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[1]すべての人が負けたのだー安保法制

「一億総活躍」思想の深層を探るー佐々木惣一が憲法13条を読む

石川健治 東京大学教授(憲法学)

 立憲デモクラシーの会は2015年11月から、早稲田大学を舞台に公開連続講義を始めました(全10回の予定)。朝日新聞の言論サイトである「WEBRONZA」は、同会のご理解のもと、この講義内容に講演者が加筆修正を加えた完全版のテキストを掲載していきます。

 第1回は11月13日に行われた石川健治東京大学教授(憲法学)の講演です。

立憲デモクラシーの会(ホームページ)http://constitutionaldemocracyjapan.tumblr.com/

立憲デモクラシーとは何か

講演する石川健治さん。会場となった早稲田大学の教室には大勢の聴衆が詰めかけた講演する石川健治さん。会場となった早稲田大学の教室には大勢の聴衆が詰めかけた

 私の理解では、この「立憲デモクラシーの会」は、1950年代末に改憲問題が政治問題化したときに知識人が領域横断的に作った、「憲法問題研究会」をモデルにしています(発起人は、大内兵衛、茅誠司、恒藤恭、宮沢俊義、矢内原忠雄、湯川秀樹、我妻榮)。

 したがって、現実政治との緊張関係に身をおきながらも、ひとまず運動的なものに対しては一線を引いて、あくまで知識人としてあるいは研究者として、その資格において言えることを発言し発信するところに、本来のねらいがあります。会のメンバーには、こことは別の文脈で、それぞれ運動体に参加しておられる方も少なくありませんが、私は、ずっと、この会一本でやってきています。

石川健治さん石川健治さん

 会のコンセプトとして掲げている「立憲デモクラシー」というのは、本来は政治的な立場を超えた共通の前提であると、我々は考えています。ですから安保法制を例にあげると、反対の人だけなく、賛成の人も前提にしなければいけない考え方なのです。

 それにもかかわらず、今日その共通の前提が損なわれようとしている。そこに警鐘を鳴らし、そういう枠組みで議論できることを議論していこうというのが、この会の存在理由です。

 「立憲デモクラシー」というコンセプトは、メンバー間においてとらえ方はまちまちで、非常に精密さを欠く、ゆるやかな捉え方においてのみ共有されていますが、私は、連続講座のトップバッターとして、まずはそのコンセプトでもって、いま何が語れるかをお話するつもりで、ここに参りました。

 今日の本題は、安保法制ではなく、かつて京都帝国大学で活躍した憲法学者・佐々木惣一についてですけれども、みなさん、こうして大勢集まってくださったということは、「2015年夏」の出来事について、何かが語られるであろうという期待があってこそだと思います。

 実際、今年の夏は、私にとって、初めてデモに参加した夏でもあり、非常にいろんな意味で大きな意味をもつ時間でした。はじめに、そこで感じたことを、3点に絞ってお話ししておきたいと思います。

反対運動の広がりと内閣支持率40%の壁

安保法制関連法案の廃案を求めて国会前で声を上げる人たち=2015年9月15日安保法制関連法案の廃案を求めて国会前で声を上げる人たち=2015年9月15日

 まず、8月30日に国会前に立ってみて感じたのは、反対運動の広がりです。参加者それぞれの党派性だとか、あるいは運動体としての由来とか、そういうものを越えてひとつになっていくという、つまり立場を越えて統合力が働いていくという現象は、社会科学者として、あるいは憲法学者としても、非常に興味深く刺激的な体験でした。

 しかし、そうやってこれまでにない広がりを見た反面で、その運動には壁があるというのも、確かであるように思いました。これは世論調査を見ても明らかで、なかなか内閣支持率40%の壁を越えて、反対運動が広がらない。その壁の先にあるのは何なのか、ということを考えないといけないだろうというのが、私の第1の感想です。

 この点、8月30日に国会前に集まった方々は、どういうふうにお考えなのだろうか、ということを知りたくて、その後、私もいろんな会合に顔を出してみましたが、結局感じたのは、やはりこの壁の存在です。壁の中はこれまでになく一枚岩になったと思いますが、どうしても壁を越えるには至らない。これをどうしたらいいのだろうか、ということをつくづく考えさせられました。

