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 2011年1月14日、チュニジアでベンアリ大統領が政権を放棄して空港から出国した。前年の12月から続いていた若者たちのデモが首都チュニスでも広がっていた。

 その時、私はエジプトの地中海岸、アレクサンドリアを拠点とする中東駐在の編集委員だった。ベンアリの出国は「ジャスミン革命」と呼ばれたが、それがエジプトを含めてアラブ世界の大規模な民主化運動につながるかどうかは予測できなかった。

道路を埋め尽くしたデモ

 1月17日付で、私が編集人をしていた朝日新聞のWEBサイト「中東マガジン」で、「チュニジア政変でエジプトが迎える『運命の時』」というコラムを書いた。

<エジプトのムバラク大統領は今年、政権について30年目を迎える。すでに82歳となり、健康不安も抱える。息子ガマール氏への世襲の話もあるが、多くの国民は快く思っていない。政権幹部の腐敗は以前から指摘されていることだが、このところの価格高騰には、人々の間に強い不満が広がっている。ムバラク大統領の6選が問われる大統領選挙は、今年の秋にあり、その前後にあらゆる問題がでてくるだろう。チュニジア政変はエジプトが「運命の時」を迎えようとする時に起きたのである。>

エジプト革命の舞台となったカイロのタハリール広場に集まった若者たち拡大エジプト革命の舞台となったカイロのタハリール広場に集まった若者たち=撮影・筆者
 この時には、ムバラク体制の「運命の時」は大統領選挙がある秋前後とみていたわけだ。

 まさか、チュニジアの革命から1カ月もたたない2月11日にムバラクが辞任するとは予想もしていなかった。それだけ動きが早かったことになる。

 私がいたアレクサンドリアは人口430万人で、エジプトではカイロに次ぐ第2の都市である。カイロとの距離は250キロ、砂漠を突っ切る道路を走らせ、3時間で行くことができる。

 エジプトで最初の大規模デモが起こったのはチュニジア革命から11日後の1月25日である。

 このデモの始まった日にちなんで、エジプト革命は現地で「1月25日革命」と呼ばれている。

 デモが始まったこと自体が、歴史的だった。

 私はアレクサンドリアの海岸通りに面したアパートに住んでいた。

 1月25日にデモがあったのは、海岸通りから1本内陸に入ったポートサイド通りだった。私が通りに行った時にはデモはすでに通り過ぎた後だった。

 沿道の若者が、デモ隊が通りを埋め尽くした動画を携帯電話で見せてくれた。

 その日はアレクサンドリアでもカイロでもデモ隊と警官・治安部隊の大規模な衝突はなかった。

 しかし、その日、BBCテレビで見たカイロの中心部、タハリール広場でおこなわれた大規模な反政府デモの映像は衝撃的だった。 ・・・ログインして読む
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筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』(岩波書店)、『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)など。

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