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「失言」政治家に欠けているのは視線の転換(上)

「同じことを自分について言われたら、どういう気がするか」

三島憲一 大阪大学名誉教授(ドイツ哲学、現代ドイツ政治)

「奴隷」発言に潜むもの

 「つい100年ほど前まで、ちょんまげに草鞋(わらじ)履いたヤクザがダンビラ振り回していただけで、識字率も低く、英語もまったくだめだった黄色いサルが、宇宙に衛星上げたりしているんだから、日本という国もすごいもんだ」

 もしも、アメリカの上院議員が、公式の場でこういう発言をしたとしたらどうだろう。ムキになって反論する日本の政治家が必ずいるはずだ。

 「そもそも明治から100年でなく、150年も経っている。江戸時代の識字率は相当な高さだった。刀を振り回していたのはヤクザではなく、武士だ。武士は、漢文の素読もやった。そもそも刀を振り回していたのではなく、剣の修業をしていたのだ。剣は武士の魂だ。サルとは、日本に対するとんでもない侮辱だ」などなど。

丸山和也参院議員「視線の転換」をしてほしかった丸山和也参院議員
 自民党参議院議員の丸山和也氏の「黒人奴隷の血を引く」人が大統領になるなんて、といった発言が物議を醸した。

 本人は反響の大きさに驚いたのか、一旦陳謝したが、あとで、批判は見当違い、アメリカのダイナミックなところを尊敬した発言だったのに、と忿懣(ふんまん)やる方なかったそうだ。

 でも、丸山議員も、日本のちょんまげサムライについて上記のようなことを言われたら、たとえ、それが日本のダイナミックな発展に敬意を表したのだ、と言われても、釈然としないはずだ。

 反撃のダンビラを激しく振り回すかもしれない。

 なぜならこの架空の発言にも、「奴隷」発言と同じに、一抹の軽蔑が潜んでいるからだ。あるいは、そういう匂いが、発言を受けた側として感じ取れるからだ。

徳目というより知的訓練の問題

 ときとして政治家は自分の「失言」に厳しい反応があったときに「真意」を説いて弁明する。「コンテクストを見て欲しい」、「アメリカへの尊敬の心からだ」などなどと。

 彼らには、拒絶反応が生じる理由がまったくもってわからない

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