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イギリス労働党コービン旋風が問う「格差」(上)

過激すぎる主張と人間的魅力

坂本達哉 慶應義塾大学経済学部教授

コービン党首誕生の衝撃

 イギリスに「コービン旋風」が吹き荒れている。今年(2015年)9月におこなわれた労働党党首選の結果、現在66歳のジェレミー・コービン下院議員が他の3候補をおさえて圧勝したのである。

 予想された結果ではあったが、その衝撃は大きかった。コービンとはいったい何者なのか。

地元選挙区で党首選の演説をするジェレミー・コービン氏=10日、ロンドン北東部イズリントン地元選挙区で党首選の演説をするジェレミー・コービン=2015年8月10日、ロンドン北東部イズリントン
 彼はイングランド南部に電気技師の父と数学教師の母のあいだに生まれた。

 スペイン人民戦線で知り合った父母のDNAを継いだのか、公立高校在学中から労働党の政治活動を開始、卒業後は地元紙の記者を経て、「海外自由奉仕団」(VSO)にて2年間をジャマイカで過ごす。

 帰国後はロンドンの工学専門学校に学ぶが、卒業せずに労働運動や組合活動に専心。現在の妻は3人目でメキシコ移民。3人の息子の父親である。

 このような経歴は、ジャマイカでの2年間をのぞけば、労働党の古参党員としては珍しくない。

 しかし、党首候補としてはきわめて異例といえる。党首選では、女性二人をふくむ他の3候補はみな40代半ばのエリート党員で、オックスフォード大かケンブリッジ大の卒業生である。うち二人は「影の大臣」の経験者であった。

 労働党の党首と言えば労働者出身かと思うと、それは大違いで、少なくとも第二次世界大戦後の党首たちは、昔のアトリー、ウィルソンから最近のブレア、ミリバンドまで、大部分が上流・中流の出身で、オックスフォード大の卒業生であった。公立高校卒のコービン党首の経歴がいかに異色かが分かる。

若者たちが熱烈に支持

 コービン旋風の背景には、本年5月の総選挙における労働党の大敗があった。キャメロン首相の保守党が単独過半数を獲得して大勝、保守党と連立を組んでいた自由民主党は壊滅的打撃を受けた。

 昨年(2014年)9月のスコットランド独立を問う国民投票で善戦したスコットランド国民党(SNP)は、スコットランドの議席をほぼ独占。移民制限やヨーロッパ連合(EU)からの離脱を公約に掲げるイギリス独立党(UKIP)も、完全小選挙区制の壁に阻まれたものの、得票数を大きく伸ばした。

 これに対して、議席を大幅に減らし、多くの党幹部や大物議員が議席を失った労働党の痛手は深く、エド・ミリバンド党首は即日辞任した。皮肉なことに、コービン氏の大勝をもたらしたのは、ミリバンドが導入した党勢拡大のための新制度であった。

 1960-70年代の労働党の全盛期とは比すべくもないが、労働組合評議会(TUC)を中心とする組合勢力がいぜんとして労働党の屋台骨である。ミリバンドはこの体質を改善すべく、インターネットやSNSを活用した斬新な入党制度と党首選制度を確立した。

 これによって60万人以上にまで急増した党員やサポーター、なかでも、それまで労働党の活動とは無縁の若い層がコービンを熱烈に支持した。

 全国各地の演説会では会場に入りきれない若者の列が続いた。昔の写真を見ると彼はなかなかの美男子であり、

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