誰が負けたのか、何に負けたのか

 先ほど申しましたように、「立憲デモクラシー」というのはあらゆる立場を越えて前提にしなくてはならない考え方なので、ほんとうは、その壁を越えられなければいけないわけです。しかし、実際にはそうはなっていませんでした。この一線だけは破られてはならない、という想いで私が今回はじめて加わった、立憲デモクラシーのための闘いは無残な「敗北」に終わったのです。私はこの「敗北」を重く受け止めています。

 それゆえ、第2に、今回の「敗北」において、いったい誰が負けたのか、あるいは、何に負けたのかが問題とされなくてはなりません。ここで強調したいのは、安保法制に関して賛成の考え方を持つ人も、今回負けたのだということです。反対派も賛成派もすべての人が「負けた」。これが「2015年夏」の出来事であったのではないか。

 現在の政権を支持しているとか、あるいは安保法制について自分は賛成の立場であるとか、そういうふうに考えている人は、現状で良いと受け止めておられるかもしれませんが、そういう方々も含めて、実は負けたのだ、ということです。そのことを明らかにしていくことが、これからは大事なのではないでしょうか。少なくともそれが、この立憲デモクラシーの会の示すべき戦線なのではないか、というふうに私は受け止めています。

佐々木惣一に仮託して本当の問題を提示したい

石川健治さん石川健治さん

 それを早い段階で示した憲法学者のおひとりに、佐々木惣一という方がおられました。この方は1918年に『立憲非立憲』という本をお書きになりました。私は、こういう先達の言い方に仮託して、現時点において何が本当に問題になっているかを示すことができるのではないかと思い、この間しばしば佐々木先生に言及し、〈立憲・対・非立憲〉という言い方で、現在の争点を明らかにしようと努めてまいりました。

 そういうこともありまして、実は講談社学術文庫から、佐々木先生の『立憲・非立憲』が復刊されることが決定しております。その解説を書くように依頼されて、私はそういう方向でも現在準備し、勉強しているところです。今日はその一端をお話しすることで、広い意味で、〈立憲・対・非立憲〉の戦線の、しかし必ずしもこれまで光が当たっていなかった部分を照らし出すことができれば、と思っております。

 なお、「敗北」の基準時としては、正確には、安保法案が正式に可決された2015年9月19日ではなく、それに先立つ2014年7月1日に求めるべきであるかもしれません。かねて私は、政府の憲法解釈を変更した閣議決定によって、法学的にはクーデターに相当する重大な出来事が起こったという説明を、これまでずっとしてきたからです。この「立憲デモクラシーの会」は、閣議決定を阻止すべく2014年春に活動を開始しており、すでに一度「敗北」を経験しています。

 しかし、安保法案違憲論が広く浸透したこの夏には、みなさんのお力添えのおかげで、議論は振り出しに戻っていました。法案の違憲・合憲という、法案作成の「そもそも論」からやり直すことになったわけです。つまりは、1年前の7月1日まで、法的な時間を巻き戻すことに成功していた、これは反対運動の大きな成果だったと思います。にもかかわらず、あともう1日だけ、時間を戻すには結局至りませんでした。

憲法53条―敗北の帰結は直ちに明らかになった

石川健治さんの講演を熱心に聞く人たち石川健治さんの講演を熱心に聞く人たち

 第3は、この「敗北」の帰結についてです。この敗北の帰結は直ちに明らかになりました。直接には憲法53条問題です。

 憲法53条とは、臨時国会の召集に関する規定であり、召集とは、国会の活動能力を立ち上げる行為です。会期制をとっている限りにおいては、議会は限られた期間しか活動できず、召集行為がなければ、議会は活動能力を回復いたしません。これが基本構造です。

 日本国憲法の場合も、良し悪しは別として、会期制が採用されていますので、召集行為がなければ、衆議院も参議院も立ち上がらないという構造が、国会の土台をなしています。この重大な召集行為に関して、以下に述べるように非常に慎重な制度設計を行った結果が、憲法53条なのです。

