投票の動機から考える「正義の圏域」
2015年12月10日
もう旧聞に属するかもしれないが、11月7日に行われた同志社大学の学長選挙がいろいろと波紋を呼んでいる。安倍安保法制を支持した学長が再選を阻止されたのは、学問と政治の混同だというのだ。特に自民党サイドやそのお仲間のシンクタンク系のアメリカ人などからの批判だ。
正確に言うと、いろいろな正義の分野があり、それを混同してはいけない、という議論である。
中年の中間管理職が勝手に好意を抱いている若い女性社員に「君の昇進を上申したいけど、代わりに今晩俺とつき合わないか」と言ったらどうだろうか? 歴然たるセクハラだろう。
仮にその女性が利害打算から応じたとしても(まずあり得ないことだが)、好きになってもらえたわけではないだろう。少し硬い言葉で言えば、彼女の愛を得たことにはならないだろう。
ようするに無駄であり、空しい。
最近トヨタのグループ会社幹部がある女性に就職の便宜をはかる約束と引き換えに、関係希望を暗示するLINEを送ったことが明らかになり、退職したそうだ。権力やお金では、一夜はすごせるかもしれないが、好きになってもらえるわけではない。
アメリカの政治哲学者でプリンストン高等研究所教授のマイケル・ウォルザーは、権力、金力、教育、愛、役職、承認、名声などそれぞれの分野ごとに平等や権利のあり方が違うことを『正義の圏域』と題した膨大な本に纏(まと)めている。
例えば、上記の例は明白な権力の乱用だが、女性の方が、非正規雇用の苦しい生活からの脱出をめざして勤め先で自分の「魅力」を意識して、上司の意を迎えた行動を
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