ジャーナリズムを縛る「魔法の呪文」
2015年12月23日
偏向している――これはいまの日本のメディアにとって、ほぼ間違いなく大きなダメージを受けるマジックワードだ。なぜなら、その中身はよくわからない曖昧模糊としたものにもかかわらず、この間、TBSもテレビ朝日も、この偏向報道批判の矢面に立たされ、その対応に苦慮してきたといえるからだ。
もちろん、こうした「攻撃」はテレビにだけ向けられているわけではない。沖縄の県紙である琉球新報と沖縄タイムスにも、官民合わさった執拗な偏向報道批判が続けられている。
さらに言えば、朝日新聞をめぐる慰安婦報道批判も、焦点はウソかホントかという記事の真実性ではあるものの、ある種の偏向批判といえなくもない。
実際、11月に一部全国紙(読売・産経)に掲載された放送法違反の意見広告では、政府により強力な取り締まりを求める内容になっているし(別図)、市民団体による沖縄地元紙の糾弾活動では政治家が深く関与している。
こうした状況の中で、いったい偏向しているとはどういうことなのか、改めて日本のメディアにおける「公平公正」とは何かについて考えてみたいと思う。
まず、いま世間に渦巻いているいわゆる公平論議を整理してみる必要がある。そうすると、大きく3つの流れがあることが見えてくる。
その第1は、上で触れたまさに「偏向報道批判」としてまとめられるものである。
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