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[7]キューバ家庭がわかる貴重な「カサ」体験

板垣真理子 写真家

 「カサ」とは、一般の家庭が――とは言えかなり広くないとできないことだが――部屋を旅行者に貸せるように作り変えているゲストハウスのことである。

 ゲストハウスと言うと激安のモノを思い浮かべそうだが、ピンからキリまで。いいものは、かなり綺麗で、そのぶん値段もはる。ホテルよりは少し安い程度。

あるカサの、居間。こんなきれいな所もある。しかし、ここも居室はたいしてきれいではなかった。皆、リビングに凝るのである拡大あるカサの居間。こんなきれいな所もある。しかし、居室はたいしてきれいではなかった。皆、リビングに凝るのである=撮影・筆者
 なにしろ、ハバナには「年代もの」の、昔はそれは立派だっただろうと思える建築もあるし、そこに一般の人が住んでしまっているのだから。時には豪華なお屋敷を改造したようなものもある。

 長期滞在者にはよく利用されるし、短期でも節約したい人に便利に使われている。安いところは、狭くて暗くて「それなり」のものだ。

 カサは直接的な意味では「家」だが、こうして営業しているもののことは、「カサ・パティキュラル」と呼ばれている。

 私も、最初にキューバに滞在したときには、いきなりカサに宿泊してしまった。1998年のことである。

 この時にはさほど意識していなかったが、キューバがもっとも大変だった年、つまり1994年からたった4年しか経っていなかったのだ。大変だった年、というのは「特別な時代=スペシャル・ピリオド」と呼ばれている時で、旧ソ連崩壊以降の、窮乏状態の時代、実際には1991年以降の数年間を差す。

 94年頃をピークとして少しずつ国全体の経済も人々の生活も取り戻してきた。これについてはまた詳しく別に書くこととして、今はカサの思い出に戻ろう。

カサの一角。典型的なキューバの家庭。家族の写真が所せましと飾られている拡大カサの一角。典型的なキューバの家庭。家族の写真が所せましと飾られている=撮影・筆者
 カサの営業をして良いということになったのも、少なからず「特別な時代」の影響もある。

 なにしろ、個人営業が少しずつ認められ、なんとか乗り切ろうとしていた時代だから。

 しかし、カサにも2通りあって、というよりも、許可ありと、許可なし、があると言うほうが正直な言い方だが。

 私が最初に泊まったカサは、なんと無許可の所だった。

 なぜ無許可のカサが生まれるかと言うと、正式な許可をもらったカサは、なかなかに高額な税金がとられるからである。これを支払わないようにするため、網の目をくぐってしまうわけだ。この頃、つまり18年前にはまだカサ事情も不安定だったため、そこそこ、こういうカサもあった。

 ふりかえってみれば「そんなに大変でもないよ」と言っていたこの頃、やはり今からみれば大変だったのかもしれない、といういくつかの思い出もある。

 なにしろ、モノがない、少ない。買おうにもないのだし、買うためのお金だってさしてないのだから。

シャンプーが薄まっている!?

 こんな時代のキューバに降り立って、右も左もわからず、手探りで過ごしていた。カサの人は優しくてよくしてくれて、食事はやはりかなり質素だったけど、それほどには気を使わずに暮らしていた。そんな時にあったのが、小さくて強烈な思い出、「シャンプー事件」。

 「どうしようか」とは思ったけれど、1回ごとに自分の部屋に持って帰るのが面倒なので、お風呂場にシャンプーを置いていた。

ここはハバナではなく、東部の緑あふれる避暑地、ビニャーレスの朝。背景はすべて、「カサ」観光地だけあって、綺麗な色に塗られているところが多い拡大ここはハバナではなく、東部の緑あふれる避暑地、ビニャーレスの朝。背景はすべて、「カサ」観光地だけあって、綺麗な色に塗られている所が多い=撮影・筆者
 ここのカサはそんなに贅沢なところではなかったので、家族と共同の浴室だった。今ではこういうのはわりと低レベルのカサに入るけど。