 日本国憲法第53条 内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない

他律的・自然的・自律的ー三つのモデル

 会期制を採る場合の制度設計については、類型的に三つのモデルがあるとされています。呼称には多少ヴァリエーションがありますが、他律的、自然的(定時的)、自律的の3パターンです。

 議会外の存在(たとえば君主など)の意思行為によってはじめて開会するのが「他律的」開会ないし集会の制度で、これがいわば伝統型です。しかし、その後有力になりましたのは、誰かの意思行為を介在させないで、一定の日時が到来すると自然に会期が立ち上がる仕組みで、これを「自然的(定時的)」と形容しているわけです。さらに、議会内部の存在の意思行為によって会期を開始する、その意味で「自律的」な開会制度を採る国も現れてきています。

石川健治さん石川健治さん

  日本国憲法は、この三つのパターンを念頭において丁寧な制度設計を行い、常会(52条、いわゆる通常国会)、臨時会(53条、いわゆる臨時国会)、「特別会」(憲法54条はこの会期に名前を与えていないが、国会法は「特別会」と呼んでいる。いわゆる特別国会)の三つの会期を用意しました。

 これらの条文は、実質的な国会召集権が、原則として〈合議体としての内閣〉にあることを前提に、自然的(定時的)な会期(常会と特別会)を加味した形になっていることに注意していただきたいと思います。

 もちろん、召集行為に「召集」という表現があてられていることからもわかるように、戦前と同様すべての会期について天皇の召集行為が介在していますが(憲法7条2号)、憲法4条により天皇は「国政に関する権能」を有しないものとされていますので、召集の決定権(実質的な国会招集権)の所在は、憲法52条・53条・54条に示されています。

 それゆえ、制度設計の良し悪しは別として、日本国憲法では、国会の活動能力が内閣の他律的な決定に左右されるのが、基本構造になっており、これに自然的(定時的)な会期が加味されている形になっています。

 しかし、肝心要の53条をよく見てみると、前段はたしかに「内閣」(内閣総理大臣ではない)が召集を決定するとありますが、後段は、衆参両院いずれかの総議員の4分の1以上が要求すれば、内閣は「召集を決定しなければならない」と定めています。「決定できる」ではなく「決定しなければならない」という、義務づけの規定です。

 つまり、衆参いずれかの議院のメンバーの、しかも少数派が要求しさえすれば、内閣は召集を決定しなければならない。国会議員のマイノリティーの意思行為で、閉会中の国会はいつでも活動能力を回復できるというわけです。

 これは「自律的」な開会制度を加味したものにほかなりません。会期制をとっているにもかかわらず、閉会中の国会は、随時、「自律的」に活動能力を回復できるという、きわめて重要な規定が53条の後段です。この種の要件として、「2分の1」や「3分の1」「3分の2」ではなく「4分の1」を使うのは非常に珍しいのですが、あえて「3分の1」より少ない「4分の1」を用いたところに、議会の少数派にも国会召集のイニシアティブを与えようという、日本国憲法の明確な意図を読み取ることができます。

召集行為の重大性は歴史的にも明らかだ

石川健治さん石川健治さん

 歴史をさかのぼって考えると、召集権は伝統的には国王がにぎっており、たとえばフランスのブルボン朝においては、ある段階から、フランス国王が召集そのものをしなくなってしまった。その結果、ずっと議会が開かれない、という時代が続きました。これが絶対王政の時代です。

 きわめて大まかにいってしまえば、絶対王政というのは、当時「三部会」と呼ばれたフランスの議会が召集されなかった時代の王政を指していると、いってもよいわけです。そして、財政問題を解決するために、久方ぶりにこの三部会をルイ16世が召集したのをきっかけとして発生したのが、フランス革命であったことを考えれば、この召集行為の重大性というのは、よくお分かりいただけるでしょう。

 そこで、先にも述べたように、日本国憲法は、戦前の天皇による「他律」的な議会制度を改造するにあたってはきわめて慎重な配慮を行い、会期制は維持するものの、「自然的(定時的)」な会期と「自律的」な召集決定の仕組みを加味する、という形で制度設計を行ったのでした。

