領(右)と会談するアウンサンスーチー氏=2015年12月2日、ミャンマー大統領府提供
 ところが意外にも簡単で、税関には申告書も出さなかった。空港は開放的で、滞在中、将軍たちが政権を握っている事実を忘れさせるほど。隣国のラオスに似て、人々は笑顔が豊かで親切、街は平和だった。

 11月8日に総選挙(上下両院と地方議会)がある。街にはスーチーさんとテインセイン大統領のポスターが並ぶ。NLDが与党の連邦団結発展党(USDP)より優勢といわれている。 

 憲法によると、上下両院とも議席の25%が、選挙によらない軍人枠となっている。さらに、外国人家族がいる者は大統領になれないという規定があり、スーチーさんは大統領に就任できない。

 そうしたなかで、NLDの票が大幅に伸びて、政権交代ができるか、選挙への軍や政府の干渉、不正がないか、注目される。1990年の総選挙では、NLDが圧勝したが、軍事政権が選挙結果を無視して居座ったこともあり、油断はできない。

低い労組の組織率

 わたしたちが訪問したJ&Mスチールソリューションズは、ヤンゴンのタケタ工業団地に建設された鐵鋼構造物をつくる工場である。ミャンマー建設省(40%)と日本のJFEエンジニアリング(60%)との合弁で、2013年に設立された。

 橋梁(きょうりょう)やガードレールなどを設計、製作、架設する。「アジア最後のフロンティア」といわれるミャンマーは、インフラ整備が大きな課題である。公共事業関連の需要は急速に拡大する。まして建設省との合弁だから、この企業の発展は保障されているだろう。

 技術の指導に当たっているのは、日本で実習生だったミャンマー人である。ガス溶断などはまだ人手に頼られ、自動化はされていない。人件費が安いためだが、私がみたところ、日本の造船や鉄鋼工場の30年前の水準だろう。工場拡張の土木工事や道路工事などをみても、主力は人力でブルドーザーなどはみかけなかった。

 ところでミャンマーの月給は、平均で10万チャット(約1万円)、長時間労働が多く、週68時間労働は普通だ。日本の人材派遣会社の責任者は、労働力の質は高いという。50年余りの軍政だったために、労働運動に恐怖感が残っている。経営者の攻撃も強く、労働組合の組織率は1パーセントに満たないという。

 日本貿易振興機構(JETRO)の資料によると、ミャンマーへの外国直接投資のうち、日本企業の投資比率は、1988年から2014年までの累積額で、0・8パーセントしかない。中国は27・2パーセント、タイ18・9%、シンガポール16・3パーセントに比べて圧倒的に少ない。

 ところが日本企業のミャンマー進出は急ピッチだ。2011年は、50社だったが、現在は260社にのぼる。

 これまでは縫製工場や飲食店などの零細企業だったが、これから電子部品、自動車部品工場などの投資がはじまる。ただ、電力不足が最大のネックのようだ。それぞれ、自家発電の設備で対処している。