2016年05月26日
私はエジプト革命の検証のために、1月25日の最初のデモの次、「怒りの金曜日」と名づけられた1月28日に何があったかについて関係者のインタビューを重ねた。
カイロでは午後1時ごろ終わったモスクでの集団礼拝の後、デモ隊がタハリール広場に向けて行進を始めた。ナイル川西岸のギザやムハンデシーン、東岸のショブラなどから、タハリール広場を目指した。
「シルミーヤ(平和的に)」と繰り返すデモ隊に対して治安部隊は放水を浴びせ、催涙弾を撃ち、散弾銃を発射した。最後は実弾による狙撃があった。夕方までに800人以上の死者が出た。
その後、タハリール広場はデモ隊に占拠され、警官・治安部隊には撤退命令が出た。私は、この日、何があったかを、日本の読者に伝えるために、当事者の体験を集めて、詳細な再現リポートをつくろうと思った。
私はタハリール広場に向けて進んだデモ隊の起点の一つだったハンデシーンのアラブ連盟通りに面した「ムスタファ・マフムードモスク」に焦点を当てて取材した。
金曜礼拝の前には、「フトバ」と呼ばれる説教がある。
25日のデモの直後の金曜日が運命の日になることは、誰の目にも明らかだった。政府は28日未明に、インターネットと携帯電話を停止したのである。
マンシーに会って、その日一日の動きを、説教原稿の草稿段階から詳細に聞いた。
マンシーは金曜礼拝の説教で若者たちのデモを扱うべきかどうか、扱うとすればどのように扱うべきかに頭を悩ませたと語った。
28歳の彼の息子がムスタファ・マフムードモスクを集合場所に指定しているフェイスブックの掲示を見せて、「お父さん、危ないから行かないほうがいい」と言った。妻も心配して行くなと言う。
しかし、「私は説教師なのに、家にいるわけにはいかない」と答えた。友人の一人からは、「説教でいまの政治状況には触れない方がいい」と忠告されたという。しかし、そんなわけにもいかない、とマンシーは考えた。
マンシーは説教の前半、宗教の話題では「神への信仰」を扱うことにした。問題の後半では、
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