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米国の存在感低下が両国の直接対峙を招いた

地政学的なリアリズムと、惹起された庶民の宗派的排外意識をどう調整するか

酒井啓子 千葉大学グローバル関係融合研究センター長

日本のニュースに強い違和感

テヘランのモサラ・モスクで8日、サウジアラビアを非難するデモをする人々テヘランのモサラ・モスクで8日、サウジアラビアを非難するデモをする人々

 1月10日、カイロでのアラブ連盟外相会議で採択された、イランでの対サウディアラビア大使館襲撃に対する非難声明を報じる日本のニュースを聞きながら、強い違和感を抱いた。複数のメディアがアラブ連盟を、「イスラム教スンニ派のアラブ諸国を中心に構成されている」、と表していたからだ。

 アラブ連盟は、第2次世界大戦直後にアラブ民族が多くを占める国々の間で結成された地域機構だが、50年代以降はアラブ・ナショナリズムの高揚を受けて、アラブの統一・連帯を目的とする組織と位置付けられてきた。そしてその主要な議題は、イスラエルとの対立でありパレスチナ問題への対処であった。ナショナリズムが行動原理の核に置かれることはあっても、「スンナ派」「シーア派」という宗派が前面に出ることはなかった。

 イラン・イラク戦争において、イランと交戦するイラクを支援する、という決議を採択したときも、それを支える論理は、非アラブのイランに対してアラブ諸国が結束する、というナショナリズムの論理だった。それでも、リビアやアルジェリアは、反米ナショナリズムの観点からイデオロギー的に革命直後の反米イランに同調を隠さず、アラブ諸国がイラク支持で完全に一致していたわけではなかった。

 それが、1月10日のアラブ連盟外相会議では、レバノンを除いたすべての加盟国が「イラン非難」で一致したと発表された。シーア派イスラーム主義政党が政権を担うイラクは、最後の最後で反対しなかったものの、ぎりぎりまで決議に不快感を示していた。積極的に決議に賛成を公(おおやけ)にしたのは、湾岸君主諸国とモロッコなどの王政諸国だった。

わき役が主導権をとったアラブ連盟

 かつてアラブ連盟を支えてきた主軸国は、エジプト、シリア、イラクといったアラブ・ナショナリズムの国であった。それが今、シリアは内戦下に、イラクはイラク戦争で政権が転覆されて以降、シーア派イスラーム主義政党が政権を担う体制が続いている。シリア研究の第一人者、青山弘之氏がいうところの「アラブの心臓」たるこれらの国が心臓として機能せず、アラブを取りまとめる理念を提供できる状態には、ない。

 代わって今、主導権をとるサウディアラビアは、そもそもアラブ連盟ではわき役であった。70年代にはむしろアラブ連盟のナショナリズム性に反発して、イスラーム諸国会議機構を対抗的に設立したほどだ。サウディにとってライバルだったはずのアラブ連盟が、換骨奪胎されてサウディアラビアのための地域安全保障機構に変質してしまっている。

 今回のアラブ連盟外相会議だけではなく、サウディアラビアが域内の軍事同盟関係を主導するケースが、昨年サルマン国王になってから相次いでいる。第一は2015年末に形成された対IS包囲網の「反テロ・イスラーム同盟」だ。34の加盟国のなかにはトルコ、マレーシア、アフリカ諸国などスンナ派の非アラブ諸国が含まれ、イスラーム性、特にスンナ派性が明確に打ち出されている。

 もう一つは2015年3月、イエメン空爆のために形成された軍事同盟だ。GCC諸国、ヨルダン、モロッコ、エジプト、スーダンが参加、のちにセネガルが加盟した。こちらは、GCCを中心とした旧来の対イラン地域安全保障網を、湾岸以外の王政諸国に広げたのに加えて、エジプト、スーダンといったサウディの経済的支援国を巻き込んだものである。

サウディはなぜ複数の同盟関係を構築するか

 なぜサウディアラビアがここにきていくつもの同盟関係を構築しているのか。今年に入って急に緊張が高まったようにみえるイランとサウディアラビアの関係を理解するには、まさにこの点に注目する必要がある。両国の関係はスンナ派とシーア派というそれぞれの宗派間の対立が募って断交に至ったのではない。イデオロギー上、対外政策上、そして地政学的に対立を続けてきた両国の関係を調整する地域内枠組みがないことが、緊張のエスカレートを生んでいるのだ。

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