 さて、そのシャンプー。減ってはいない。でも薄まっている、いや、確実に薄まっている、と何回目かで確信した。

 つまり、使って、でも減っているとわかると困るので水を足していたわけだ。

 この事件をさらに強烈にしたのは、私の友人が、まったく同じ体験をしていたから。「そちらもやはりそうなの!?」と。

 この時代にはシャンプーも貴重品だったのですね。仕方なく自分の部屋に持ち帰ったが。

 でも、これしきの小さな事件では、ここの家族との仲がぎくしゃくするわけでもなく、仲良く平和に過ごすことができた。

 この時代を思い出させるいくつかのエピソードとしては、ここのお父さんがもともとは弁護士さんだったのに、ドルを得るために近くの豪華ホテルの車の窓拭きをしていたことがある。リタイア後とはいえ「あまりにも違う仕事です」と奥さんが嘆いていた。

 食事は主に、キャベツの千切りに目玉焼きを乗せて、白いご飯と一緒にくちゅくちゅ混ぜて食べるのがほぼ基本スタイルだったので、ある日、「肉を買いに行こう」という提案を私からした。

 しかし、ここのお母さんと一緒に市場に出かけて、肉屋さんの前に来た時、突然うつむいてこうつぶやかれたのには困ってしまった。「私は、あんまりお客さんにお金を使わせたくありません」。そんなことを言われても、買いに来たのですよ。たぶん、そんなに多い量ではなく買って帰ったような気がする。

 台所には、アメリカの置き土産である年代ものの冷蔵庫があり、その取っ手の部分の塗装がはげて真っ茶色に錆びていた。また、断水になった時のために、動かなくなった洗濯機が貯水槽として置かれていた。

 あれから17年を経て、大きく変わったかといえば、そうでもあり、そうでもない。ここの家の冷蔵庫は幸いに新しくなっていて、でも停電は時々あるから、そうすると水をポンプで上げられないため断水もする。

 今に至る18年間に、10回以上キューバに来ているが、仕事を抱えてくるようになるとホテル泊になってしまい、カサに泊まることはほぼなくなった。そして今、長期の予定でやってきたキューバでまた、カサ暮らしが始まっている。しかも、ずいぶんな回数の引っ越しをした。

卵がない!

 今回、日本を出る時に、長期間のカサ暮らしの経験のある人たち全員から「自分にあったカサに出会うまで、何度か引っ越しをするでしょう?」と口をそろえて言われ、「そんなもの?」と思っていたら、だれにもまして多いほどの引っ越しをすることになった。それぞれの場所の事情とエピソードありで。

 まず、最初のカサには2度と戻りたくない。何よりダメだったのは、軍隊っぽい、命令口調。詳しくは、はしょるが、男二人のやっているカサで、一人は比較的優しく、一人は軍隊調の頑固おやじ。

Feris Ano Nuevoは、「新年おめでとう」という意味だが、もうとっくに新年は終わっていた。これが配給所で、この日は卵がどっさりある日だった。私たち外国人は買えない拡大Feris Ano Nuevoは、「新年おめでとう」という意味だが、もうとっくに新年は終わっていた。ここは配給所で、この日は卵がどっさりある日だった。私たち外国人は買えない=撮影・筆者
 ここでの小さな事件は、「卵」。

 朝食に卵がつかないのだ。以前のカサでは、シャンプー、ここのカサでは卵。

 そういう「それごときで」というものが切実なものになっていくのが、生活っていうものなんだ、とキューバで実感する。

 私にとってはほぼ習慣になっているほどのものだったので、ないと寂しい。

 当初はそうなのかなぁ、くらいで過ごしていたが、だんだんあまりにも物足りないので聞いてみると、例の頑固おやじが「卵はね、僕たち二人に配給があるだけだから、大変なんだよ、出せない」とにべもなく。でも他のカサではまったく不自由なく出ているみたい。

