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政権を脅かす唯一の組織力

 エジプト革命の後、イスラム政治組織「ムスリム同胞団」は強権体制が倒れた後の民主的な選挙で第1党となった。

エジプト革命の後の初の議会選挙に勝利したイスラム組織ムスリム同胞団の選挙集会=2011年11月、カイロ郊外で拡大エジプト革命後、初の議会選挙に勝利したイスラム組織ムスリム同胞団の選挙集会=2011年11月、カイロ郊外で 撮影・筆者
 欧米や日本では、同胞団が世俗派の若者たちが始めた革命を横取りしたという見方がある。

 しかし、現場での革命を見ていると、同胞団は伝統的な価値としてのイスラムを掲げた保守的な組織であり、革命後の混乱を収拾する役割を担わされたという側面も無視できない。

 チュニジアのジャスミン革命やエジプト革命などの「アラブの春」は若者たちの反乱である。「4月6日運動」が欧米メディアに盛んにとりあげられたが、彼らの組織力や動員力は通常なら数百、最大に見積もっても数千人の規模であり、とても革命を主導できるような実力はない。

 ムバラク時代にも「4月6日運動」や「キファーヤ運動」が少ない人数で勇敢にも街頭デモをしたことは確かだが、残念ながら、治安部隊に取り囲まれてしまうだけだった。

 エジプト強権下の政治勢力で政権を脅かす組織力があったのはムスリム同胞団だけである。

 イラク戦争後に米国が掲げた中東民主化の下で行われた2005年の議会選挙で、同胞団は全444議席中の88議席をとったことは本連載ですでに書いた。その同じ選挙では、リベラル派の新ワフド党6議席、▽国民進歩統一党2議席、▽リベラル派のガッド党1議席、とほかの野党の議席は散々だった。

 既成政党は民衆への影響力を失っていた。その同胞団も2010年11月から12月にかけて行われた議会選挙では、政府による露骨な選挙干渉で議席を失い、途中で選挙から撤退した。

縁の下で支えた同胞団

 エジプト革命は、2010年選挙の2カ月後に起こった。ムスリム同胞団さえ完全に抑え込まれた状況で、11年1月25日に、世俗派でも、イスラム派でもない、政治とは全く関係なかった若者たちが街頭に繰り出したことで、政治が動いたのである。

エジプト革命後に初めての議会選挙の投票風景。選挙ではムスリム同胞団が勝利した=2011年11月拡大革命後初めておこなわれた議会選挙の投票風景=2011年11月 撮影・筆者
 しかし、革命に向けた動きがタハリール広場で進む中で、その動きを支えたのは、ムスリム同胞団だった。デモでは「自由と公正」がスローガンとなり、イスラム的なスローガンは全く表に出てこなかった。

 同胞団指導部のメンバーがタハリール広場に行くことはなく、広場にいた同胞団の若者リーダーは同胞団の旗やスローガンを使わないように指示を受けていた。

 広場のデモで同胞団色が出ないように指導部は細心の注意を払っていた。それはムバラク政権にデモ掃討の口実を与えるのを恐れたためである。

 しかし、連日、大規模なデモが続いていたタハリール広場で取材を ・・・ログインして読む
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筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、最新刊に『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)。

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