 しかし、最近の報道によりますと、首相と谷垣幹事長は、首相官邸で会談して、臨時国会の召集見送りをするという方向で、検討がなされているそうです(後記:実際にも、2015年秋には、日程的には余裕があり、しかも審議を待つ法案は山積していたにもかかわらず、臨時会は召集されずじまいであった)。憲法の明文に反して、せっかくの「自律的」な開会制度を空文化するという、そういう決定をしたということになるわけで、これは今後の先例となる公算が大であるだけに、大変に深刻な事態です。

 もちろん、たまたま53条の後段には、いつまでに開会しなければいけない、ということは書いてありません。そこで、いつでもいいや、ということでダラダラ引き延ばした実例がないわけではないのです。しかし、憲法が「決定しなければならない」と義務づけている規定を空文化するとなると、これはおおごとです。「しなければならない」と義務づける法規(法命題)を「強行法規」あるいは「強行法」といい、「してもしなくてもよい」という法規(法命題)を「任意法規」あるいは「任意法」と申しますが、本来は「強行法」として定められた53条後段の規定が、この規定に従っても従わなくてもいいという「任意法」に陥っているという、きわめて危険な事態です。

 これは「強行法の任意法化」と呼ばれ、実は、各国の憲法の歴史において、ときどき起こることなのですが、これを通じて、立憲主義がゆるんでいくわけです。後の話に出てくるゲオルク・イェリネックというドイツの憲法学者は、「硬性憲法」「軟性憲法」の区別を応用して、「硬性法の軟性法化」というふうにも表現しました。立憲主義のゆるみが現代の日本に生じている、その顕著な現れが、今回の53条問題ということになるわけです。

 このようにして、憲法が認める少数派・反対派のイニシアティブを空文化し、内閣の「他律的」な召集権を最大化しようとする動きは、日本国憲法が想定するよりも「強い政府」になろう、という安倍政権のモーメントを反映しています。現在の〈政府のつくられ方〉あるいは〈統治のありよう〉が、そこには非常によく現れています。これはやはり、確実に2015年の夏の「敗北」の帰結なのであって、政府あるいは統治のかたちが、予想された通り、確実に変わりつつある。そのことを、今日の話の冒頭に申しておく必要があると思います。この論点は非常に重大な論点なのです。

「非立憲」への道を突き進む安倍政権

 そこで自民党の改憲草案ではどうなっているのだろうか、ということを見てみますと、実は条文内容に変更があります。しかも、「要求があった日から20日以内に臨時国会が召集されなければならない」と具体的な日限を切っており、日本国憲法が加味した自律的開会制度の部分が、むしろ強化されているわけですね。

 これでは、まったく、あべこべです。当座の党利党略から、自身が示した改憲プランとは正反対のことをやっている。これは、現政権の支配の恣意性を、よく示しています。権力の恣意は、専制支配そのものであり、自由の仇敵です。これは是非、注意していただきたいと思います。

自民党 憲法改正草案第五十三条
内閣は、臨時国会の召集を決定することができる。いずれかの議院の総議員の四分の一以上の 要求があったときは、要求があった日から二十日以内に臨時国会が召集されなければならない

 自民党が改憲草案について趣旨説明をした「Q&A」という文書をみますと、「党内議論の中では、『少数会派の乱用が心配ではないか』との意見もありましたが、『臨時国会の召集要求権を少数者の権利として定めた以上、きちんと召集されるのは当然である』という意見が、大勢でした」と書いてあります。その舌の根も乾かないうちに、それを破ろうとしているわけです。

 カントによれば、自分が自分を縛る「自己拘束」が、各種の義務のなかで一番義務づけの力が強いとされますが、こうした自己拘束――集団的自衛権を行使しないという政府解釈もそうでした――を自ら解いてしまうような政府は、まさしく立憲主義の正反対、「非立憲」への道を突き進みます。

 そうした立憲主義のゆるみから、このまま「強行法の任意法化」が進行しますと、いわゆる「憲法変遷」という、法理的に非常に難しい問題に入ってゆきます。こういう深刻な事態が進行しているということを、ぜひ意識していただければと思います。

 これは間違いなく、2015年の夏の帰結である、というふうにいってよいことだと思います。(続く)