 そこで、この頑固おやじのいない時をみはからって、ちょっとやさしいほうの小父さんのほうに訊いてみたら、突然扉の向こうから、またしても頑固おやじが登場。どうしてこういうタイミングでやってくるのか。「言っただろ? 無理なんだよ」。やれやれ。

 しかし、ある朝。テーブルの上にバターのケースが置き去りになっているのを見て、冷蔵庫に戻そうと扉を開けると……なんと卵スタンドに、卵が20個以上も並んでいるではないか。「あるのに出せないの!?」。心の中で大きく叫んだ。

 そして、実際に優しいほうの小父さんに「なぜ?」と聞いてみた。なにやら口の中でぶつぶつと言っていたけど、その数日後、40個ほども並んだ卵ケースを捧げてこの人が帰ってきた。しかし目をむいてこう言われた。「ものすごく遠くまで買いに行ったんだよ」。

 じゃ、他のカサの人たちはどうやっているんでしょうね? それからしばらくは卵のある豊かな生活。でも、これが終わったら、もうナシ。

 この後、決定的なことが起きて私はこのカサを出るが、しばらく自炊生活をすることになり、そして、卵を求めてうろうろすることになる。

 卵に限らず、いろいろなものがあったりなかったり極端なので、日持ちのできるものならある時にまとめて買う、という方法で皆乗り切っている。

 そして、持っている人を見ると「どこで買ったの?」と情報交換している。私もしばらくは、卵をもっている人を見ては「どこで?」と聞きまくったものだ。

 多くの場合は配給所のもので、がっくりしたものだけど、なれてきたらようやくいつも売っている場所がわかってきた。

 ただし、私が買いに行く所の人は、かならずぼったくった。いくらさして高くないものでも、2倍から4倍の値段を言われると腹だたしい。

 そんなわけで、今も町で卵を見ると強く反応してしまう。一度などは、配給品と思われるものが、トラックいっぱいに満載されて通り過ぎた時には、くらくらしてしまった。ほんのしばらくの間に、こうして欠乏したものに反応するのだから、ずっとそれが続けばさぞかし、と想像もしている。

 さて、最初のカサを出た決定的な理由は「歌のレッスン」。キューバに来た目的の一つは、日本でほんの少し始めていたキューバの歌のレッスンを続けて受けることだった。

 ようやく見つけた先生が来てくれた日。ちゃんと許可をもらっていたのにもかかわらず、例のあの頑固親父がやってきて「レッスンは1時間と言ったではないか、今もう1時間になっている、お前はいったいどこまでやるつもりなのだ」と同じことを5回くらい続けて、しかも大声で怒鳴り。私もだが、せっかく来てくれた先生にも申し訳なく。ついにここは引き払う決心に至った。ああ、大変だった。

 このことや、卵の他にも大変なことはたくさんあったが、その一つは私の苦手な犬、しかも大型犬が2頭もいたこともストレスになっていた。

 キューバでは本当は、カサを経営する時には、犬も猫も飼ってはいけない決まりがある。アレルギーをもっている人がいるからだ。

 ここのカサには、他に猫4匹もいたが、私としては猫は平気なので、なんともなかったが。やさしい方の小父さんが台所で猫にご飯をあげている姿はなかなかに微笑ましいものがあった。

天井が毎日、崩れて……

 ハバナ大学で知り合った(実際に私が通ったのは、イサというアートの大学のスペイン語科)親切な中国人の紹介で移ったカサは、外見も中身も中国風でかなり広々していてなかなかに良い。大理石の大きな石柱などもあり、1920年代の代物ではないかとさえ言われた。

また別のカサ。大家さんのお父さんはいつもテレビを見ている。通りがかると、「一緒に見よう」と声をかけてくれる.フレンドリー。ここはいいカサだった拡大このカサの大家さんのお父さんはいつもテレビを見ている。通りがかると、「一緒に見よう」と声をかけてくれる。フレンドリー。ここはいいカサだった=撮影・筆者
 ところがここに住んですぐに、私の部屋の天井が毎日、かなりの量、崩れてきていることが分かった。

