メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

 私はエジプト革命の検証のために、1月25日の最初のデモの次、「怒りの金曜日」と名づけられた1月28日に何があったかについて関係者のインタビューを重ねた。

 カイロでは午後1時ごろ終わったモスクでの集団礼拝の後、デモ隊がタハリール広場に向けて行進を始めた。ナイル川西岸のギザやムハンデシーン、東岸のショブラなどから、タハリール広場を目指した。

 「シルミーヤ(平和的に)」と繰り返すデモ隊に対して治安部隊は放水を浴びせ、催涙弾を撃ち、散弾銃を発射した。最後は実弾による狙撃があった。夕方までに800人以上の死者が出た。

 その後、タハリール広場はデモ隊に占拠され、警官・治安部隊には撤退命令が出た。私は、この日、何があったかを、日本の読者に伝えるために、当事者の体験を集めて、詳細な再現リポートをつくろうと思った。

金曜礼拝の説教師に話を聞く

 私はタハリール広場に向けて進んだデモ隊の起点の一つだったハンデシーンのアラブ連盟通りに面した「ムスタファ・マフムードモスク」に焦点を当てて取材した。

 金曜礼拝の前には、「フトバ」と呼ばれる説教がある。

エジプト革命が始まった最初の金曜日に若者たちが集まるモスクで説教したマンシー教授拡大エジプト革命が始まった最初の金曜日に若者たちが集まるモスクで説教したマンシー教授=撮影・筆者
 説教師は、ハティーブと呼ばれ、イスラムに通じた人物が宗教や社会問題について講話をする。28日の金曜礼拝の説教師はカイロ大学でイスラム研究を行うダールルウルーム学部のイスラム法教授ムハンマド・マンシー(52)だった。

 25日のデモの直後の金曜日が運命の日になることは、誰の目にも明らかだった。政府は28日未明に、インターネットと携帯電話を停止したのである。

 マンシーに会って、その日一日の動きを、説教原稿の草稿段階から詳細に聞いた。

 マンシーは金曜礼拝の説教で若者たちのデモを扱うべきかどうか、扱うとすればどのように扱うべきかに頭を悩ませたと語った。

 28歳の彼の息子がムスタファ・マフムードモスクを集合場所に指定しているフェイスブックの掲示を見せて、「お父さん、危ないから行かないほうがいい」と言った。妻も心配して行くなと言う。

 しかし、「私は説教師なのに、家にいるわけにはいかない」と答えた。友人の一人からは、「説教でいまの政治状況には触れない方がいい」と忠告されたという。しかし、そんなわけにもいかない、とマンシーは考えた。

 マンシーは説教の前半、宗教の話題では「神への信仰」を扱うことにした。問題の後半では、 ・・・ログインして読む
(残り:約7745文字/本文:約8735文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』(岩波書店)、『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)など。

川上泰徳の記事

もっと見る