徳留絹枝(とくどめ・きぬえ) 「捕虜:日米の対話」設立者・代表
シカゴ大学で国際関係論修士号取得。著書に『忘れない勇気』『命のパスポート』(エブラハム・クーパー師と共著)など。2004年よりバイリンガル・ウエブサイト「捕虜:日米の対話」運営。現在、旧日本軍の捕虜となった米兵に関する著書を執筆中。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
「もう全てを赦していることを伝えたい」
一昨年(2014年)暮れから昨年(2015年)初めにかけ、アメリカや他の国々で上映された『アンブロークン』(邦題『不屈の男 アンブロークン』)が、2月初めから日本でも公開されている。また2010年に出版された同名の原作も、やっと日本語版が刊行された(ローラ・ヒレンブランド・著、ラッセル秀子・訳、KADOKAWA)。
私には、そこで描かれた主人公との特別な思い出がある。
20年近く前に住んだロサンゼルス南郊外のトーランスは、多くの日本企業が進出し、日本人も多く、暮らしやすい町だった。地元トーランス高校の花形陸上選手でベルリンオリンピックにも出場したルイ・ザンペリー二は伝説的なローカルヒーローで、町の小さな飛行場は、彼の名前を取ってザンペリー二空港と呼ばれていた。
戦後すぐは著名人だったものの半世紀の時が流れてすっかり忘れ去られていた彼が全米でも広く知られるようになったのは、1998年の長野オリンピック開催中に、日本軍捕虜としての過酷な体験がテレビ番組で放映されてからだった。
その後、米捕虜の体験を伝える活動をするようになった私は2003年、ザンペリー二と会う機会に恵まれた。
非行少年の更生を支援する活動などを長く続けた彼のベースである教会で会う約束をしたのだが、私が先に着いてしまった。
ほどなく自分で運転してやって来たザンペリー二は当時80代後半だったはずだが、若々しく、暖かく茶目っ気のある人柄が全身から伝わってくるような人物だった。
会話を録音したテープは、その後数回の引っ越しで手元からなくなってしまったが、一緒にいたほとんどの時間を笑い合って過ごしたことを覚えている。
彼はその日、自分の捕虜体験について語ることはほとんどなかった。
しかし今でもはっきり思い出せるのは、彼が目を輝かせながら語った二つのことだ。