メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

[8]リベラリズムの伝統が全体主義への歯止めに

丸山真男が「個人析出のプロセス」として提示した四つのパターンを参考に考える

外岡秀俊 ジャーナリスト、北海道大学公共政策大学院研究員、元朝日新聞編集局長

社会全体がSNS化し、パワーの配置図が流動化

 これまで、2015年夏に出現した街頭行動を、日本近代の縦軸と、同時代の諸外国での横軸に沿って概観してきた。

 次の議論に移る前に、要点を整理しておこう。

 縦軸で私が指摘したのは、日本近代のリベラリズムには、福沢諭吉を祖として流れる自由主義と、「札幌発」のピューリタニズムを源流とする二つの流れがあった、という点である。この二つの流れは戦時中も細々と続き、いずれも丸山真男をひとつの象徴とする戦後のリベラリズムに合流した。超国家主義に抵抗し、戦後にGHQが準備した平和と民主主義の器に実体を盛り込んだのは、このリベラリズムに連なる人々だった。

 しかし、戦後まもなく冷戦が始まり、国内でも親米を旨とする保守と、親ソ・親中を軸とする保革が鋭く対立し、「全体主義」や「権威主義」と対峙するリベラリズムは後景に退いた。リベラリズムは全体主義だけではなく、共産主義・社会主義の専制体制をも批判することから、右派からは左派の同調者とみられ、左派からは「遅れたプチブル思想」と揶揄(やゆ)された。

 敗戦からの復興が経済成長に向けて離陸した55年に、社会党は三分の一の議席を確保し、自民党は保守合同によって長期安定政権の基盤を築いた。これが、中央官庁主導による長期経済計画を成功に導く条件になった。

 革新側は、「平和、民主主義、人権、福祉」などを固有の領域として保守を批判し、60年の安保改定や、新左翼や市民を中心とする60年代末のベトナム反戦運動などで、
存在感を示した。

 しかし、70年代半ばまでに、「平和」や「対米従属」をめぐる論点は次々に消えていく。日本が「経済大国」になっただけでなく、革新よりもイデオロギー的に柔軟で現実的な自民党が、次々に論点を先取りしていったからだ。経済成長を前提とした「五五年体制」は、「保革共存」を可能にする安定構造をもっていたが、経済大国化によって、そのバランスは崩れ始めたといえる。

 冷戦の終焉によってソ連は崩壊し、中国も社会主義市場経済という新たな資本主義への道を歩むことになり、マルクス主義を掲げてきた左派は拠り所を失った。資本主義諸国は民営化や規制緩和を武器とする「新自由主義経済」に邁進し、ここに二つのシステムが合一する「グローバル化」の時代を迎えた。

 「少子高齢化」を迎えたどの先進国も、国内における政策の選択肢は限られている。右肩あがりの成長を前提とした「福祉」や「平等」の主張は、低成長時代に訴求力を失っていった。「自己責任論」や、むき出しの「弱肉強食論」が幅をきかせ、かつてのイデオロギー対決に代わって、外には国家間のナショナリズム、内には格差の助長を当然視する風潮が生まれ、これを批判する対抗勢力は消えたかにみえた。

 しかし、21世紀に入ってから、こうした流れに逆らう現象が、世界で同時多発的に出現するようになった。IT革命によって「相互接続権力」が生じ、ばらばらだった個人が相互に結びつくことで、直接行動を起こすようになったのである。

 この現象は、各国の歴史や伝統という縦軸との交差によって、それぞれまったく違う構図を生み出す。

 長期の専制体制が続く国では、反政府活動となって政権交代をもたらし、あるいは独裁者の追放というかたちになって現れた。

 言論統制を強める中国などの国で、「相互接続権力」は、「表」の世界では封じられた人権活動、格差批判、環境破壊への批判といった「裏」の言論空間をかたちづくる。しかし当局も、ITのツールを使って統制やプロパガンダに利用し、両者の激しい攻防が続いている。

 台湾や香港では、既成政党に飽き足りない若い世代が、「相互接続権力」によって立法府や街頭を選挙し、影響力を強める中国を批判し、「民主主義」の立て直しを訴えて一定の支持を得た。台湾では、その動きが代議制民主主義の回路に再接続し、選挙の結果に影響を与えた。他方、その回路を見いだせなかった香港で、目にみえる変化は起きていない。

 言論の自由が保障されている日本などの国で、ネット空間には「表」の世界では禁じられているヘイトスピーチや、個人攻撃などの「裏」の言説が紛れ込みやすい。その一方で、NPOやNGOがIT革命によって格段に力を強め、少数者がクラウドファウンディングによって必要な資金を調達したり、ロングテイル効果によって、有料産品の販路を確保したりすることもできるようになった。

 一言でいえば、社会全体がSNS化し、これまでのアクターやパワーの配置図が、流動化しつつあるということだろう。

丸山モデルの有効性を考える

東大・丸山ゼミ「有志の会」に出席した丸山真男氏=1995年東大・丸山ゼミ「有志の会」に出席した丸山真男氏=1995年

 では、2015年夏に日本で起きた現象は一家性にとどまるのか。あるいは、長期にわたって影響力をもつ新たな勢力の先駆けになるのか。ここで、その問題を考えたい。

 その際に参照したいのは、丸山真男が1968年に発表した論文、「個人析出のさまざまなパターン 近代日本をケースとして」(丸山真男集第九巻所収、松沢弘陽訳、岩波書店)である。丸山はこの中で、近代化にさらされた個人の態度を、「個人析出のプロセスとして、有名な四つのパターンを提示した。

 水平軸には、「政治的権威」の中心に対する距離に応じて左に「遠心的」、右に「求心的」というベクトルを置く。垂直軸は、個人がお互いの間に自発的に進める結社形成の度合いを示す。上に行くほど「結社形成的」であり、下に向かうほど、「非結社形成的」で、仲間との連帯意識は弱まる。こうした座標軸において、合理化や機械化、官僚制化などの近代化によって、個人がどのような態度をとるのかを分類する理念型である。

・・・ログインして読む
(残り:約2523文字/本文:約4854文字)