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サダム・フセインが受けた「辱め」

 イラク戦争中、アラブ世界の民衆は「反戦反米」で盛り上がった。

 2003年3月20日の開戦直後は、エジプトのタハリール広場でも反米デモがあった。ところが、4月9日にバグダッドが簡単に陥落して、サダム・フセイン以下、政権幹部たちが雲隠れして、政権はあっけなく崩壊した。

 ブッシュ大統領は5月初めの「戦争勝利演説」で、「イラクの独裁者が倒れ、イラクは解放された」と宣言した。当時、アラブ世界で反米を叫んでいた野党勢力は、しばらくの間、全くの脱力状態に陥った。

 イラクでは米軍による対テロ戦争が続き、2003年12月、米軍は穴の中に隠れていたサダム・フセインを発見し、拘束した。かつての最強の独裁者が髪もあごひげも伸び放題の姿で現れたことが、アラブの民衆に衝撃を与えた。

 私は拘束直後にエジプトのイスラム系雑誌「マナール・ジャディド」のガマル・スルタン編集長にインタビューをした。スルタン編集長は開口一番、フセイン拘束について「二重の感慨がある」と言った。

 「フセインのような非道な独裁者が、英雄として死んだのではなく、拘束されて辱めを受けたことは歓迎すべきことだ。しかし、フセインに辱めを与えたのは、イラクの民衆ではなく、米国だった。フセインを拘束したのがイラク人であったらどんなによかったかと思う」と語った。

 スルタン編集長はフセインを礼賛するようなアラブ民族主義者ではないが、それでも「アラブの指導者が米国の辱めを受けるのは見たくなかった」という率直な思いをもっていた。

 それは、ほとんどすべてのアラブ人の思いを代弁するものだったに違いない。捕まるくらいなら「英雄として」戦って死んでほしかったということだろう。

公式情報と非公式情報

 中東で起こることについて、中東の人々がどのように感じ、考えているのかは、中東で直接、人々に聞いてみなければ分からない。

 現地の新聞やテレビなどメディアに出てくる論調や意見はいま、インターネット経由で日本からでも見ることができるが、そのほとんどは統制されている。

 統制しているのはメディアに影響力を持つ各国の政府であったり、メディアを所有する有力組織や有力者であったりするため、メディアの論調や意見は一色ではなく、齟齬や矛盾や対立がある。

 しかし、様々な食い違いにもかかわらず、力を持つ者たちの利害や意向を表しているという意味では同じで、その利害の違いから意見の食い違いが起こる。

 メディアには民衆は排除され、民衆がどのように感じ、考えているのかは分からない。それは、中東に行って、街頭で人々の声を聞き、直接有名無名の人々にインタビューをすることによってしか得られない。

 中東情勢が分かりにくいのは、公式情報が権力、それもかなり少数者に支配されていて、政府に不満を持つ民衆の意識など権力に都合の悪い情報が表に出ないためである。デモや反乱などの動きが顕在化した時には、すでに制御不能の深刻な事態になっていることもある。

 政府の発表や政策など表に出てくる公式情報と、反対派の考え方や一般の人々の声など表に出てこない非公式の情報を取材で集めながら、中東で起こることについて、なぜ、そのようなことが起こるのかを、公式、非公式の情報を駆使して分析し、時には推理をいれながら、解き明かしていかねばならない。

「倒せ、ムバラク」

 私が、イラク戦争後にアラブ世界で起こったことで、サウジアラビアのリヤドでの大規模なテロとともに大きな衝撃を受けたのは、2005年3月、タハリール広場の近くの人民議会の前で「キファーヤ(もう、たくさんだ)運動」のデモを取材した時である。

エジプトでイラク戦争後に始まった政府批判の「キファーヤ運動」のデモを取り巻いた治安部隊=2005年3月、カイロ、撮影・筆者拡大エジプトでイラク戦争後に始まった政府批判の「キファーヤ運動」のデモを取り巻いた治安部隊=2005年3月、カイロ、撮影・筆者
 「ムバラクにノー」というカードを胸につけた数十人の人々が、カイロ中心部の人民議会前の通りで「イスクト・ムバラク(倒せ、ムバラク)」と叫んでいた。

 「イスクト」とはアラビア語で「倒す」の命令形。長い間、ムバラク大統領個人への批判はタブーだった国の街頭で、「打倒、ムバラク」の掛け声を聞くとは信じられなかった。

 キファーヤ運動はその年の秋に行われる大統領選挙でのムバラク5選に反対するために、アラブ民族主義者やイスラム主義者らが中心になって2004年9月に結成された政治グループだ。

 デモ隊を治安警察が取り巻いていたが、取材をしながら、いつ治安部隊がデモ隊に襲いかかるのかを考えると胸がどきどきした。

 「イスクト(倒せ)」という言葉は、イラク戦争でバグダッド陥落の日、サダム・フセイン大統領の銅像を取り囲んだ若者たちが叫んだ「イスクト・サッダム(倒せ、サダム)」という言葉を思い起こさせた。

 キファーヤ運動の出現は、イラク戦争でのサダム・フセイン体制の崩壊によって、強権体制は倒れないというアラブ世界を縛っていた神話が、民衆の間で崩れたことを意味する。サダム・フセイン体制の崩壊によって、アラブ世界の民衆と権力の関係に変化が生じていることを知った。

アメリカ「拡大中東構想」の脅威

 問題は、なぜ、このような動きが出てきたかだ。 ・・・ログインして読む
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筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、最新刊に『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)。

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