2015年12月16日
週に100万円以上を稼ぎだす男が、ハバナにいる。
のっけからお金の話ではあまり上品に聞こえないかもしれないが、その他の彼の持つ様々な尖鋭的な特徴の中でも特筆に値することだから、まず書いてしまった。
もちろん、彼の稼ぎ出すお金は、このバーの売り上げからである。私とこのバーとの出会いは、私の師事している音楽の師匠がここで演奏しており、時折私も歌わせていただいた経緯からである。「聞いた話なのですが……」とここの売り上げについて質問すると笑いながら、「好きなように下の単位はつけてね」と言いながら、週10.000の数字を出した。私は迷わずその下に、CUC(現地では「セウセ」と読む。旅行書などでは、「クック」と書かれていることも多い)の単位をつけた。
これは、外国人が使う、ドルとほぼ一致する単位で、これの24もしくは、25分の1が、現地の通貨。これは、モネダ・ナシォナル、もしくは、省略してモネダと呼ばれる。ただし、外国人も場合によっては使うこともできる、ややこしいシステムを持つ通貨である。
さらに私の勝手な読みでは、実際にはこれ以上の額があるのでは、と思っている。どうしてそう思うか。また、どうして彼が、下の単位を明確にしなかったのか。それは、税金の額。全額、グロスから15%の税金を持っていかれるので、できるだけ明確にしたがらないのはもっともだ。お金の話はこのくらいにしておくが、月に、つまりはこれの4倍を稼ぎだしている男は、ハバナ広しといえどもまだそんなに多くはない。
いま、取材を終え、こうして原稿を書いているわずかな間にも、ハバナには米国大使館が正式に開設され、ローマ法王も来キューバした。様々なことがものすごい勢いで変化している。かと思えば、実際のキューバではそれほどには実感できない。しかしこうして今までは考えられなかった額を稼ぐ人も、これからはどんどん出てくるのかもしれない。そんな兆しは感じられるのだが、この狭間の時期ですでに、ある程度のことを実現している凄みは、そうそうあるものでもない。こうして原稿を書き、それがアップされる間にも、ハバナの街では驚くような綺麗なレストランが開店し始めた。しかし、その多くが、外国人のオーナーである。こうして、「立派に」キューバ人がいい店を構えているのはそうそう多くはない。
店の開店は、2015年の1月なので、けっこう最近である。「でも、ここを買ってから修理をして開店できるようにするまでに、2年間かかったんだよ」。そう言いながら、この建物の以前の写真を見せてくれる。ボロ屋であった。「だから安く買えたんだけどね」。
店内のお洒落なデザインも、外にも置いてあるオブジェ作家に依頼し、作り上げた。以前のものが残っているのは、床だけ。
「店をつくる資金はどうやって?」
「僕は今でも、キューバとスペインの間を往復しているが、何年も前から、スペインへ行っては、夏場のビーチで働いた。働きに働いて、稼ぐ。そして、キューバに帰ると少しのんびりするんだ。それを繰り返してね。今でも時折、スペインへは行くが、僕は決してあちら側に住む気はない。僕の場所はキューバ。そして、それぞれの場所には、それぞれにふさわしい暮らし方、ライフスタイルがあると思っている」
実を言うと、こうして原稿をまとめている時、私はスペインにいた。スペインと言えど、カナリア諸島という、地理的にはとてつもなくアフリカに近い場所、そして暮らしている人と、生活や文化は、すっかりスペイン、という不思議な場所で書いていた。そして、ここには、キューバからの移民の人が「どっさり」いる。彼らは、キューバではない場所を選んだ人たちだ。
以前は、キューバを離れてしまった人たちに対して私は、別の視線を向けていた。極端に言えば「国を捨てた人たち」という。しかし、今は全然違う。彼らには、彼らの考えと希望と、求める暮らし方があってやって来た……。当然ではないか。他の国、たとえば、日本から別の国に出た人に、他の人がなにか言うだろうか? 以前にも書いたが、「もうキューバだから」という見方はやめよう、と思ったその経緯もこんなところにある。国の国境線を超える、その話はまた別の回でしよう。
ある夜。ここで歌うために、友人の中国人の男の子と、乗り合いタクシー、「マキナ」を止めた。「住所を言ってね」と言ったにもかかわらず、彼は、大きな声で「キンバー」と言ったのであった。びっくりしてしまったのは、運転手さん。目をマンマルにして「はぁ~っ!?」と言った。開店から日が浅いこの店の名前はまだそんなに知れわたってはいなかった。私は横からあわてて「23通り、DとEの間」と付け足し、事無に店に辿り着くことができた。危ない……。いつまでも語られそうなエピソードである。もちろん、この中国人の男性は、上に記した「名前の秘密」を知らなかった。