 最初、下見に行ったとき、「ちょっと待っててくれ、綺麗に掃除するから」と言われて、ちょっとだけ?と思ったが、結局はこれが理由だった、と後でわかった。

 ほんの2日ほどで引っ越すことになったが、「申し訳ないから」と、同じ経営者のやっている別のカサに移動させてくれ、値段はそちらの方が高かったが、以前の所と同じで良い、ということに。

 しかし、これがまた次のカサのネックとなった。

 そこは以前にもまして町の便利な所から外れていて、どこへ行くにも乗り物に乗る方法も大変でかなり不便だったが、けっこう部屋はきれいで、独立性も高く、自炊をいとわなければそこそこの所。

 だが、ここに住んでいる、オーナーの恋人のような立場の女性が最初は親切だったのに、だんだんおかしくなってくる。

 どうやら以前の家の天井が直ったらすぐに私が戻ると思い込んでいた様子。しかし、工事も長びき、私がずっといることにだんだん苛立ち始めた。

 しかも、ここでもまた、歌のレッスンが理由になる。彼女はオーナーの年齢からみるとかなり若く、そのこと自体はキューバではそんなに珍しくないかもしれないが、私が歌を練習している、ということに過剰な反応を示し始めた。

 しかも、突然先生に勧められて某クラブで歌うことになったと話したら、いよいよすごくなってきた。詳しく書くと長くなりすぎるのではしょろう。

 それとまた以前の所とおなじ、安い価格で私を泊めていることも不満がつのる原因でもあったようで。あまりにも激しく私にあたるようになったので、ついにここからもお引っ越し。

 さて、他のカサの事情は手短にいこう。

 4個めでようやくいい人の所に巡り合った。しかし、ここに至る以前に、友人の住んでいるカサの最上階が、大きく広々としたテラス、独立の風呂場だけではなく、キッチンまで付いていることにくらっときて、ここに住んでいるイタリア人が出たら入る約束をしていたので、さらに5個目のカサにまで至った。

 4個目は、家主さんがフレンドリーですてきだったけど、部屋は狭く、料理はつかないのでずっと自炊を続けるのはちょっとしんどいものもあった。5個めまで来て、ようやくスペイン語の勉強もする気になった。

 なにしろ今までの所はどこも部屋が暗くスタンドも暗いので、夜は目が疲れてしまってとても勉強する気になれず。5番目のここは、テラスにも照明がつけられるので、夜でも涼しい風にふかれてノートを開くとやっと集中できる。しかも、別階段を上って入る部屋なので、独立性が高く、歌の練習も気兼ねなくできる。

 こうしてみると、まずはオーナーさんとの相性、そして、そこに住んでなにをやるか、ということと大きくかかわってくるようだ。4個めのオーナーさんとは、今でも友達で、すごく近くのカサなので、いつも遊びに行っている。

 カサ。半分宿屋のようであっても、家族の暮らす一般家庭でもあるので、ホテルに暮らすよりはより多く、キューバ事情を垣間見ることもできる。カサ体験、しかも、思いがけないほどに数多くの所を経験できたのは、なかなかにない、貴重な体験でもあった。 (つづく)

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筆者

板垣真理子

板垣真理子(いたがき・まりこ) 写真家

1982年、ジャズ・ミュージシャンの撮影から写真の世界に入る。以後、ナイジェリアをはじめとしたアフリカ、南米、カリブ、アジアなどを取材。著書に、『キューバへ行きたい』(新潮社)、『ブラジル紀行――バイーア・踊る神々のカーニバル』(ブルース・インターアクションズ)、『武器なき祈り――フェラ・クティ、アフロ・ビートという名の闘い』(三五館)など多数。