さらに付け足せば……この店のコンセプトにもいきあたる。
「どんな構想をもって、店を始めたのですか?」
「誰でも来られる場所。どんな人でも足を運び、楽に入れて、楽しめる場所だね」
「それはここに来ているだけで感じられます」
彼の答え、そして、私の返答の中には、通常、読んでいるだけではすぐにわからないことも含まれている。
それは「同性性」である。ここは、人によっては「ああ、あのゲイバーですか?」と言う人もいる、そんな店である。しかし、そんなふうに言ってしまうと、この店の面白さはとたんに小さくなってしまう。そこまで極端に偏ってはいない。ストレートの人もいっぱい来ている。しかし、この店をそんなに知らない人にとっては、そう見えたりもする場所、つまり「どんな人でも来られる」、「開かれた場所」なのである。
さらには、ライブの日に行ってみればわかるが、値段がものすごく安い。なので、これくらいおしゃれでレベルの高いライブハウスだと、かなりな金額をとられるのに、ここは、ビールが2CUC、モヒートなどのカクテルでも3CUCで一晩楽しめる。しかも、もの凄い混雑になり、時には店中にも入れなくなるほどなので、なにも飲まずにライブだけ楽しんで帰る人がいてもおかしくない。それほど、「足を運びやすい」所なのだ。値段の張るライブハウスに来ているのは、ほとんどがまだ外国人。ちらほらキューバ人も入るような姿も見られるようになってきたが、まだまだ少数である。それにひきかえ、このバーは、キューバ人だらけ。
ひとつ、ハバナ事情を付け加えると、キューバではまだ、「ライブのチャージ」というものをとってはいけない。人々が営業できる職種はいろいろあるが、ライブハウスにはまだまだ規制が多い。その一つが「チャージがとれないこと」。時には10CUCもとるところがあるが、それは、こちらからの解釈でみれば「飲み物込み」ということで、飲み物1~2杯分が入っているように見えるが、名目はそうではなくて、あくまで飲食料。そういう名目でとり、実際にはそんな値段ではないから、その差額分が、店の収入、そして音楽家の取り分、いわゆる海外で言う「ミュージック・チャージ」のようなものとなる。公のシアターは別。鑑賞料をとられるし、許されている。
では、どうしてKING BAR がそんなに稼いでいるかと言えば、それは、普段の日はほぼレストランだからだ。木曜日と土曜日のみ、音楽が入る。「音楽の日はね、僕の振る舞いみたいなものなんだ。皆に楽しんでもらおうというね」。
そう言いながら、ものすごくきれいで可愛い、ワインのカクテルを出してくれた。この日は食しなかったが、シーフードのメニューもかなり美味しいらしい。
ハバナではあまりシーフード料理が普及していない。あれほど海に囲まれた国で、不思議なのだが、海産物そのものがとても高い。もともと肉食の習慣が多かったので、海産物を食べる習慣がそんなにないのである。しかし、ここのオーナーは違う。
「僕はスペインへ行って、あちらの人たちがどれだけ食べることを大切にしているか、とても参考になった。ここキューバでもその文化を普及させていきたいんだ。シーフードの産地? すべて、この近辺からだよ。遠くからわざわざ運んできたりしない。あくまでハバナ近郊の海で採れたものに限定している」
かなり大きな皿だが、一皿25CUCはハバナではけっしてそんなに安い価格ではない。しかし、一度は食べてみたいほどに、視覚的にもきれいなメニューになっていた。一人で食べるには大きすぎるものだったから、2~3人で食べれば、他の高めのレストランと比べても、そんなに高い値段でもなくなってくる。
つまり、今までのキューバ、ハバナに欠けていたものを、新鮮に取り入れている所だと思えばいい。
そして、最初にここに来た時の記憶は、また「新しい」と言うこととつながっていく。
実は、最初にこの店に足を運んだ日、私はたった一人で出かけていた。それは翌週、歌うことになっていた店の下見のためである。師匠はステージ上なので、そのたった一人で座っていた私の所に、なぜ? というほどいろいろな人がやって来ては、自分のエピソードを手短に話してくれるのである。
「僕はスペインへ行っていたけど、山ほどフラメンコを聞いたよ。もうね、キューバの古典は、もういい、って感じなんだ」
キューバの古典? それは私の好きな、キューバの昔ながらの歌もののことなのでしょうか? いえいえ、彼は「それはサルサの事だ」と言った!
びっくりしてしまったのは、私。サルサが古典だなんて。「あれはね、僕の父や母の世代のものなんだ。僕たちはもっと違うものが聴きたいんだよ」
これをもう少し噛み砕いていわないと、語弊がある。つまりは、サルサはいまでもキューバでとても健在であるが……。とは言え、ひところの勢いと比べるとその勢いは首をかしげたくなるところもあるけど……この音楽は、強く「キューバ」を意識させるものなのだ。今の若い世代は、くびきから解放されたがっている。目に見えない軋轢や、海外から来た人にとってはわからない、「国」という境界線のようなものを意識、無意識に感じとってしまっているのかもしれない。
とはいえ、師匠のやっている音楽は、フラメンコでありながら、キューバの昔の音楽をやったりする。それがまた、一つの新しさなのかもしれない。さまざまなミックス。
次から次に、私の隣にやってきては、短く語る人たちは、全員が海外体験者。その頃まだ、「今回の旅では」キューバに到着したばかりだった私は「キューバも変わったものだな」と感慨深かった。今では、それは珍しくはまったくない。しかし、また、こんな本音もちらりとこぼされたり。
「僕たちは、常に、アンビバレンツな感情に陥るんだよ。海外と、キューバ。この国の建前と本当の姿。やるべきことと、できることの違い……」
熱い語りである。もっと聴きたかったが、この時はまだ「聞ける」ほどの「今のキューバの情報」を持っていなかった。いかに何年、通っていようと、その気になって、その点を掘り下げなければなにもわからない。そして、その気になってもなかなか、わからない。人それぞれの体験がものすごく違っているからだ。
話がそれてしまったかもしれない。しかし、このKING BARという空間だからこそ、見ず知らずの人に、こんな自分のエピソードをもらしてくれたのかもしれない、とも思う。ライブが終わったら、皆、新しいリズム「レゲトン」で腰をくねらせて踊る場所である。
「キッチンから、サウンドシステムまで、キューバでは賄えないもので質の向上を図っている。でも、本当はこれはイリーガルなんだ」
「でも、イリ―ガルでもできてしまう所が面白いですよね?」
「いやいやとんでもない。ものすごいリスクを抱えてやっているよ。こういう許可をとれる、政府と結びついている人材に依頼したりね」
なるほど。こちらが気楽に聞いているよりも、はるかに多くの苦労があるようだった。
最後に。これからのキューバがどのようになっていけばよいと思われますか?
オーナーは喜んだ。
「いい質問だね」。つづく話は、流れる水のごとく。
キューバにはね、いい点が山ほどあるんだ。まずは、楽しさ。人間らしさ、多様性、家族の強い結びつき、安全性(については、今変化し始めているが、カリブの中では一番安全な国)、人と人が一緒にいる、ということの大切さ、いつもジョイフルにパーティをしている。悲しいことがあっても、それを別のモノに替える力をもっているし、まるでマジックだね。いつも、「あるところ」を見ている。「ないところ」ではなくてね。お互いに助け合うし。こういう、この国のいい所をもっと大切にして伸ばしていけば、キューバはもっと前に進めるよ。
今のキューバには「リミット」、つまり規制が多すぎる。でもやろうと思ったらなんでもできる国になってほしいな。そして、いつもキューバが前に進めない理由を米国のせいにしているけれど、それは違う。それはいつもキューバの内部のせいなんだ。すでに話したけど、やりたいことをやりたいようにやると、常にリスクが伴う。それが変化していければいいと思うな。
キューバはなにしろ、家がタダだろ? これって楽だよね(今、不動産の売買が始まったから、それはまた変化していくかもしれない。以前からキューバ人どうしでは売買が許されていたが、今もまだ正式には外国人は買えない)。僕たちは家にはタダで住んでいるから。それよりも車のほうがずっと高い。家よりも、車が高い国なんてあんまりないよね? 面白いだろ? しかしいろいろなことが変わっていく。それでも今話したような、キューバの良さは、これからもずっと続く……いや、強まっていってほしいな。
なんだか、キューバに対する愛そのものが奔流したような話しぶりだった。
イリ―ガルも乗り越えて、「キューバ国内でサクセスすることを夢見る、いや実現しつつある男」。国内か、海外かは、また人それぞれであることも強く、付け加えておく。しかし、この男、応援したい。
キューバに帰った今、どんなライブをやっているか、ぜひまた見にも行きたい。
後日談。また私の師匠の演奏の日に出かけてみた。師匠もカナリア滞在を終えて、キューバに戻ってきた。バーのオーナーも、スペインへ行っていたが、ちょうどこの初日にキューバに帰ってきた。以前と変わらず、満員の店内。熱く盛り上がるステージと観客。とても楽しい空間だ。最近は、やはりライブをやっている別のたくさんの店にも足を運んでいる。どことは言えないが、ものすごく空いていて、ライブが成立しない店があった。理由ははっきりしないが、結局は「人」なのだと思う。King Barのオーナーのような、ある「ポリシー」を持ちつつ始めた人と、持っているかもしれないが、「サービス業」ということを忘れてしまっているような店との違いである。
そして、今、キューバの街にも、まちがいなく「クリスマス」がやってきた。暑い国でクリスマス、というのはどうもピンとこないのだけれど、せいいっぱいがんばった、でもまだまだほの暗いイルミネーションを目にしながら、切ないような可愛いような気分にさせられている。
さて、どんなクリスマスになるのだろうか。
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